滑空人間【短編】

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飛行機雲をたなびかせ、青空を切り裂くようにジェット機が行く。単座の後退翼機で、両方の翼に下げられたジェットエンジンが甲高く唸る。雲もなく、風もなく、試験飛行にはとてもいい条件が揃っていた。ただ、テストするのはこのジェット機ではない。その後ろだ。 1

2015-08-05 15:19:49
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長いケーブルでジェット機に曳航されている骨のようなもの。それはよく見ると人間の姿をしているように思える。騎士の装甲を思わせる鉄板で覆われ、脚は膝までの長さしかない。目を引くのは長い腕だ。その先はまるで刀のような、僅かに婉曲した平たい金属の羽になっている。 2

2015-08-05 15:23:15
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皮膜もなく、まるで骨のような細長い翼。しかし、それは風を切り裂き滞空していた。今日の実験はこの滑空人間のテストだ。独力で空を飛べる人間。最強の兵士、虚兵計画の支流のひとつ。滑空人間は頭を覆うバシネットに開いた穴から赤い光を発した。準備ができたというわけだ。 3

2015-08-05 15:25:41
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ケーブルから滑空人間が切り離される。それは慣性に乗り空を滑空する。刀のような翼面は風を捉えるには頼りなく思えるが、実際には問題なかった。しかし、それも最初だけ。すぐさまバランスを崩し、失速する。眼下に広がるのは広大な海。真っ逆さまに落下していく! 4

2015-08-05 15:31:32
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ジェット機がそれに気付き、急旋回して滑空人間を追いかける。パイロットは信号灯を点滅させ、地上班に連絡する。すぐさま入江からボートが発進する。ジェット機は錐揉みする滑空人間を旋回して見守るが何もできない。パイロットは若い博士だ。そして赤毛の娘でもあった。 5

2015-08-05 15:35:08
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――かつて揚力という迷信があった。鳥が飛ぶのも、飛行機が飛ぶのも揚力という現象があるからだと。それは魔法科学の発達とともに否定された。古エシエドールが開発した飛行機。それらは何故飛ぶのか、どんな原理だったのか。ジェット機はすでにオーパーツとなっていた。 6

2015-08-05 15:38:36
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残されたジェット機も、ジェットエンジンももはや現在の技術では再現が不可能であった。人類帝国の飛行技術は、気化した魔力を気嚢に詰めて空を飛ばせる飛行船技術のみである。積載量には優れていたが機動性に劣る。重装甲を施した戦艦がたった1機のジェット機に後れを取ることもあった。 7

2015-08-05 15:42:36
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航空機動性についての研究は人類帝国の建国から続けられ、それはジェット機とは違った可能性に結びついた。ブレードドライブ技術。ジェット機の翼とは違う、刀のような薄く幅の狭い翼である。人類帝国の科学と魔法が示した未来は、ジェット機を超える空中機動性を予言した。 8

2015-08-05 15:46:55
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ブレードドライブは滑空技術でしかない。推進力を実現するエンジンはまだ机上の空論の域を出てはいない。未来へと向かう歩みは、そんなことでは止まらなかった。そして人造胚による高精度翼面制御技術によって、ブレードドライブの実現がもはや目前へと辿りつこうとしていた。 9

2015-08-05 15:50:49
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派手に着水する滑空人間。人造胚である彼の名はRS-722-TER。愛称をカルネット。肺呼吸ではないので溺れないが、この塩辛い海の水はまさに敗北の味だった。「まただ、また失敗した。ブレードドライブは完璧なのに……」 彼の言葉は、激しい泡の音に溶けて消えた。 10

2015-08-05 15:56:06
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若い女性博士が電信に耳をすませていた。手元のメモ帳に記されるのは残酷な事実。彼女……メソフィアはブレードドライブの研究から下ろされることになったのだ。メソフィアは優秀だ。だから、こんな成長性の見込めない分野に貴重な才能を埋もれさせることは無いということだった。 11

2015-08-05 15:59:53
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カルネットはじっと倉庫の隅でその様子を見ていた。やりきれない表情だ。メソフィアの研究は完璧だった。ただ、カルネットの技術が足りないから……彼の翼面制御技術がいまだ不完全な故、長時間の滑空に失敗をし続けていたのだ。自責の念で思わず顔を伏せる。 12

2015-08-05 16:04:23
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メソフィアは電信を終え、カルネットに向き直った。「何深刻な顔してんのよ。ダイジョブ、後任は決まってるよ。私の後輩でさ、私より若くて美人だゾ?」 カルネットは赤い瞳の、3つの瞳孔を点滅させた。「博士に花を持たせたいのに」 メソフィアは笑ってカルネットの額を小突く。 13

2015-08-05 16:08:11
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「十分、あんたに花を貰ってるよ。あんたのおかげで、ブレードドライブの制御に人造胚は有効だって立証できたんだから」 メソフィアはそう言って倉庫に格納されているジェット機の整備に取り掛かった。「僕は頑張れているでしょうか」 カルネットはかねてよりの疑問をぶつける。 14

2015-08-05 16:12:42
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「あんた、頑張ってないつもりだったの?」 メソフィアはジェット機の下に潜り込んで機械をチェックしている。ブラックボックス化した部品がエラーの信号を示していないか調べる。不具合があったら古文書のマニュアルに従って対処する。「僕は頑張っているつもりです」 15

2015-08-05 16:17:34
減衰世界 @decay_world

「そ。みんな頑張っているつもり。それは自分で決めること。他の誰かから評価されることなんてない。私が頑張ってないって言っちゃったら、あんたの頑張りが全て無駄になるの? そんなことなんて無いから、安心しなよ」 メソフィアはジェット機の下から顔を出して笑った。 16

2015-08-05 16:23:07
減衰世界 @decay_world

カルネットは少し安心したようだ。翼を折りたたんだ肘を突き、4足で歩きながらメソフィアの隣へ移動する。「僕は頑張るよ。博士が僕を信じてくれているなら、僕はいつか博士の期待を超えてみせたい。その姿を見せられないのは、ちょっと悔しいけど……手紙でも、電信でも送るよ」 17

2015-08-05 16:25:07
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「ふふ、すっごい楽しみ」 そうしてメソフィアは整備を再開した。メソフィアの出発は次の日だ。次の日、メソフィアはこのジェット機と共に別の街へと行ってしまう。今までのように曳航して実験することはできない。研究は大きく遅れる。そして、カルネットの寿命は短い。 18

2015-08-05 16:27:27
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夜が明けた。出発予定時刻に近づいている。すでにパイロットの服を着て、白いスカーフを首に巻く。ジェット機に備わっていた与圧技術は失われていたため、上空は死ぬほど寒い。ゴーグルをかけて、見送りに来たカルネットに微笑む。「じゃ、今までありがとう。感謝しているよ」 19

2015-08-05 16:30:15
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「最後に言い残していたことはない?」 博士が尋ねる。カルネットは、すぐに答えを返すことはできなかった。 20

2015-08-05 16:32:55