渡邊芳之さんの科学論(自然科学・社会科学・人文科学)

・渡邊芳之さんは帯広畜産大学の心理学者。 ・2010年8月のツイート編集 http://togetter.com/li/42011 を、2011年1月にみつけて短く再編集した。 ・2010年12月と2011年1月のツイートを追加した。
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渡邊芳之 @ynabe39

西周は「科学」という言葉を「いろいろな分野(科)に分かれている学問というもの全体の姿」を示す言葉として考案し、Scienceには別に「理学」という訳語をあてた。Faculty of Scienceが「科学部」ではなく「理学部」になっているのはそのためだ。

2010-08-10 17:50:34
渡邊芳之 @ynabe39

西周のアイデアからいえば、自然科学は「自然の科学」ではなく「自然科の学」、社会科学は「社会の科学」ではなく「社会科の学」、人文科学は「人文科の学」であって、それらすべてを総称したものが「科学」ということになる。

2010-08-10 17:54:18
渡邊芳之 @ynabe39

そうはいっても現在の「社会科学」は Social Sciences の訳語だからそこにはScienceが含意されている。いっぽう「人文科学」と対応する英語はふつう Humanities であってそこにはScienceは含意されていない。なぜ人文「科学」なのか。

2010-08-10 18:09:19
渡邊芳之 @ynabe39

確かに昔の教養教育の学問分野は自然科学、社会科学、人文科学となっていて、これは文部省が大学設置基準で決めていたものですね。犯人は文部省か。

2010-08-10 18:26:27
渡邊芳之 @ynabe39

知識そのものと学問との違いか。学問はまず職業であるということと、学問には方法があるけれど知識そのものは方法を持たないことかな。

2010-08-11 05:58:07
渡邊芳之 @ynabe39

けっきょく学問のある種類を定義しようとすると方法について語らないとならない。しかし方法からの定義は多くの場合、その学問を現にやってる人たちにとってひどく窮屈になる。

2010-08-11 06:05:41
渡邊芳之 @ynabe39

自然科学と数学との関係。科学哲学者が考えてきた科学の定義のかなりの部分は数学にはあてはまらない。じゃあ数学は科学ではないのか。むしろ科学も突き詰めると科学でなくなるということなのか。あるいは科学の定義が間違っているか。

2010-08-11 06:07:56
渡邊芳之 @ynabe39

おまえのやってることはこれこれだろ、と外部から言われると怒る、という傾向はかなり普遍的だ。先日はそれをマーケティングについて経験したけれど、科学についても同じことが起きる。

2010-08-11 06:33:45
渡邊芳之 @ynabe39

科学の定義についての議論はけっきょくその「科学に対する内部性の本質」という問題で膠着する。

2010-08-11 06:37:07
渡邊芳之 @ynabe39

自然科学者はなにによって「自分は科学者であり、自分のやってることは科学である」と信じるようになるのか。私は科学者教育、その徒弟制度がかなり本質的な役割を果たしていると思う。

2010-08-11 06:38:42
渡邊芳之 @ynabe39

思い切っていえば、科学者は自分が理学部などの理系学部に入学しそこで教育を受け、その大学院で研究者としての訓練を受けることで自分を科学者だと思うようになり、そこで訓練された方法で研究するから自分の研究を科学だと思うようだ。

2010-08-11 06:41:41
渡邊芳之 @ynabe39

そうであれば、どのような目的と方法で研究しようが、文学部で教育され訓練される心理学が科学内部とみなされることはない。すごく簡単な話だ。しかしそんな簡単でいいのか。

2010-08-11 06:42:56
渡邊芳之 @ynabe39

理系研究者が日常の問題について見せる信じられない非科学的な意見や態度も、自分は科学者なんだから自分の言ってることは(とくに推敲の必要なく)科学的であるはずだ、という信念のあらわれと見ることができる。いっぽう文系研究者は自分の態度が科学的かどうかをいつも気にしている。

2010-08-11 06:46:10
渡邊芳之 @ynabe39

自然科学者は実験などの方法によって客観性の担保を外部化しているので、自分の思考や意見の客観性や科学性には比較的無頓着だ。「どんなアイデアでも実験してみれば正誤は明らかになるでしょう」みたいな楽天性がある。

2010-08-11 06:51:25
渡邊芳之 @ynabe39

いっぽう客観性の基準を外部化していない文系研究者にとっては自分の思考やアイデア自体が客観性を持っているかが大きな問題になる。だから文系研究者は「いつもああだこうだ難しいことを考えている人」になる。

2010-08-11 06:53:01
渡邊芳之 @ynabe39

まあ私は個人的には心理学が科学であることは必須でないと考えてます。

2010-08-11 07:16:58
渡邊芳之 @ynabe39

「科学的である」ことと「科学である」ことは違う。前者は方法によって達成することができるが、後者は「科学内部性の壁」を乗り越えなければ得られない。

2010-08-11 16:52:00
渡邊芳之 @ynabe39

あと自然科学と社会科学は名前以外の点で「・」で繋いでいいほどの共通性を持っているでしょうか。そこも気になります。 RT @nissyyu: 文学部内でも自然科学・社会科学的なディシプリン持っている研究室は当然存在。文学部は多分野のごった煮集団

2010-08-11 16:58:26
渡邊芳之 @ynabe39

法学も自分たちのことを社会科学っていうことがありますけど、それはどうですか? RT @nissyyu: 社会科学は多くの面で自然科学のアナロジーと方法論を用いてきたといえると思います.当然社会科学独自の進展もあるので単純ではないとは思いますが.

2010-08-11 17:10:51
渡邊芳之 @ynabe39

「科学的な学問」になることは比較的簡単で、心理学は実験系を中心にそれにかなり成功している。しかしそれによって心理学が「科学になった」のかは相当に疑問だ。

2010-08-11 17:14:14
渡邊芳之 @ynabe39

いろいろ考えているうちに、学問のあり方としては自然科学のほうが特殊例なのかも、という気がしてきた。

2010-08-12 05:17:54
渡邊芳之 @ynabe39

歴史を紐解くと、文系の学問の代表である神学、哲学などは紀元前からの歴史を持っており、方法論的にもその時代から大きな断絶なく続いていることがわかる。紀元前からの哲学史は決して哲学前史ではなく哲学の歴史そのものである。

2010-08-12 05:21:26
渡邊芳之 @ynabe39

心理学のようなものを除いて多くの文系の学問はそれぞれそうした長い学史を持っていて、相互の独立性もかなり高い。史学者と哲学者が「自分たちは同じ文系の仲間だよね」などと共感し合うことは、政治的な理由を除いてはあまりないと思う。

2010-08-12 05:24:13
渡邊芳之 @ynabe39

いっぽう現在の意味での自然科学は18世紀の科学革命で始まった。もちろんそれ以前にもテオフラストスやダ・ヴィンチなど自然科学につながる営みはあったが、それらはふつう科学前史と捉えられることが多い。

2010-08-12 05:26:30
渡邊芳之 @ynabe39

いまある自然科学のさまざまな大分野は多少のずれはあってもほとんどが科学革命の時代にいっぺんに花開いた。その後19世紀にかけて彼らは自分たちをScientistと呼ぶようになり、後継者を育てるためのFaculty of Scienceを作った。

2010-08-12 05:30:49