怒りの普遍化-「脱原発」から「安倍を倒せ」へ

野間さんとばんちょーさんの連続ツイートをまとめました。
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野間易通 @kdxn

「善悪の二項対立ガー」とか「敵味方の二項対立ガー」とか、本当に悪い敵が現れてるときに言っちゃだめなんだよね。でもある世代以上はとくに、なかなかここから抜け出せない。

2015-08-13 09:47:37
野間易通 @kdxn

「二項対立」を必要以上に避けてしまうのは、ミドルズの姿勢にもやっぱり現れている。これ、2011年にたしかエネルギーシフト・パレードだったかが「スローガンで脱原発と言わない」ってデモをやったけど、それにも似てる。twitter.com/MetalGodTokyo/…

2015-08-13 10:01:42
野間易通 @kdxn

たぶんこれ判断保留にしてるわけじゃなくて、「否定の言葉はネガティヴ」→「ネガティヴなバイブスは人を遠ざける」という感覚にもとづいた戦略なんだろうと思う。三宅洋平も「闘ったら平和じゃないじゃないか」という考えで「大デモ」を主催している。twitter.com/kdxn/status/63…

2015-08-13 10:06:57
野間易通 @kdxn

三宅洋平の「大デモ」終了後のインタビュー。huffingtonpost.jp/2013/12/07/big…「平和のために闘ってどうするんだ」「デモは禅問答のようなもの」これに3000人集まっている。つまり、意識高い系リベラルの基本的な感覚はこっち。twitter.com/kdxn/status/63…

2015-08-13 10:15:38
野間易通 @kdxn

この感覚は実は私も共有していて、2011年にbcxxxや平野太一と一緒にやってた反原発デモは、ひたすらかわいい感じの押し出しであった。そのコンセプトが、『デモ行こ!』というガーリーな感じの本になった。 twitter.com/kdxn/status/63…

2015-08-13 10:27:00
野間易通 @kdxn

ばんちょうくんや俺が「かわいいは正義」とかいってサヨナラ・アトムのビジュアル推しでやってたわけだから今から考えるとおもしろい。でも翌年の官邸前で、怒りのマーケットを拾い損ねていたことに気づいた。このへんは『金曜官邸前抗議』に詳述。twitter.com/kdxn/status/63…

2015-08-13 10:31:10
野間易通 @kdxn

この2011年のTwitNoNukesのデモは当初「脱原発デモ」で途中から「反原発デモ」に変わったが、これも会議で決めているんだよね。震災直後の最初の段階では、「反という文字のネガティブなブイバスが…」ってことで「脱」になったんだよ。twitter.com/kdxn/status/63…

2015-08-13 10:35:15
野間易通 @kdxn

でも、そんなこと言ってないではっきりと「反」を打ち出すべきなんじゃないか?という問題意識は常にあって、ずっと躊躇してたのが、秋ぐらいから「反」に正式に名前を変えたんだよね。「脱」というのはアチチュードではないだろうということで。twitter.com/kdxn/status/63…

2015-08-13 10:37:43
野間易通 @kdxn

このへんから、敵を正確に指差すということの重要性みたいなものがだいぶ意識されてきたんじゃないかと思う。私個人が何年も前から在特会にカウンターしたかったのに2013年までロクに何もできなかったのも、こういうことと関係してるはず。twitter.com/kdxn/status/63…

2015-08-13 10:40:12
野間易通 @kdxn

以上、自分の内なる三宅洋平をさくっと総括してみました。

2015-08-13 10:41:04
bcxxx @bcxxx

実はベクトルを変えたわけでは全くなくて、大衆運動を常に目指してきたわけです。しかも大衆のニーズがどこにあるかを掴み損ねていて、途中から掴めた、ってことでもない。大衆が変化した。

2015-08-13 14:40:15
bcxxx @bcxxx

大衆がどう変化したかと言うと、311後の1年ばかりというのは、原発利権集団のメディア支配が凄かったわけです。さらに原発事故が東日本大震災に伴うものだったために、国民の「セルフ・ショック・ドクトリン」が発動し、また体制側によっても煽られた。「反対よりも復興だろう、支援だろう」と。

2015-08-13 14:46:44
bcxxx @bcxxx

また節電キャンペーンもそうした役割を果たした。それが、原発利権集団のメディア支配が弱まる(具体的には商業マスコミに対する原子力関連企業・団体の広告出稿の壊滅)につれて、メディアも健全さを取り戻していった。大衆の原発に対する怒りは自然に醸成されていった。

2015-08-13 14:53:52
bcxxx @bcxxx

また、本来は国策として推進されてきた原発の事故の全責任を東電一社に被せようとする体制側の思惑もあり、さらに実際に東電の事故被害者に対する賠償の姿勢が誠意に欠けるものだったこともあって、東電に対するストレートな怒りが、原発全般への怒りと一体のものとして醸成された。

2015-08-13 14:57:56
bcxxx @bcxxx

2012年に入る頃には、反原発運動の焦点が、稼働原発ゼロ状態からの再稼働阻止に絞られた。具体的に反対する目標が設定されたことで、大衆の中の怒りのベクトルはさらに束ねられ、輪郭を明確にし始めた。原発に反対だと言っていいんだ、言うのが当たり前なんだ、という空気が生まれた。

2015-08-13 15:02:56
bcxxx @bcxxx

311後から1、2年ほどで、世論は脱原発が圧倒的になった。この大衆の変化は、政府が原発以外の政策について理不尽なことをやろうとした場合でも、やはり怒りの反対運動でもって対決するのが当然である、という普遍的な姿勢、政治的文化を生んだ。

2015-08-13 15:08:43
bcxxx @bcxxx

反新安保法制に反対する運動、安倍政権に反対する運動は、かつて反原発運動の大衆から遊離した部分に乗り切れなかった層も含め、より広汎な層の人々を獲得しつつある。こうした大衆の政治文化の変化の上に、運動の方法論もまた変化してきたのである。

2015-08-13 15:15:52
bcxxx @bcxxx

今をときめくSEALDsの前身であるSASPLは、2012年官邸前での反原発の抗議行動を見てきた学生さんたちによって結成されたが、そこに少し後から加わった学生さんの中には、つい1年ほど前まで、反安倍政権運動の対決的で戦闘的な部分に拒否感を抱く子たちも居た。

2015-08-13 15:19:00
bcxxx @bcxxx

それが今では大きく変化した。若々しさと社会の暖かい視線によって見えにくくなってはいるが、SEALDsの安倍政権に対するスタンスは、明確かつ戦闘的な対決である。1年前には忌避されていた「安倍を倒せ」というシュプレヒコールも自然に行われている。「反対」の政治文化はさらに深化したのだ。

2015-08-13 15:22:39