「私は母子家庭だったけれど…」caworiさんの連続ツイートまとめ

感動しました。とても大事なことを言っていると思います。
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cawori @cawori1022

私は母子家庭だったけれど「お母さんが家に居なくて可哀想」と言われると悲しくなった。でも「お留守番出来るなんてえらいねー!」と言われたら誇らしかった。「弟の面倒みなきゃいけなくて可哀想」と言われると悲しかったけれど褒められると「だって私はお姉ちゃんだから!」と自分が誇らしかった。

2015-08-25 18:07:12
cawori @cawori1022

「お父さんが居なくて可哀想」ではなく「お母さん頑張り屋さんで凄いね」と言われると子供ながらに母をとても誇らしく思った。褒めてくれる大人が居れば「誇りのある子」なれる。でも「可哀想」と言う大人が居ればその子供は「可哀想で卑屈な子」になってしまう。本当に可哀想なのは一体何なんだろうか

2015-08-25 18:07:20
cawori @cawori1022

そう言えば、小4の時母が再婚し転校した時に「うちは本当のお父さんじゃないんだ」と友達に言ったら「きゃ〜ドラマみたいでかっこいい!」と羨ましがられ私はそれ以来それすら誇りにしてしまっている。子供なんてそんなもん。憐れむのは大人だけ。

2015-08-25 18:30:55
cawori @cawori1022

そして親の離婚や再婚を経験する友達の相談を10歳ながらにこなしてもいた。一緒に泣いてみたり励ましたりしながら自分の経験や言葉や行動が誰かの力になるのだという事を学んだ。そして良い友達になれた事が何より嬉しかった。「痛みが分かる」事は悲しい事ではなくとても大切な事なのだと思えた。

2015-08-25 18:40:58
cawori @cawori1022

「子供達には悪いけどお母さん自分の為に離婚したの、我慢できなかったのよねー」と母は常々開き直っていた。だから「あなた達の為に」という言葉は聞いた時がない。その事に気が付き感謝したのは中学生の時。「私達のせいにしなくてありがとう」と言ったら真っ赤な顔をして驚いていた母を覚えている

2015-08-25 19:01:22
cawori @cawori1022

母親の帰りが遅く好きなテレビを観ながら納豆ご飯を子供だけで食べるのもたまになら別にどうって事なかった。小1でお米を炊き弟に食べさせ茶碗を洗い寝る準備が出来る自分が達成感と共に誇らしかった。小さな子供にだって人の役に立つ喜びがありそれを生かすも殺すも受け取られ方次第なのだと思う

2015-08-26 23:31:51
cawori @cawori1022

でもやっぱり心細い。母が帰ってくるまで無意識の中で心細いのが本音だった。弟を守らなくてはと気を張っていた。だから上着も脱がず真っ先に「ありがとう、助かった」と心から頭を撫でられ母の温かさに触れるととても安心した。欲しいのは「ごめん」ではなく母の無言のしっかりとした温かさだった。

2015-08-26 23:41:19
cawori @cawori1022

確かに母子家庭の子供は少しだけ早く大人になる。反抗期には自分の境遇が拍車をかける。でも歪んだ父母に挟まれ探り合いをする箱に居るよりは1人足りないシンプルな箱の方がまだマシと思う。どの道誰しもが大人にならなければいけないのだから、その時期が早かろうが激しかろうが大した問題ではない

2015-08-27 00:00:21
cawori @cawori1022

子供は在るがままを受け入れる力がある。無力という言葉にも置き換えられるけれど、選択出来ない代わりに大人よりも遥かに強い「受け入れる力」を備えている。だから疑う事なく受け入れられる子供の力を母親が信じる事。そして何より母親が選択した道を後悔せずにいる事、それが子供の安心なのだと思う

2015-08-28 01:36:51
cawori @cawori1022

母子家庭の4歳〜10歳の6年間父に会いたかった。繋がらないと知っている電話番号にこっそり1人で電話をしていた。ずっと夢の中の王子様状態だったけれど17歳になり父と交流し始めた私は母に言った。「お母さんが別れた理由が分かった。別れて正解だったよ」と。母と娘でニヤリと笑い合った。

2015-08-28 18:34:24
cawori @cawori1022

母は父から一切の援助を受けず6年間の母子家庭時代を乗り切った。弟1歳〜6歳、私4歳〜10歳。その間は死に物狂い。まさに命を削って先の見えない毎日をやり過ごしていたのだと思う。小さな会社の事務から始まり、自分のやりたい事を見つけ自力で開業もした。母30代前半。今の私には真似できない

2015-08-28 19:13:16
cawori @cawori1022

雨が降っても台風でも前と後ろに小さい私達を乗せ自転車をこぐ母。坂道になると二人で「おかーさんがんばれ!おかーさんがんばれ!」と母の背中や腕を叩くのが決まりだった。母が笑っていたからなんとなくゲーム感覚の楽しい記憶として残っている。「子供がいたから頑張れた」と今でも母は言う。

2015-08-28 19:23:32
cawori @cawori1022

ちなみに40歳からの母は駄目駄目である。しっかりしてよ…と思う事が盛り沢山あるけれど、あの6年間で彼女は一生分の生命エネルギーを全て使い果たしたのだと思うと「しょーがねーな」と思う。彼女がどんな事をやらかしても最終的に私が行き着く場所はあの6年間の彼女の功績への尊敬だったりする。

2015-08-28 19:47:02