この文章はこのようには読まない

12
渡邊芳之 @ynabe39

データを読む訓練を受けていない人に「このデータはこう読む」というのを説明するのはたやすいが「このデータはこうは読まない」ということを説明するのは難しい。「正しい読みかた」は比較的少数に絞られるが「間違った読みかた」はそれこそ無数に存在するから。

2015-08-31 07:24:24
渡邊芳之 @ynabe39

これはテキストでも同じで「この文章はこのようには読まない」ということを説明するのは「この文章はこのように読む」ということを説明するよりはるかに難しいし面倒である。

2015-08-31 07:25:17
渡邊芳之 @ynabe39

何かの教育や訓練を受けるというのは「こうする」という少数の可能性を知ることよりむしろ無数の間違った,あるいは不要なことをする可能性を減らすことなのかもしれない。

2015-08-31 07:26:51
渡邊芳之 @ynabe39

法律の条文などについても,法律の訓練を受けた人の読み方というのは限定されていて「こういう読み方はしない」ということもかなり共有されているのに対して,素人はそれこそひとそれぞれ無数の勝手な読み方をする。それを一つ一つ否定していくというのは遠大な作業だ。

2015-08-31 07:28:35
雑兵A @_zhy_a

@ynabe39 Wikipedia掲載のマクリーン事件判決要旨6は「外国人にも政治活動の自由の保障が及ぶ。ただし日本人に対する保障と程度が異なる」と書いています。そもそも批判の強い判決ですが、「禁止」と読むのは無理があります。 ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E…

2015-08-31 07:27:13
渡邊芳之 @ynabe39

この「と読むのには無理がある」という感覚こそが教育や訓練によって作られるもの,つまりは専門性だと思う。

2015-08-31 07:29:27
渡邊芳之 @ynabe39

何を訓練とよぶか,訓練の定義は。 “@hamurabi_subst: @ynabe39 おくすりの訓練”

2015-08-31 07:30:29
渡邊芳之 @ynabe39

ロボットに「何をすべきか」を判断させるのは比較的簡単だが「何はしなくていいか」を判断させるのは難しい,「無数のしなくていいことのリスト」を作っていると動けなくなってしまう,という「フレーム問題」とも通じる話。

2015-08-31 07:32:45
渡邊芳之 @ynabe39

@rayfactory あらゆる訓練に「体で覚える」が含まれるのはそのためですね。

2015-08-31 07:33:17
渡邊芳之 @ynabe39

「心理学者ならそこでそれは考えない」というように専門性によってアプリオリに除外されている可能性を普通の人は除外しない,というのが専門家と一般人との対話で最も面倒なことなのだと思う。

2015-08-31 07:35:14
渡邊芳之 @ynabe39

それでその「そうは考えない」「そうは読まない」という感覚は専門家にとってはアプリオリになっているので「どうして?」と聞かれてもうまく説明できない。「とにかく心理学者はそうは考えないのです」「とにかく法律家はそうは読まないのです」では対話にならない。

2015-08-31 07:37:52
渡邊芳之 @ynabe39

@msaii 読めないのが法律です。法律家や裁判所の読み方は文法だけで決まらない。

2015-08-31 07:42:44
渡邊芳之 @ynabe39

そもそも文の意味が文法だけで確定するというのはごくごく単純な記述文だけだと思う。

2015-08-31 07:43:27
渡邊芳之 @ynabe39

だから自分みたいに「心理学者がアプリオリに判断していることとその基盤になっている知識や論理」について考える心理学者も少しはいないといけない。

2015-08-31 07:48:30