受験現代文において小説は出すべきか

受験現代文において、特にセンターでは必ず出題される小説の問題。小説を出題することは果たして妥当なのだろうか。
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西川純 @jun24kawa

今の国語は、「読み」の比重が重すぎる、と素人ながら感じます。国語の専門の方よりのご教授をいただければありがたい。

2011-01-01 16:27:51
あすこま @askoma

現場の一教員の感想ですが、指摘は概ね妥当かと思います(ただし研修の話は僕から見ても異様で、安易には一般化できないかと)。読みの話と作文の話に分けて、基本的には同意の立場でレスします。@jun24kawa

2011-01-01 21:22:29
あすこま @askoma

まず中学校の教科書を読むと「読み・書き・話す・聞く」の4分野に配慮されたものが意外に多いんです。まだ読み偏重と思う方はいるかもしれませんが、一昔前の教科書のイメージとは結構違うのも事実です。 @jun24kawa

2011-01-01 21:27:55
あすこま @askoma

しかし、教科書より現場は保守的です。理由はおそらく評価です。「読み」に関してはテストという定番のやり方があります。むろん定番=妥当ではありません。国語のテストが読解より暗記のテストになっているという批判もあるでしょう。ただ、それでも定番の強みは大きい。@jun24kawa

2011-01-01 21:35:30
あすこま @askoma

一方「書く」は評価の負担が大きい。極端な例ですが、僕の授業だと最後の成績評価とコメントに一人20分×120人かかる。「話す・聞く」に至っては相手あっての「能力」なので、そもそも個人の成績になじみにくい。結局あらゆる意味で楽な「読み」偏重になるのでは。@jun24kawa

2011-01-01 21:44:06
あすこま @askoma

作文の読者に多様な人を想定すべきというのもお説ごもっともで、同様な実践報告は実はたくさんあります。僕も、本を読んでその出版社の編集部宛に書評を書くというのを去年やりました。@jun24kawa

2011-01-01 21:47:46
あすこま @askoma

しかし、こうした授業は結局相手に読んで反応する負担を強いるし、調整の手間もかなりかかるので、なかなか広まりにくいでしょうね。僕もやれないなと思いました。読者はせいぜいクラスメートか保護者どまりかと(保護者は担任を持ってないと無理でしょう)。@jun24kawa

2011-01-01 21:53:00
あすこま @askoma

結局、教員の負担面を考慮すると代わり映えしない読解中心授業や目的のはっきりしない作文が多くなる。そうすると、教科書もあまり劇的には変えられない(売れにくいから)…というのが、情けないですが現状の説明なのかと思います。以上です。@jun24kawa

2011-01-01 21:57:21
いちご大好き @15DISUkI

国語の「話す」とはどんな感じなのでしょう?読んだ感想を話すのでしょうか? RT @tomkick65: RT @askoma: まず中学校の教科書を読むと「読み・書き・話す・聞く」の4分野に配慮されたものが意外に多いんです。まだ読み偏重と思う方は・。 @jun24kawa

2011-01-02 13:46:17
いちご大好き @15DISUkI

国語の「読み」はテストで計れるといいますけど、国語の解釈ってほんとは正解がないのでは? RT @tomkick65: RT @askoma: しかし、教科書より現場は保守的です。理由はおそらく評価です。「読み」に関してはテストという定番のやり方があります。 ...

2011-01-02 13:49:17
いちご大好き @15DISUkI

「書く」ことを適切に指導できる先生というのは、自分でも文章を書く習慣のある人ではないのでしょうか。 RT @tomkick65: RT @askoma: 一方「書く」は評価の負担が大きい。「話す・聞く」に至っては相手あっての「能力」なので、そもそも個人の成績になじみにくい。...

2011-01-02 13:53:11
あすこま @askoma

厳密に言うと誰もが自分固有の文脈をもとに解釈するのでそうなのですが、「おおよそ妥当な範囲」を決めることはできます。テストで聞くのはその「妥当な範囲」です。RT @75souko: 国語の「読み」はテストで計れるといいますけど、国語の解釈ってほんとは正解がないのでは?

2011-01-03 08:38:08
あすこま @askoma

イメージ優先の答え方になりますが、読む力のある人がテスト受けると、「常に満点」は無理でも「大体8割」ならとれます。その程度にはテストで測れるとは思います。RT @75souko: 国語の「読み」はテストで計れるといいますけど、国語の解釈ってほんとは正解がないのでは?

2011-01-03 08:40:15
あすこま @askoma

正論と思います。その点、教員が日常的に読み書きの修練ができない状況は問題ですね。@ikedaosamu先生ではありませんが、授業外の仕事も多くてなかなか時間がありません。RT @75souko: 「書く」ことを適切に指導できる先生というのは、自分でも文章を書く習慣のある人

2011-01-03 08:44:37
あすこま @askoma

補足。テストに限って言えば、設問文の作り方によって、解釈が一つに限られる設問と、解釈が多様であってもいい設問を区別することは可能です。後者の場合は答えそのものではなく、答えを導くロジックの妥当性を見ます。RT @75souko: 国語の解釈ってほんとは正解がないのでは?

2011-01-03 10:13:34
あすこま @askoma

もちろん、自分の設問文の作り込みが甘くて「解釈が一つに限定されるはずだったのに別解が出た」なんてこともあります。しかしそれは単に自分の実力不足のせいで、生徒にはゴメンと謝って点をあげるしかありません。RT @75souko: 国語の解釈ってほんとは正解がないのでは?

2011-01-03 10:17:50
あすこま @askoma

個人的には、よく言われる「国語のテスト批判」の多くは、読解テストが「本文から読み取れる妥当な範囲」を聞いていることがわかってないか、作問者の作り込みが甘いかのどちらかに起因していると思いますよ。@75souko

2011-01-03 10:20:45
あすこま @askoma

それに時々、問題文の作者が「自分も解けなかった、こんなのおかしい」とか言って火に油を注ぐオプション付き。ですが、書いた本人が事後にそのテクストをどう解釈するかということと、そのテクストを一般にどう解釈するのが妥当かということは、基本的には別の問題です。@75souko

2011-01-03 10:23:37
シータ @Perfect_Insider

評論についてはその通りだと思うのですが、小説や詩について「本文から読み取れる妥当な範囲」を適切に把握する能力を身につけることにどこまで意味があるのかというのは未だに疑問に思っています。.@askoma @75souko

2011-01-03 10:26:17
あすこま @askoma

あら、極めて優秀な元生徒からツッコミが(汗) RT @thetainDN: 評論についてはその通りだと思うのですが、小説や詩について「本文から読み取れる妥当な範囲」を適切に把握する能力を身につけることにどこまで意味があるのか// @75souko

2011-01-03 10:29:42
あすこま @askoma

まず、詩は基本的に読解テストにはなじまないと僕も思います。なぜなら詩は個々の読者の文脈に沿うことで新たな意味を産出するテクストであって、万人に一定の意味を伝達するための言語ではないからです(メッセージを伝えたきゃ評論を書けばいい)。@thetainDN @75souko

2011-01-03 10:32:14
あすこま @askoma

だから詩では、(1)授業中に教員が話した解釈の暗記テスト(2)レトリックの知識テスト(3)詩人の伝記的事実を絡めた解釈、くらいしか「客観テスト」は作れる気がしません。  僕自身は、詩は暗唱(筆写)かレポートしかしてない気がする。 @thetainDN @75souko

2011-01-03 10:37:25
あすこま @askoma

小説の場合は、詩よりも「妥当な解釈の範囲」は定めやすい。ただ、評論と違って「本文のみ」から読み取るのは難しい。たとえばなぜ特定の風景(例:厚い雨雲)が特定の心情(例:不安な気持ち)を表すのかという説明は、本文のみからは決してできない。 @thetainDN @75souko

2011-01-03 10:42:33
あすこま @askoma

小説の場合は、表現や解釈の際に「外部の情報」(過去の小説・映画等の表現類型)に頼ることが多いんだよね。だから小説の解釈を問う問題は、実はその種の外部情報がどの程度蓄積されているかを問うている面もある。 @thetainDN @75souko

2011-01-03 10:47:27
あすこま @askoma

小説で、その種の外部情報経験を一切問わない設問を作ろうとすると、「表面上は心情を聞いているけど、実は本文と選択肢の事実関係の相違を聞いている」設問を作るしかない。センター国語の小説問題には、このパターンがけっこうあったはずです。@thetainDN @75souko

2011-01-03 10:50:57