- FukushimaKokugo
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「違う/同じ」「多方向/一方向」「個人/集団」「散る/集まる」「分散/集中」「周縁/中心」「複/単」「複雑/単純」「自然/人工」「内容/形式」「相対/絶対」「動/静」「豊か/貧しい」「偽/真」「大きい/小さい」「広い/狭い」「私/公」「未知/既知」
2015-09-05 21:30:08これだけの正当・妥当な対比関係を即座に列挙できる中1。すごいのひとこと。指導の成果が血肉となっている。
2015-09-05 21:31:14こういう対比構造を、題材文もなにもない状態で列挙できること。芋づる式に引き出せること。それは、概念を体系化できているということ。そういう状態であればこそ、読みも書きも対話も、自在にできるようになる。これぞ、「本当の国語力」。
2015-09-05 21:33:55これが私の目指す国語力。それは確かに、一般的には「難しい」ように見える。しかし、体系的指導を粘り強く続けることによって誰にでも可能になる。現に、そのスーパー生徒以外の生徒もみな多かれ少なかれ概念を整理できていた。普通の教室でこれをやったら、ぽかんとして何もできない子ばかりになる。
2015-09-05 21:37:24こういう概念的整理の技術ないし知識というのは、なかなか自力で獲得できるものではない。その生徒はもちろん普通以上の天才的素質を持っていると思う。それでも、指導が積み重ねられているからこそ対義語をここまですらすらと引き出すことができたのである。やはり、教育とは「与える」ことなのだ。
2015-09-05 21:53:52私が、「児童生徒主体」「学び合い」「アクティブ・ラーニング」「反転授業」等々の授業形態を忌み嫌う理由は、ここにある。要するに、そういう授業形態に依存する教師たちは、そもそもこういう「高いレベル」を知らないのだ。
2015-09-05 21:56:03「児童生徒主体」「学び合い」「アクティブ・ラーニング」「反転授業」といった授業形態に依存する教師は、ときに、「データ」を持ち出す。私のクラスでは、「ひとりも見捨てない学び合い授業」によって平均90点を達成している、などと。しかし、いったいどんなテストでの話なのか。レベルが問題。
2015-09-05 21:59:41知識・技術を意図的に教師が与えなければ、児童生徒は、決して高いレベルには至らない。子どもどうしで教え合い・学び合いなんてやっていたって、絶対に至ることのできないレベルというのが、ある。それを知っているのは、教師だけ。そして、それを「知っている」責任を持つのが、教師。
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