【第一次世界大戦】ロシア巡洋艦ゼムチューグの無能油断伝説【エムデン】

本国の無理解による悲劇。
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ヤマパンスキー @yamapanski

ぎすぎすも続くと面白くないので、拙いですが模型。1/700 コンブリック改造 ゼムチューグ1914。前後の信号檣をヴラディヴォストークでの改装時に撤去していますので、ノヴィークに似た関係になっています。#艦船模型 #ロシア海軍 pic.twitter.com/bEMSFQ2ggb

2015-09-15 00:25:57
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ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski この艦は、エムデンの通商破壊戦の中で、ペナンで撃沈されていますが、「士官が陸上に遊びに行っていた」とか「艦上でダンスパーティを開いていた」とか非難されていますが、これらは新聞でのデマが広がった形で、実はもっと切実で悲惨な話です。

2015-09-15 00:28:07
ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski イズムルード級巡洋艦は改ノヴィーク型として起工されましたが、武装の増加、機関技術未熟による機関重量増加、信号檣など装備の追加で竣工時からかなりトップヘビーな艦でした。しかも、完成直後第二太平洋艦隊の東行に参加、殆ど試験や補機類の調整改修を行えませんでした。

2015-09-15 00:31:39
ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski この辺りは回航中必死に整備して日本海海戦に参加しましたが、既にこの次点で、速力21ノット程度に衰耗しています。開戦後マニラに拘留され、戦争終結後にアスコリトと一緒にウラジオストクに入り、シベリア小艦隊の主力とされました。

2015-09-15 00:33:59
ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski その後、1906年に乗員の反乱が起きて艦は稼働状態を維持できなくなりました。その後、人員を補充して行動を再開しますが、ウラジオストク現地の工作能力の低さから、機関状態は改善しませんでした。 日露戦争敗北による極東の優先度低下の割を食った面もあるでしょう。

2015-09-15 00:35:44
ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski 1909から1910年にはウラジオストクで入渠大整備を行い、前後のマストを撤去しましたが、根本的な修理はなされなかったようで、1910年代に現役の巡洋艦から除かれ、予備艦としてウラジオストクの警備艦、上海駐留の砲艦代りと、殆ど外洋行動を行わなくなりました。

2015-09-15 00:37:33
ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski 結果、第一次世界大戦開戦時には、外見は奇麗に取り繕っていたものの、機関はぼろぼろの状態で、連合国に戦力として差し出されてしまいます。艦長とシベリア小艦隊司令部は艦の悲惨な実情を知っていますが、恐らくロシア本国と連合国は、把握していなかったと思います。

2015-09-15 00:39:12
ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski まあ普通に、連合国側は、日頃自分たちと隣り合って、上海で奇麗に塗装して砲艦外交していたゼムチューグが、開戦当初からぼろぼろの整備状態だとは全く思っていなかったでしょう。

2015-09-15 00:39:57
ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski 第一次世界大戦開戦後、ゼムチューグは太平洋、インド洋でドイツ通商破壊艦からの船団護衛に従事しますが、他国の巡洋艦と行動を共にするだけで無理があり、缶、機械は急速に消耗して行きました。

2015-09-15 00:42:11
ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski 艦長は1914年9月早々から、戦線背後の日本かシンガポールでの入渠整備を訴えますが、シベリア小艦隊司令部は面子のため拒否します。イギリス海軍とか連合国に直接訴えても聞き入れられません。

2015-09-15 00:43:22
ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski 連合国には、戦闘も行っていないゼムチューグに、どうして貴重な後方の船渠での重整備が必要なのか分かりません。シベリア小艦隊司令部は、連合国が自然に整備に回してくれるまで、ゼムチューグ艦長がゼムチューグを何とか適当に維持して作戦行動し続けてくれと言います。

2015-09-15 00:44:59
ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski 漸く整備が許可されたのは10月に入ってしばらくたってからで、この時期には缶が限界に達していました。そして修理も安全なシンガポールを希望したが却下され、船団護衛を終えた後敵襲の可能性にあるペナンに残留して行うよう命令されてしまいます。

2015-09-15 00:45:38
ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski ペナン入港時のゼムチューグの状態は最悪で、缶は安全に運転できるものは1基のみで発電能力すら失いつつあり行動不能でした。補機、通風を全力稼働させることすら不可能になっていました。揚弾筒も作動不能、通風不良で乗員の居住にも差し支える状況でした。船体もぼろぼろ。

2015-09-15 00:47:49
ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski この状態だと、発電容量が低下していたので、限られた電力は弾薬庫の冷却に回されました。誘爆爆沈を避けるためです。当初日中から砲側に装薬弾薬を集積して敵襲に備えましたが、予想以上に外気温が高く、甲板上では装薬誘爆の危険が出てきました。

2015-09-15 00:50:22
ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski そのため、やむを得ず、誘爆しても対処可能な少数弾だけ甲板上に残し、他の弾薬は再度弾火薬庫に収納されました。そして、艦長は、ペナン港湾部や連合国に、この状況を知らせて、艦外部から電線で電力を供給するよう要請するため上陸しました。

2015-09-15 00:51:57
ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski エムデン襲撃時のゼムチューグは、反撃がどうとかいえる状況ではなかったでしょう。艦内でパーティーなど開きようがない状態でした。 エムデンから見て艦内電灯を付けている様子もなく、探照燈も点灯していなかったとのことですが、これも油断ではなかったでしょう。

2015-09-15 00:54:57
ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski そして、この翌日、1914年10月28日の払暁、ゼムチューグの入港を無線探知し、仏装甲巡洋艦が寄港在泊していると判断したエムデンが、満を持して襲撃を行ってきたのです。

2015-09-15 00:53:41
ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski かくして応戦不能で一方的に撃沈されてしまったゼムチューグですが、「連合国側が艦の状況を理解していない」「ロシア本国が艦の状況を知らないこと」がその後悪い方向に作用します。そんな状態だと知らなかった連合国、ロシア本国、関係諸国の新聞がぼろくそに書きます。

2015-09-15 00:57:07
ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski こうしてゼムチューグの無能油断伝説は第一次世界大戦中から確固たるものとなってしまい、後の戦記本にも引用されて、どの本を見てもそう書いてある状態になってしまった様子です。良くある話と言いながら、大変気の毒な話です。

2015-09-15 00:59:38
ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski 結論としては、物語化、伝説化は恐ろしいという話でしょうか。きちんと調べないと色々踏み間違う可能性があります、としか言い様がありません。

2015-09-15 01:00:37
ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski 僚艦のアスコリトが、日露戦争前の平時にドイツで念入りに建造竣工しているので、こういう話題とは無縁であったのを考えると一層気の毒に感じます。現場の人達にはどうしようもなかったのではないかと思います。

2015-09-15 01:02:34
ヤマパンスキー @yamapanski

@yamapanski 当時の水管缶の、特に水管の消耗の早さが分からないと理解しにくい、というのも穴になっているのでしょうが。。。かなり定期的な整備と消耗品の補給交換がないと、あっという間に動かなくなるという見地を持たないと分かりづらくはあります。

2015-09-15 01:03:20