- jonathanohn
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@taka_2nd 実力があるとして、それを行使するかはまた別問題だと思うんですよねぇ。統一なんてのは空前絶後の業なわけですし、それをあえてするという発想というか必要性というかそういうものが
2015-09-24 01:08:47秦て10年くらいで六国全部滅ぼしてそれで領土を倍増させてるのに、コストや手間のかかる中央集権官僚国家として成立させてるのが狂気の沙汰とは思えない。そんな膨張率だったら封建して現地政権に統治コスト投げるでしょー。ワーカホリック始皇帝だからこそ出来た業とはいえねぇ
2015-09-24 01:14:15@keityusi ( ^д^)<旧六国の構造が残る新領土で無理矢理やった感がありますね。だから、漢は一族と異性を封建して徐々に骨抜きにしたけど。
2015-09-24 01:24:02秦は中華統一といい中央集権国家といい制度の統一といい、数世紀かけてやるべき事を始皇帝一代でやってしまった突然変異感。なんじゃこいつ、星の開拓者か
2015-09-24 01:43:51@keityusi ほんと、ばけものですよね…でもあの人、吏に仕事を任せるっていう漢以降の国政の基礎を作っておきながらあまり仕事を他人に任せられない部分が見え隠れしてるので、自分がやれるうちにやれることやってしまおう!っていう気持ちだったんですかね。
2015-09-24 01:54:27@touhuOvO だから不老不死への願いも切実なものだったんでしょうね。自分だからこそ出来た帝国で、自分以外でも担えるように制度を根付かせ強固なものにするまでは死んでも死にきれない…!という
2015-09-24 01:58:20李斯「大王、とっとと六国併呑して理想の制度を確立しましょう^^」秦王「…ぼちぼちね'3'」李斯「一国滅ぼしたら記念にその国の建物を都の中に建てていいですよ^^大王箱もの好きでしょ?ほーらきっと楽しいですよ^^」秦王「やる^^」
2015-09-24 01:39:20@keityusi 東進は悲願だったんだろうけど確かに性急だし手間かかるしですよねー。六国の王を殺さず活かしておいたあたり、あの人六国を併呑すると言うより制度オタクだった感じがしちゃいます。
2015-09-24 01:28:03@keityusi 戦国末には六国間の度量衡差もかなり融通が利く(貨幣とか)感じだったらしいので統一は流れ的なものもあったんでしょうが、”国”の統一というよりは制度的な面での”人民の意識の統一”に興味や全力を注いだ感じがするなー、と^^ 妄想!
2015-09-24 01:51:13@touhuOvO 確かに統一の土壌はできていたにしても、そこに種は蒔かれていない程度の認識なんですが、始皇帝は一気に大木を植え込んだ印象ですね。根付かなくてすぐ倒れちゃいましたけど。。。 意識の統一は始皇帝の代では出来なかったにしろ、大きな影響及ぼしましたね。始皇帝ショック!
2015-09-24 01:56:01@keityusi あ、そっか。とにかく先に土壌を整えたかったのか。恥ずかしながら敬仲子さんの言葉を聞くまで気づかなかった^^;地上を天図に見立てるくらいですもんね。その上で意識統一の半ば病気にかかってしまったのは本当に無念だったでしょうね…><
2015-09-24 02:03:10@touhuOvO そこは分かんないです、あくまで私の印象論なので…!焚書といい意識の統一は確かに図っていた感じですよね〜しかし、人民は始皇帝が思うような速度では変わらなかったのだ…早すぎて疾すぎた天才。。。
2015-09-24 02:07:07@keityusi 私も印象論で申し訳ないです^///^;ほんと、残念ながら始皇帝自信が突出した人だったので、人民の速度までは測れなかったのかもしれませんね。惜しい人を早くに亡くしてしまった…
2015-09-24 02:12:45一方モンゴルは
秦帝国といいアレキサンダー帝国といいモンゴル帝国といい急速に成立した大帝国は急速に滅びるのになぜ急いで統一したのか。凡人の感覚で捉えることはできないけど、あんなほぼ毎年感覚で国滅ぼしても叛乱起こされたら元の木阿弥だが、起こさせない自信あったのかなぁ。事実始皇帝一代では何とかしてた
2015-09-24 01:48:55@keityusi モンゴル帝国はそこまで急速でもない(チンギス一代に限れば遊牧帝国としては割とよくある勢力範囲よりちょっと西北に頑張った程度)うえに150年続いてるんですが……
2015-09-24 17:53:48