A-10 ―その血の運命― (書きかけ記事 10/8更新)

A-10ってどういう機体なの? 訂正事項 タングステン芯徹甲弾→劣化ウラン芯徹甲弾
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private_tom @private_tom4523

ベトナム戦争、アメリカが北ベトナムへ初めて爆撃作戦を実行した日付は1965/8/21である。 それに際してアメリカ軍は当時の最新鋭戦闘機を惜しみなく投入する決断を下した。 F-100,F-105,F-111,F4と高速ジェット戦闘機を投入していた。

2015-10-01 21:26:08
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しかし、北ベトナム軍はゲリラ戦術を取っており、明確な拠点が少ないジャングルという戦場であったため思うように成果は上がらなかった。 特に不調だったのがCAS(近接航空支援)である このためアメリカ空軍は海軍から借り受けたA-1スカイレイダーを投入、さらにA-7コルセアⅡをも投入した

2015-10-01 21:28:57
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このA-7はA-7Dと銘打たれた。 また、対ゲリラ戦専用機としてOV-10(左)や練習機を転用したA-37(右)も導入された。 pic.twitter.com/fgCmI17ENE

2015-10-01 21:32:22
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A-1は救難輸送ヘリHH-3(画像)とコンビを組んでCSAR(戦闘捜索救難任務)をすることになった。 そして味方の救出活動を行う救難ヘリに対して、周囲の敵の掃討活動で支援した。 これは期待以上の成果を上げることとなった。 pic.twitter.com/ipY1UISDpq

2015-10-01 21:37:04
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しかしアメリカ空軍はより本格的な近接航空支援機が必要だと判断した。 ベトナムでの教訓を踏まえてA-X計画が始動したのである。 A-Xに求められたのは「低空飛行能力と滞空時間」「大領の兵器搭載能力」「短距離離着陸能力」「高い整備性」「安価」、そして「30mm機関砲」であった。

2015-10-01 21:41:38
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それもそのはず、当時は冷戦の真っただ中。 共産ドミノ理論に基づいてそれを阻止すべくアメリカは朝鮮、ベトナムに兵力を出していた。 一方ヨーロッパでは戦火こそ無いものの、日々緊張は高まっていた。 NATO(北大西洋条約機構)とWTO(ワルシャワ条約機構)の軍事的対立である。

2015-10-01 21:44:57
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NATO軍の最大の懸念事項はもちろんWTO、ひいてはソ連軍の強力な地上部隊であった。 陸続きのヨーロッパ大陸を横断してくる機甲部隊に対して如何に食い止めるかが大きな課題となったのだ。 それによりヨーロッパではトーネードが産声を上げた。 pic.twitter.com/zksAaXaJSN

2015-10-01 21:50:01
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アメリカでは12社にA-Xの提案要求書が提出され、提出期限の1970/8/1までにボーイング、セスナ、フェアチャイルド、ジェネラル・ダイナミクス、ノースプロップ、ロッキードの6社が提案をした。 その中にはノースロップN-308もあった pic.twitter.com/V4c0CUVa1g

2015-10-03 00:21:00
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2基のターボファンエンジンで最後尾に付いたプロペラを回すという不思議な機体である。

2015-10-03 00:22:53
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アメリカは最終的に2機の選考を行うこととなった。 ノースプロップ社製YA-9A(左)、フェアチャイルド社製YA-10A(右)である。 どちらもターボファンエンジンを搭載し、16,000ポンド(7258kg)以上の兵器搭載能力を持つ。 pic.twitter.com/9WuQ7PuiX1

2015-10-01 21:57:37
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両者のテスト映像もばっちりある。 ただし、このテストがに合わせた納期までに30mmガトリング砲は製造が間に合わなかったため、M61A1 20mmバルカン砲を装備しての最終選考となった。 youtu.be/qRsor-m9CB4

2015-10-01 22:01:22
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YA-10Aの初号機(71-1369)が1972/5/10に初飛行、続いてYA-9Aの初号機(71-1367)が同年5/30に初飛行。 続いて前者の2号機(71-1370)が7/21、後者の2号機(71-1368)が8/23に飛行した。 この4機は12/9に飛行審査作業が終了した

2015-10-01 22:07:12
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選考の結果、操作性ではYA-9Aに軍配が上がる。 しかし、対空火器に対する防御能力でYA-10Aは優れており、また武装の再搭載作業が簡便であるという指摘がこれを上回った。 また量産型に向けての設計変更や改修が少なくて済むという利点が大きく取られたとされている。

2015-10-01 22:12:53
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一方ソ連でもジェット機の時代に入っても近接航空支援機を持っていないことは問題視されていた。 そのため、ソ連は西側諸国よりも早い1968年2月に近接航空支援機の基本仕様書の策定を開始したとされている。 しかしスホイ社がT-8という機体を提出したが、当時は必要性が薄く完成しなかった

2015-10-01 22:19:15
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その後、近接航空支援機が見直され、ソ連はT-8をベースに改修を始めた。 Su-25と命名されたソ連の近接航空支援機は量産仕様の初号機が1979/7/18に初飛行となった。 pic.twitter.com/yWYFTfrXcw

2015-10-01 22:24:13
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閑話休題、採用されたA-10Aであるが、空軍はA-7Dをまだ所有しており並行して装備する必要性を指摘された。 それに呼応して空軍はA-10Aの前量産型の発注数を削減した。 しかし、空軍は議会を説得してA-7Dとの飛行比較審査にまで漕ぎ着けたのである。

2015-10-01 22:29:07
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1974/4/15から行われたそれで、飛行性能に関する評価は圧倒的にA-7Dに軍配が上がるという事が判明した。 また後方にいる敵勢力への攻撃能力でもA-7Dが勝った。 しかしCAS(近接航空支援)においてA-10Aは絶大な評価を得るとともに、戦場滞空可能時間でも評価がなされた。

2015-10-01 22:34:12
private_tom @private_tom4523

明確な勝利こそ得られなかったものの、A-10Aは近接航空支援において必要性を獲得したのである。 1975/2/15、その日にA-10Aの前量産機の初号機(73-1664)が初飛行した。

2015-10-01 22:38:23
private_tom @private_tom4523

A-10の種類はとても簡潔である。 YA-10A 試作機 GA-10A 地上教材 YA-10B 複座練習機(計画のみ) A-10A 量産型 OA-10A FAC(前線航空統制)機 N/AW A-10 全天候能力機(1機のみ) A-10C 近代化改修機

2015-10-01 22:51:26
private_tom @private_tom4523

A-10をタンデム複座にして練習機として使う計画があった、しかし、亜音速で簡素な機体であり、T-37練習機で転換訓練のほぼ全過程を終えることができたため、計画のみに留まった しかし、A-10に全天候能力を付与する計画は残っており、それが同じタンデム複座のN/AW A-10となった

2015-10-01 22:53:43
private_tom @private_tom4523

設計変更し後席を設け、全天候能力のために追加の電子機器を装備し、様々な改修を施された。 しかしこの機体が評価される頃には、A-10の爆装ステーションに懸架する電子機材が登場しており開発は中止された。 その1機は・・・。

2015-10-01 22:58:13
private_tom @private_tom4523

ご安心を、N/AW A-10はエドワーズ空軍基地で余生を過ごしております。 A-10のタンデム複座機はこれっきり生産されていない。 かなりレアな子だ。 pic.twitter.com/MrdtwZr2G6

2015-10-01 23:00:10
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private_tom @private_tom4523

さて、ではA-10Aに戻ろう。 配備は着々と進んでいた、しかしそんな折に急報が。 1985年にゴルバチョフがグラスノスチ(情報公開)を行い、また1989/11/10のベルリン崩壊などを経て、冷戦構造は終焉を迎えたのだ。 一般人はこれを大いに歓迎した。

2015-10-01 23:06:55
private_tom @private_tom4523

しかし、冷戦構造化でソ連率いるWTO軍の地上部隊と対決するはずだったA-10Aにとってそれは悲報であった。 ヨーロッパに急速に配備されつつあったA-10Aは敵を失った。 そして存在意義を問われるようになり、アメリカ軍からもA-10不要論が台頭してきたのだ。

2015-10-01 23:09:40