ゲームにおける自由とは何か?(仮)
- shinichikudoh
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昨日幻想水滸伝5をアメリカの人に進められました。一本道RPG批判にはあたらないそうで、幻想水滸伝2の次に良くできた作品らしい。
2011-01-09 16:27:58@tricken 幻想水滸伝は最初のしかやってませんが面白かったです。一本道RPG批判というのが良く分からないのですが、その批判はどこで展開されているのでしょうか?
2011-01-09 16:29:34しかしどうして90年代RPGは、スターオーシャンといいアークザラッドといい二作目の出来が凄くてそれ以外がいまいちなのだろう。
2011-01-09 16:29:36いわゆる和製RPG批判ですね。≫@shinichikudoh: @tricken 幻想水滸伝は最初のしかやってませんが面白かったです。一本道RPG批判というのが良く分からないのですが、その批判はどこで展開されているのでしょうか?
2011-01-09 16:30:08一本道RPG批判なあ。シナリオが一定だとしても戦闘回数やレベルアップのタイミングまで全く同じようにプレイなんて出来るもんじゃない。そこも含めてRPGなんだから一本道なのかどうか。タイムアタックや無装備プレイや、場合によっては途中で飽きて中古屋に売り払うなんてルートさえあるわけで。
2011-01-09 16:33:53RPGだけじゃなくて小説や漫画や映画も一本道だけど、だからこそ二次創作できる醍醐味もあるわけで。それに読み方次第で色んな解釈ができると考えれば、一本道のものなんてどこにもないようにも思える。
2011-01-09 16:37:25@tricken 強制選択の心理と言って、選択肢がないと「要らない」となるだけのところが、選択肢が用意されていることで「私だったら」という意識が働き、選ばされているにもかかわらず「自分でやっている気分」になるという。内容の質よりその辺の心理誘導の面で物足りない人がいるとか。
2011-01-09 16:38:06一本道RPGについての是非はこの文章で尽きてるかなと思ってます。「一本道かどうか、それが問題ではない」http://www.scoopsrpg.com/contents/mistery/mistery_may03.html ≫@yas_kawamura
2011-01-09 16:42:31〈自由度〉という言葉をさもゲーム批評用語として使ってる人にはご用心。なぜならその語は選択肢の自由なのか、操作の自由なのか、課題発見の自由なのか、状況変更の自由なのか、テクスチャカスタマイズの自由なのかを定義しないから。一本道RPGも同じ罠を持ってるのですね。擬似問題。
2011-01-09 16:45:18「プレーヤーが求めているのは、どれも吟味に値する程度に有意で選びがたい魅力的な選択肢群であり、どれを選んでも状況変化に手応えの感じられない無限の選択肢ではない」というのは、色んなゲームデザイン論の人が言っている箴言ですね。自由度という擬似問題に関する批判。
2011-01-09 16:51:39@tricken 海外RPGはそんなに違うものなんですかね。調べてみます。まあローグやウルティマやウィザードリーは自由度が高いわけですが、そういうものを研究したうえで作られたのが和製RPGと考えたら、色んな事情がありそうには思えます。
2011-01-09 16:55:32どうやら一本道RPG批判というのは「ストーリー観賞ゲーム」みたいな方向性がつまらないということらしいのだけれど、それを言ったらRPGだけじゃなくてアドベンチャーやシミュレーションにもそういう傾向はある。シミュレーションは分岐が多いけど、攻略ルートみたいなものはある程度あるわけで。
2011-01-09 16:58:16その話を掘り下げると、「そもそも近代ゲームデザイン(含むウォーゲーム)及び1974年以降において scenario はどんな意味を与えられてきたか」という表現史の問題に突き当たり、適当に喋るわけにはいかなくなるのですね。面白い領域だとは思ってます。@shinichikudoh
2011-01-09 16:58:40@tricken 読んだ。内容はまず選択肢に目がいっている時点でおかしい。結果としてはいい論理の閉じ方をしているとは思うけれども、「自由を得る感覚とは何か」という考察が足りないから、こういう論理の閉じ方(囲い込み手法)でしか自由を捉えられないんだなあという感想。
2011-01-09 17:00:30ゲームってゲーム内だけで完結するものなのか。ドラクエの新作が出て、普通に生活しながらプレイする人もいれば、会社や学校を休んでまで攻略に勤しむ人もいて。それも含めてゲームの多様性かなと。海外のオンラインRPGだとネカフェで突然死するエンディングまであるから、確かに自由度は高いよな。
2011-01-09 17:01:13確かに、アクションゲームなど、リアルタイムの決断を要求するゲームに応用するのは難しいですね。ただ大半の和製RPGに対する典型的な論難はこれで終いになると思います。@yas_kawamura
2011-01-09 17:02:18和製RPGが物語に重点を置きすぎていて批判されるというのは、ストーリー性を否定して文章それ自体に力を注ぐというような文学スタイルとも関連があるのだろうか。
2011-01-09 17:05:16@tricken 結局この論理は、最初から「プレイヤーはアホである」という論理に基づいた論理に近いと俺は思う。自由度はあやふやで幻想だと言うが、どんなゲームにおいてもプレイヤーの自由度とは本来「それが主体的な意思決定に基づいているか」を指すはずだ。
2011-01-09 17:07:56星野しずるの短歌には面白いものもあるけれど、そもそも人為的に用意されたフレーズ自体からして面白いのと、更に人為的にセレクトされたものが評価されていたりするから、完全に自動なわけじゃない。ふぁぼられ数などから面白さの発生フラグを分析して作るようになれば、すごいとは思う。
2011-01-09 17:08:19@tricken 「主体的な意思決定」そのものが幻想という考え方も出来るけれども、少なくとも実際しているかどうかはともかく「多くの時間その気分に浸れる」物が自由度が高いものでしょう。そう考えた場合選択肢や状況の囲い込みという「手法は正しい」が、そこへ至る理屈には違和感がある。
2011-01-09 17:11:22僕は最近それだな。やりもしないゲームについてあれこれ考えるのが楽しい。読んでない本や、してもいない恋愛などなど、誰しもそういう面はあるだろうけど。それだってプレイヤーであることにかわりはない。
2011-01-09 17:11:42海外RPGの要素を少しずつ日本に紹介していこうとの思いで作られたのがドラクエだったわけだけど、RPGの文脈に慣れさせるため築き上げた独自デザインの評価が高すぎたために、そこから方向性を転換できないまま今に至ったような感じもある。新しさを求めないライトユーザが多いせいもあるだろう。
2011-01-09 17:19:07