野元甚蔵さんのエピソード

『チベット潜行1939』の著者、野元甚蔵さんについて、お二人の娘さんからうかがったお話し
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デキ @dekipema

この間の日曜日(10/4)にカワチェンさん主催で行われた江本嘉伸さん講演会「チベットと日本の現代史 もう一つの戦後70年」。長きにわたりご自分で歩き、見て聞いて書いてきた江本さんのお話と、2001年開催「日本人チベット行百年記念フォーラム」の時の映像は、

2015-10-08 23:51:24
デキ @dekipema

@dekipema 遠いようでいてでも実はそうではない、だれの周囲にも起こりえただろう近代日本、戦後日本のエピソードを多数紹介してくれて、重みがあった。胸に迫るものがあった。講演の内容は、公式非公式にどなかたがまとめられることがあるかもしれないけれど、

2015-10-08 23:52:07
デキ @dekipema

@dekipema その後の懇親会で野元甚蔵さんの娘さんお二人がお話になったことは、たまたま席が近かった数人しかお聞きしていなかったので、ご紹介したいと思う。野元さんに関してはこちらblog.kawachen.org/?eid=697244と、ページ内にいくつかリンク記事が。

2015-10-08 23:54:12
デキ @dekipema

@dekipema 娘さん方が口を揃えておっしゃったのは、「父は母を大好きだった」ということ。奥様が長く入院されていた時、野元さんは鉄道で毎日、病院へ通っていた。当時、奥様は人工呼吸器を着けており会話することはできなかったが、それでも野元さんは朝、出勤の娘さんと一緒に家を出て、

2015-10-08 23:56:18
デキ @dekipema

@dekipema 日中を奥様のかたわらで過ごし、夕方娘さんと一緒に帰宅。そういう日も多かった。病室では奥様に促されて顔を近づけ、病床から手を伸ばした奥様にネクタイを整えてもらうのが日課だった。

2015-10-08 23:57:20
デキ @dekipema

@dekipema 娘さんたちに対しては、それぞれの特質(お二人とも手先がとても器用で、それを生かしたお仕事をされている)を挙げては、「お母さんの子だねえ」と娘をほめつつ妻への気遣いも忘れなかった。 野元家の苦しい家計をよく支えた奥様は、野元さんに大きな信頼を寄せる一方で、

2015-10-08 23:59:19
デキ @dekipema

@dekipema 野元さんの戦中の業績が埋もれてしまうことを憂えておられた。そして野元さんが関東軍に提出した『入蔵記』の内容をいつか本にと願い、手元にあったその写しが劣化して読めなくなることを心配して、一字一字書き写して残そうとされた。

2015-10-09 00:01:23
デキ @dekipema

@dekipema しかしチベットやモンゴルでのことを公表すれば、当時関係のあった人たちに迷惑をかけることになるとの配慮から、野元さんはなかなか筆を執ろうとされなかった。結局、2001年の『チベット潜行1939』刊行を待つことなく、奥様はその数年前に亡くなられた。

2015-10-09 00:06:40
デキ @dekipema

@dekipema 野元さんは、本を奥様に見せられなかったことを後々まで悔やんでいたという。 98歳で亡くなった野元さんは晩年、一緒に暮らす娘さんの手を借りることが多くなったが、常にまず感謝の言葉を口にされたそう。自分のことを後回しにしてまずは人のことを思いやるという気遣いは、

2015-10-09 00:11:05
デキ @dekipema

@dekipema 最後まで変わらなかった。ご夫妻に共通するこうしたお人柄は、娘さんお二人にも確かに受け継がれているようにお見受けした。

2015-10-09 00:25:01
デキ @dekipema

@dekipema 野元さんの『入蔵記』は現在、全文の画像が国立公文書館アジア歴史資料センターのウェブサイトで公開されている。「野元甚蔵」で検索するとファイル2件に分かれて出てくる。jacar.go.jp/DAS/meta/MetaO… ダウンロード、印刷も可能

2015-10-09 00:26:47