行為と人格

他人は「この人は何をしたか」その「行為」を見て人格を判断する。それはごく当たり前のこととして認めるしかない。しかしあえてそれまでの「行為」を脇に置き、「人格」にまっすぐ近づこうとする方法がある。人と心がつながった感覚をもてるのは、後者の方法の時だ。
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shinshinohara @ShinShinohara

若い人の悩み相談に乗ると「誰も自分のことを分かってくれない」苦しさを吐露されることがある。こうした悩みには、まったく逆に聞こえる二つの話をするようにしている。

2015-10-19 18:15:35
shinshinohara @ShinShinohara

1つめは「他人には、見えた通りがすべて」ということ。「もし君がその人にとって気にくわないことをしたとする。気にくわないことを繰り返すようなら、やはりその人にとって君は嫌な奴だ。逆に好ましい行為を繰り返してくれるなら、君はいいやつだ。他人からみれば、行為の集積が人格なのだ。」

2015-10-19 18:17:43
shinshinohara @ShinShinohara

「もし君が本心では別のことを考えていても、ある人に良い行いを繰り返すならその人にとって君はいい人だ。逆に君がその人を好きなのに、その人が嫌うようなことを繰り返すなら、その人にとって君は嫌な奴だ。君のハートが、感情がどうであろうと、他人は君の行為から人格を推し量るしかない。」

2015-10-19 18:19:57
shinshinohara @ShinShinohara

「当たり前だが、他人から心は見えない。他人は、君の行為を外から眺めて、君の人格を推定するしかない。君の本心がどこにあろうと、他人は君の行為から君の人格を推定する。この現実は、そのまま認めるしかない。」

2015-10-19 18:21:32
shinshinohara @ShinShinohara

「他人から見れば、人格とは行為の集積でしかない。嫌なことを繰り返す奴は嫌な奴であり、好ましいことを繰り返す人は良くできた人。他人が人格を評価する場合は、どんな行為をしたかで判断するのはやむを得ない。」

2015-10-19 18:23:53
shinshinohara @ShinShinohara

逆の話もする。「他方、面白い話がある。介護の世界で最近、ユマニチュードと言うのが注目されている。暴言、暴力が止まらない、スタッフの誰もが手を焼く痴呆老人が、ユマニチュードの名人の手にかかるとニコニコと笑い出し、素直にいうことを聞くようになる。わずかな時間での劇的変化に皆驚く。」

2015-10-19 18:26:27
shinshinohara @ShinShinohara

「暴言、暴力を振るわれ続けたスタッフからすれば、「非常に乱暴な老人」と、人格を否定したくなるのも無理はない。乱暴な行為の集積が実際にあるのだから、「この人はそういう人なのだ」と人格を決めつけたくなる。しかしユマニチュードでは違う視点を持つ。」

2015-10-19 18:28:39
shinshinohara @ShinShinohara

「誰もが人格を尊重されたい、と願っている。痴呆老人でもそれは変わらない。介護の現場は余裕がないために、スタッフの都合で老人を扱いがちになってしまう。1個の人格ではなく処理されるべき「モノ」扱いされることに我慢がならなくなってしまう。」

2015-10-19 18:30:22
shinshinohara @ShinShinohara

「ユマニチュードでは、乱暴な言動・行為の奥底に隠れた「人格」を見つめようとする。「あなたの人格を尊重しますよ」というメッセージを、言葉だけでなく手の握り方に至るまで配慮を重ね、伝える。すると痴呆老人でもそれを敏感に感じ取り、笑顔を取り戻す。」

2015-10-19 18:32:03
shinshinohara @ShinShinohara

「誰もが自分の人格を尊重してほしい、愛してほしい、認めてほしいと願っている。しかし不器用だったり、虫の居所が悪かったりで、皆の嫌がる行為をしてしまいがち。その結果、希望とは逆に嫌な人格だとみなされ、愛されなくなり、認めてもらえないという悲しい悪循環が生まれる。」

2015-10-19 18:34:35
shinshinohara @ShinShinohara

「ユマニチュードでは、意識的に行為と人格を分けて考える。どれだけ暴言・暴力を吐こうと、痴呆であろうと、「愛されたい、認められたい、人格を尊重されたい」という根源の願いは変わらない。そこにどうやってアクセスするかを常に考えようとする。」

2015-10-19 18:36:45
shinshinohara @ShinShinohara

「現在、介護の現場では、ユマニチュードが広がりつつある。注射一本打つのでも大騒ぎで、複数のスタッフ総がかりで1時間以上かかっていたのが、わずかな時間とスタッフで素直に打たせてくれるようになるなら、一見手間暇かかるようでもこちらの方が楽、というのが認識されつつある。」

2015-10-19 18:38:48
shinshinohara @ShinShinohara

「君は「本当の自分を分かってくれる人がいない」と嘆く。そのことに気づいたのは素晴らしいことだ。他人は冷徹に、どんな行為をしたかだけで君の人格を判断する。しかし、人間は誰もが「愛されたい、認められたい、人格を尊重してほしい」と願っている。そのズレに気づいたのだから。」

2015-10-19 18:41:35
shinshinohara @ShinShinohara

「たとえ他の人が、表面的な行為を見ただけで人格を判断するようなことをしたとしても、君は行為と人格を分けて考えるようにしたらよい。そしてユマニチュードと同じように、人の心に寄り添う術を身に着けたなら、まさにユマニチュードと同じように、人の心を動かすことができるだろう。」

2015-10-19 18:44:56
shinshinohara @ShinShinohara

「人間は、愛されたい、認められたい、人格を尊重してほしい、という根源的な願望を持っている。しかし人間というのは不器用なもので、どうしたら愛されるのか、人格を尊重してもらえるのか、分からないまま失敗をして、嫌われてしまうことが多い。そしてそれを嘆いているものだ。」

2015-10-19 18:47:02
shinshinohara @ShinShinohara

「「あなたは本心では、こういうことを願っているのではないか。」普段の乱暴な言動に惑わされずに、相手の人格を尊重しようという姿勢を見せた時、人は心を開く。この人は分かってくれる、と思った時、乱暴な言動が消えてしまう。この人を手放すまい、と願うから。」

2015-10-19 18:48:57
shinshinohara @ShinShinohara

「ごく普通の人は、行為を見て君の人格を判断してしまう。これはやむを得ない。でもそのことが悲しいと気が付いた君なら、行為を見て人格を決めつけることに慎重になれるだろう。相手の人格を尊重すると、相手の行動が変わる。すると相手は、君の人格を見直そうとするだろう。」

2015-10-19 18:51:40
shinshinohara @ShinShinohara

「必ずうまくいくわけではない。「間が悪い」というのがあって、なぜかこの人とは間の悪い時にばかり出くわす、ということがある。そういう場合は理解し合えずに終わるのも仕方ない。しかし相手の人格を尊重する気持ちを持ち続ければ、きっと君の人格を尊重してくれる人が見つかるだろう。」

2015-10-19 18:54:19
shinshinohara @ShinShinohara

「他人は君の行為をみて君の人格を判断する」という現実。 「言動に惑わされずに人格を尊重しようとしてくれる人に、人は心を開く」という興味深い現象。 この二つは矛盾するようだが、やはりそうなのだ。現実を見て絶望し、冷徹なリアリストになるか、後者を学び、理想を追求し続けるか。

2015-10-19 18:58:20
shinshinohara @ShinShinohara

私は、後者を選び取ってほしいと思う。「他人は外面的な行為を見て人格を判断するんだよ」という現実を認めるだけでは、つまらない。現実を受けて立ち止まるだけでは、ユマニチュードのような発見はできなかっただろう。現実を前にしてなお、どう抗うか。抗うと、新しいものが見えてくる。

2015-10-19 19:00:10
shinshinohara @ShinShinohara

「行為の集積が人格」と捉えるか。それとも「行為に惑わされずに人格を見つめようとする」か。前者は現実、後者は理想と読み替えることもできる。現実を認めれば、それ以上傷つかなくて済む。理想を追い求めれば、新しい地平を切り開く喜びが得られるかもしれない。どちらを選ぶか。

2015-10-19 19:17:49