仙台平野の防潮林あれこれ

個人的な興味関心で追いかけている仙台平野の防潮林と津波の関係。ちょっと背伸びして「海岸工学」方面の文献を探索したメモです。
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はじめに

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

論文完成間際に、先行研究の見落しに気付く #研究者あるある いつになっても調査は大事

2015-10-20 06:02:11

ということで、ある文章を書くための準備として津波に対する防潮林の効果について最新研究(自分の専門ではないので日本語で読めそうなもの)はどうなっているのかと探索することに。

仙台平野の防災林の歴史

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

宮城県沿岸の防風林、防潮林の歴史を辿っているが、それをまとめた記事内容がどうも怪しい。史実というよりは地域の言い伝えのようなものが考証無しに紹介されている。まだネット上での情報を対比させている段階だが、1つのネタがあちこちで孫引きされているようで、しばし頭を抱えて朝を迎えた。

2015-10-20 06:08:22
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

1648年に亡くなったとされる川村孫兵衛が1700年になってから石巻の松林を植栽したとかいう記事があり、これはいくらなんでも無理だろうと思った。おそらく、2代目川村孫兵衛のことなんだろうが。。。 こんな感じで記事を探っている

2015-10-20 06:22:55
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

先ほど話題にした宮城県の防砂林・防潮林の歴史をまとめている情報源はこちら。 「日本の松原物語-海岸林の過去・現在・未来を考える」(2009年)の「 海岸林造成史にみる先人」(pinerescue.jp/jiten/matsu/bo…) の15-16ページ。

2015-10-20 08:51:17
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

このページの一覧表の主たる情報源は「郷土を創造せし人々」(昭和9 年、大日本山林会)とのことなので、この稀覯本に遡ってデータを確認する必要がある。(まだ着手していない。) とはいえ、先ほどの川村孫兵衛のケースのように、この表の中だけでも、疑問符が付くデータ記載が他にもある。

2015-10-20 08:54:05
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

仙台藩士・剣持新五左衛門の項目に「寛政年間(1789~1801)、野蒜を管理する剣持新五左衛門は区民を指揮し数年間植林に励み」とあるが、手元の仙台藩士事典によると、この剣持は寛政年間の人ではなく、別項にある原田甲斐の息子の養父。この甲斐の息子は寛文事件で切腹し、剣持家は一時断絶。

2015-10-20 08:58:56
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

原田甲斐と親戚関係にある剣持家が共に松原を造林していたという史実が本当にあったのかどうか。どこかで伝承が混線してしまったのかもしれない。もう一つの言い伝えめいている点は、宮城県内で造林された松原の内、苗木を「遠州」から取り寄せているのが3ヶ所もあったこと。これも情報源は怪しいかも

2015-10-20 09:08:24
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

明治期の雫石氏は実在が確かで、野蒜に塩田を開いたことで地元に顕彰碑も残っている。ただ、彼が松原も造林したのかはまだ不明。「和田因幡」という人物は伊達政宗の頃の人で、蒲生の「和田新田」あたりに屋敷を構えていた人だが、山元から渡波までの松原を植樹したかどうか、今のところ典拠不明。

2015-10-20 09:12:12
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

和田因幡の本拠地であったはずの蒲生浜ですら、昭和16年以降「皇紀2600年事業」に便乗して松林を植林しようとしていた。それだけ松林の幅は薄かったのではないかと想像する。今もその経緯を示す石碑が残っている。(本年1月8日撮影)twitter.com/ke_1sato/statu…

2015-10-20 09:24:34
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

【蒲生の石碑】3 2つ目の石碑は「松林霑民」と題された「蒲生防潮林植樹起工碑」。高砂神社境内。以前から仙台平野沿岸の防潮林が何時頃から整備されていたのかを調べていたこともあり、この碑の存在に驚いた。津波対策にも期待された防潮林である。 pic.twitter.com/foDohFAcL5

2015-01-08 20:22:31
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

そういう諸々の典拠不明情報がこの一覧表には含まれているので、これだけを根拠として「仙台藩政時代から松林の植林事業は進められていた」と歴史的な断定するのは危ない。もっと精密な一次史料からの探索をする必要がある。

2015-10-20 09:30:29
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

残念ながら、東日本大震災の後に出された論考、後藤・祖父江・他「仙台平野沿岸に植栽された海岸保安林の歴史と東北地方太平洋沖地震津波に対する効果」、『土木学会論文集B2(海岸工学)』,Vol.69, No.2.(2013)は、この一覧表に全面的に依拠している。史学的再検討は必要かと。

2015-10-20 09:35:20
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

後藤・祖父江・他(2013)のpdf.はこちらで公開されています。 → jstage.jst.go.jp/article/kaigan…

2015-10-20 09:38:11

防潮林の津波低減効果に関する文献

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

仙台平野の防潮林について、「津波低減効果はあった」と実地調査の上で評価される工学研究論文がある。たしかにそれはそうだろうが、実際に津波は林を突破して薙ぎ倒していったわけで、その矢面に立たされてズタズタになった被災住民に対してはもっと違った説明と総合的評価が必要なのではないかと思う

2015-10-20 10:53:10
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

「もっと違った説明」とは、例えば、防潮林は今後も本当に必要なのか。巨大津波に対して防潮林のリスクは他にあるのかどうか、など、住民を津波から守るという前提の言葉。というのも林の造成には数十年かかる。その間にまた津波が来ないとも限らない。そんな悠長な対策で良いのかというのも素朴な疑問

2015-10-20 15:52:49
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

というわけで、海岸工学分野で、沿岸防災林の津波低減効果に関する論文を拾い読み。一番最初に定量的分析を試みたのが首藤伸男(1985)論文として把握。「防潮林の津波に対する効果と限界」海岸工学講演会論文集Vol. 32 (1985) jstage.jst.go.jp/article/proce1…

2015-10-20 16:46:05
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

首藤(1985)は最初の指摘として、防潮林は巨大津波に対しては無力で、むしろ危険である、という批判があることを考慮している。それ故、どの程度まで防潮林は津波に耐えられるか、その限界が考察対象となるわけである。

2015-10-20 16:53:10
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

首藤(1985)が依拠した既往津波データは、日本海中部地震まで。これに2004年のインド洋大津波が加わり、マングローブを沿岸樹林とする防潮林研究が幾つか続く。jstage.jst.go.jp/article/proce1… や、jstage.jst.go.jp/article/proce1… の論考など。

2015-10-20 17:06:37
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

防潮林の津波低減効果がある程度保証されれば、開発途上国での防災事業として経費を安くすることができる。実はこの発想は、昭和8年の三陸大津波以後の日本でも話題になっている。

2015-10-20 17:08:32
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

それで11年の東日本大震災を経て、13年まで公開されている『土木工学論文集B2(海岸工学)』誌だけでも、防潮林に関する論文を11本ほど確認。巨大津波に対する防潮林の効果と限界が実地に試された。傾向としては「効果」を評価するか、「限界」を探るかの2パターンの論文に分かれる印象。

2015-10-20 18:01:37

宮城県の土木事業とのすりあわせ

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

それにしても、それにしても、防潮林の効果を評価するための条件設定は、地形や樹相や樹木の種類、等々の条件設定がえらく細かくなっていく。国内での防潮林の役割は、あくまで「2次的防護手段」であるとの認識が一般的だと思うが、付近住民はどの程度、防潮林についての知識を持つべきなのだろうか。

2015-10-20 18:08:42