神様というのはこう、理屈で割り切れない例外が発生したときに出現するエラーメッセージみたいなもので、エラーを表示できない機械は、例外の発生が認められないから、暴走してしまう
- lucifer_af
- 4789
- 0
- 10
- 0
神様というのはこう、理屈で割り切れない例外が発生したときに出現するエラーメッセージみたいなもので、エラーを表示できない機械は、例外の発生が認められないから、暴走してしまう
2011-01-17 12:48:36「神様は死んだ」とか、あんあものいらないと言っている人たちは、例外に対して、エラーメッセージを自分で作り出せるような人たちであることがあって、彼らにとっての神の不在は真なんだけれど、エラーメッセージを作れない人がそれを信じると、例外に対して脆弱になる
2011-01-17 12:49:50常識では認識できない、非常識に暫定的な理解を与えるために、神様というのはそこそこ上手に機能していて、それは目に見えないものだから第3者に運用されるリスクがあるんだけれど、伝統宗教は外乱に対してある程度ロバストであると言える
2011-01-17 12:51:32そのあたり、普段は「そんなものないよ」と言っている人が、何かのはずみで非常識に対峙せざるを得なくなって、一番簡単そうに使える認識ツールにバックドアが仕込まれてたりするのがカルトなんだと思う。
2011-01-17 12:52:44東大の学生だってカルトにどっぷり浸かる人はいるわけで、大学に入るとか、社会人になるとか、今までの常識セットが一時的に適用できなくなる、その人にとっての非常識を乗り越える道具として、そういうのは、迎える側が認識ツールを用意してもいいような気はする。
2011-01-17 12:54:12@medtoolz そうやって自分の認識に自信を持っている人ほど、「自分がカルトに引っかかるはずがない」という自負から、落ちるときは意外とあっけなく落ちるものだと聞いたことがあります。
2011-01-17 12:57:07@arcatdmz 「俺は正しいから論破されない」という前提で対話に挑むと、論破されることと、自分の信念を捨てることとが同義になってしまうから、あれ危ないですよね。。
2011-01-17 12:58:45@3oken 「世の中には不可解なものがある」という前提抜きで世界認識を作っちゃうと、いざ不可解を突きつけられたとして、説明不可能性が、そのまま全世界を否定してしまうと言うか
2011-01-17 13:35:51@medtoolz 私も特に信仰しているもんはありませんが、漠然とした無宗教は恐怖や怠惰に直面したときに結局“私”に依るしかないんですよね。 仰る通り、そこに自分なりの回答が出せりゃいいんですが、心身が弱ったときに信じるものが弱った自分しかないとぶっ壊れてしまいますね。
2011-01-17 13:20:03@orehaimomushi 「私の破壊」を真っ向から喰らうと、人間ぶっ壊れて、あれがまた、不思議と二度と再生しないですよね。。。。。
2011-01-17 13:36:31功利主義者というのは、世の中が理屈で割り切れるという前提を持ち込む代わり、例外処理は自分にツケを回せばいいや、と割り切っているところがある。口が冷たい代わり、振る舞いが妙にあったかい人が多い気がする
2011-01-17 14:04:12道徳や正義が好きな人たちは、やっぱり世の中を理屈で割り切る代わり、例外処理は、道徳からはみ出した人のせいになる。その人に見合った靴を用意する代わりに、サイズに合わない足の持ち主の骨を削ろうとする
2011-01-17 14:05:25功利主義者にとって、道徳を優先する人は「人でなし」であって、世の中の全ての人が人でなしになることで、なんとなく緩くて暖かい空気が生まれる。道徳が好きな人たちにとって、道徳をはみ出す人は「人でなし」であって、人じゃないから、冷たい手段を厭わない
2011-01-17 14:07:07