【論争ではない】ネット(SNS)の議論から得られる意義とは【会議ではない】
ネットには「オンラインのみの裁定者」はいない。 ネットではほとんどの場合「裁決」は行われない。 ネットでの決定に従う義務が生じるのは、サービス提供会社の仕様に従う場合のみで、それすらサービスからの脱会によって拒否できる。
2015-11-28 04:55:16決着が付かないのがデフォルトのネット(SNS)上で、何らかの決着(勝敗)が付き、勝者として敗者から何らかの利益やトロフィーを得られるわけではない以上、「双方が納得ずくの勝敗」を求めた議論(戦争)をハジメてしまった時点で、参会者全ての敗北である。 と、思う。
2015-11-28 04:56:32ネットでできることは、 ・設問(問い)の共有 ・異なる立場同士が集うことによって得られる「複数の視点」「前提条件を考えるための知識」の共有 ・出しあった視点や情報から導き出される「複数の選択肢」の共有 までで、「正解の選択肢を共有することは不可能」だしすべきでないと思う。
2015-11-28 04:58:02「それで何が正しい」または「自分にとって都合がいいのはどれか」というのは、立場によって異なるわけだから、決して共有はできない。 その「選択肢の選択」は持ち帰って個々がすればよいのであって、「選択肢の洗い出し」の場であるネット(SNS)上で、選択肢の確定の強要をするから揉めるのだ。
2015-11-28 04:59:07「きのこ」と「たけのこ」、 「つぶあん」と「こしあん」、 「犬」と「猫」、 これらの対立は、選択肢の提示(利点不利点の開示)はすれども、正解の選択肢を相手に強要しない。 たけのこの里とこしあんを選ぶとき、ネットからの強制は受けず、自分の判断が自分だけに結果を及ぼす。
2015-11-28 05:01:04ネットの向こうで、きのこの山をつぶあんに突っ込んで食べてる人がいたとしても、それをネットのこちら側の誰もが止めることはできない。 それを、「お前のアパート突き止めたから、今からこしあんとたけのこの里と唐揚げに掛ける塩レモン持って突撃するわ!」とかいうから揉めるのである。
2015-11-28 05:02:26明太子、糀南蛮、まぐろ酒盗、スナップエンドウ、カリカリ梅、ブリほぐし身、 これは「茶粥に合う選択肢」であり、そこから僕はほぐし身と酒盗を正解(自分の好み)として選んだけど、立場(好み)が違えばこの「僕にとっての正解」は「他の人にとっては不正解」になりうる。
2015-11-28 05:07:51また、この6種の付け合せ以外に、「おろしニンニクが合う」「なぜ山椒漬けを入れないのか」という選択肢を、別の誰かが追加してもいいわけで、ネット(SNS)での議論のメリットは正にそこ(選択肢の追加や検証)にあると思う。 自分一人だけでは参照の醤油漬けとか柚子胡椒には辿りつけない。
2015-11-28 05:09:31その意味で、最終的にその提案を選ぶかどうかは別としても、「自分では気づかない視点、情報、選択肢」を得るための手段としてのネット(SNS)での議論(というよりブレスト)は有意義であると思う。 自分の好みを他人にプレゼンすることもできるだろうけど、最終決定を強要はできない。
2015-11-28 05:10:50ましてや、「茶粥にこしあん入れない奴はバカ。そいつの赤ん坊を豚の餌にしろ」などと言ってもほとんど意味を持たない。 さらに「おまえの茶粥にこしあんを入れるために家まで押しかけてやる!」とかいうのは論外だし。
2015-11-28 05:11:47ところで、茶粥を炊くとき、半分は米でなくてもち麦とかにすると、火が通って米がゆるゆるになっても、もち麦のぷちぷちした食感が残るので大変よろしいと思うのだが、これもまた僕個人の意見(好み)。 オススメはしたい。
2015-11-28 05:13:11