正教会はローマカトリック教会とプロテスタント教会を異端視しているか?

日本ハリストス正教会クリメント北原司祭による回答です
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涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

1)「異端」という言葉の使い方が西方教会と違う事が外せない前提になります。現代の西方教会で「異端」といった場合、ほぼ「カルト」と重なるほどに強い表現になりますが、正教会の場合は「正教以外全て」を指す用語として使われています。続 @nobuyoshi21

2015-09-26 23:02:19
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

2)ですのでローマカトリックやプロテスタントも正教会からは「異端」です。ただローマカトリックやプロテスタントでは、「異端」と言う言葉を使うのは統一協会、エホバの証人、モルモンといった対象に限られますからギョっとされると思いますが、語彙用法が違うので…。続 @nobuyoshi21

2015-09-26 23:04:06
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

3)ですから「異端」と呼ぶからと言って、正教会は別にローマカトリックやプロテスタントを「カルト」として扱っている訳ではありません。時々これに対して「攻撃的だ」と非難して来られる方がいらっしゃいますが、私からは「語彙系統が違うだけです」と答えるのみです。続 @nobuyoshi21

2015-09-26 23:05:53
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

4)では「正教以外全てを異端」と呼ぶからといって、全て同列扱いかと言えば、違います。ローマカトリックでの洗礼と堅信、聖公会での洗礼、一部プロテスタントでの洗礼は有効と看做され、洗礼を経ず「帰正式」のみが行われる事があります。この場合で堅信が無い場合、続 @nobuyoshi21

2015-09-26 23:08:00
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

5)傅膏機密を帰正式とセットで行う事があります。続 @nobuyoshi21

2015-09-26 23:10:15
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

6)例えば私の場合は、日本基督教団での洗礼は「父と子と聖霊の御名」の祈祷文と、水を使っていたため、府主教座下の祝福を得て有効と看做されました(この場合も個別に主教判断が必要です)。しかし聖公会での堅信は無効とされました。膏を使っていなかったためです。続 @nobuyoshi21

2015-09-26 23:10:56
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

7)従いまして私の場合「主教祝福の下、帰正式+傅膏機密」を経て正教信者になりました。生神女庇護祭が主日に重なった、2001年のことです。…西方教会で言う所の「異端」ニュアンスなら「洗礼が有効と看做される」事は有り得ないでしょうが、つまりそうではないと…続 @nobuyoshi21

2015-09-26 23:12:33
押井徳馬@12/31東M-35b「はなごよみ」 @osito_kuma

@suzutuki1980 @nobuyoshi21 プロテスタントでは、教派にもよるかもしれませんが、その統一協会をはじめとする三宗教を「キリスト教を自称するが根本的な部分でキリスト教とかけ離れてるので、そもそもキリスト教ではない」「異端ですらない」と言ってました。

2015-09-26 23:12:49
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

8)実際、帰正式は正式には「異端者帰正式」と言う名称ですが、「異端者」が受けた洗礼も有効と看做されているのがこの式の前提ですから(無効であれば帰正式ではなく洗礼が必要になります)、その意味でも語彙用法が随分違う事が御理解頂けると思います。続 @nobuyoshi21

2015-09-26 23:14:43
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

9)次に、この御質問に対してお答えします。続 QT @nobuyoshi21 どこかの情報サイトでローマ法皇と正教会の主教様が会議で話してるのを見かけましたが、やはり双方歩み寄ることはないですよね?

2015-09-26 23:15:43
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

10)結論から申しますと A「歩み寄っている部分」と「歩み寄っていない部分」がある。 B全体的には「歩み寄ったと言える」「言えない」の評価は、人によって分かれる。 という事になろうかと思います。続 @nobuyoshi21

2015-09-26 23:17:46
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

11)Aについて。「同性愛は罪ではあるが迫害してはならない」とか、「教会での伝統的家族観に一致する法整備を国家に『期待』『要望』する」とか、そういった具体的な面での協力関係は、日本で想われているよりも遥かに西欧米で進められています。続 @nobuyoshi21

2015-09-26 23:20:04
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

12)Bについて。「相互領聖(インターコミュニオン)」は全く実現の兆しがありません。ローマカトリックは一方的に正教徒に聖体拝領を許可していますが、当方からの逆は兆しすらありません。また、ローマ教皇権を巡る見解の差は、完全に距離が開いたままです。続 @nobuyoshi21

2015-09-26 23:22:09
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

13)教理教義の面では、 「フィリオクェがメインの問題である」←解決済だ派・未解決だ派 「フィリオクェがメインの問題ではない」←別に問題がある派・別に問題は無い派 他にも様々な論点が東西両教会にあり、まだまだ実は論点整理すら途上なのが現状です。続 @nobuyoshi21

2015-09-26 23:24:03
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

14)ここからは私個人の予想になりますが、これからも正教会とローマカトリック教会の、個別具体的な社会問題での協力関係は深化していくものと思いますが、教義・教理関係での距離、および教皇権を巡る問題での距離は、百年かそこらで埋まる事は無いでしょう。続 @nobuyoshi21

2015-09-26 23:26:01
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

15)正教会は成長する伝統の中に生き、外から見た「変化」も緩慢ですが、ローマカトリック教会は「変化」が(内部の方は「変化してはいません」と仰いますが、傍目・外からは)激しく、論点整理しても30年後には使えなくなっているようにも見えますし、続 @nobuyoshi21

2015-09-26 23:28:11
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

16)またローマカトリックの教皇権が中世来の教会法の蓄積を全部引っ繰り返して正教会の総主教格に縮小するのは(少なくとも近い将来には)非現実的ですし、正教会が現時点でのローマ教皇権をそのまま認める事も全く有り得ません。続 @nobuyoshi21

2015-09-26 23:30:27
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

17)以上まとめますと ◇「協力が深まる部分」「距離が縮まらない部分」の両方がある。 ◇両方とも、極端に取ってはならない。酷い喧嘩には今後もならないが、しかし「同じ教会です」の一言で済ませられる状態には全くなりそうもない。 という事になるでしょう。了 @nobuyoshi21

2015-09-26 23:33:42
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

説明不足申し訳ありません…。仰る通り「あれらは異端ですらない」と仰る方も大勢いらっしゃいます。ただ現代西方教会では、一部所謂原理主義的な方以外、語彙「異端」自体避けるか、使うとしてもその「三大異端」に限定する事が多いと思います。 @osito_kuma @nobuyoshi21

2015-09-26 23:39:52