編集部イチオシ

AIDSの最初の治療薬は熊本大学で発見された理由は偶然ではない

なお出典は主としてWIKIPAEDIAによる。Naverも同じようだ。
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レ点🧬💉💊 @m0370

1型糖尿病って、治療の進歩によりインスリンがなければ絶対に生きられなかった人が普通に成長して仕事して結婚して…ということができるようになったので、医学の進歩の恩恵がもっともはっきりと見える病気の一つかもなぁ。

2015-11-27 08:23:14
レ点🧬💉💊 @m0370

昔ならほぼ100%死んでしまう病気が医学の進歩で普通に社会生活を送れるようになるって、1型糖尿病の他には何があるだろう?感染症の場合は致死率100%ってことはあまりないしな…。先天性食道閉鎖症とかかな。

2015-11-27 08:37:03
aya_furuta @qutrit_a

何度も書いているが、エイズもそうだ。30年前、エイズは発症したら決して助からない病気だった。世界中で若い人がどんどん倒れていき、なすすべもなかった。今ではもし感染しても発症を抑えることができ、普通の生活を送れて、子供も持てる。医学の劇的な進歩を目の当たりにした。

2015-11-28 06:57:25
aya_furuta @qutrit_a

今から30年前、エイズの治療薬開発は極めて困難だと思われていた。理由のひとつは、エイズの原因ウイルスが、自分の遺伝子を患者のDNAの中に組み込んでしまうレトロウイルスだからだ。患者のDNAに潜んだウイルスを排除するのは、極めて困難と思われた。 (1)

2015-11-28 11:48:10
aya_furuta @qutrit_a

だが1985年、米国立衛生研究所にいた熊本大出身の満屋裕明が、製薬会社が抗がん剤として開発したがモノにならなかったある化合物に、エイズウイルスの増殖を抑える作用があることを見いだした。(2)

2015-11-28 11:49:55
aya_furuta @qutrit_a

エイズウイルスは、自分のRNAからDNAを作って患者のDNAにはめ込む。DNAからRNAを作る普通の手順とは逆なので、「逆転写」と呼ぶ。満屋が見いだした化合物はこの逆転写に必要な酵素を抑え、ウイルスの増殖を妨げていた。この化合物が最初のエイズ治療薬AZTとなった。(3)

2015-11-28 11:54:15
aya_furuta @qutrit_a

最初のエイズ治療薬が、九州出身の満屋によって発見されたのは偶然ではない。満屋はそれまで、九州に多い成人T細胞白血病(ATL)を研究していた。ATLもレトロウイルスによって起きる病気で、エイズウイルスと同じく、T細胞に感染する。(4)

2015-11-28 11:55:29
aya_furuta @qutrit_a

満屋は友人の血液から採ったT細胞を培養し、薬の効果を簡単に判定できる実験系を作っていた。T細胞にエイズウイルスを加えると感染して死んでしまうが、この実験系だと細胞の生死が一目でわかる。これに候補物質を片っ端から加え、T細胞の死を防ぐものを探した。そしてAZTに行きついた。(5)

2015-11-28 12:01:07
aya_furuta @qutrit_a

AZTはそれだけでエイズを抑え込むことはできなかったが、何より「エイズウイルスの増殖は薬で抑えられる」ということ、そして「増殖を抑えれば患者の状態は良くなる」ことを知らしめた。暗中模索だった治療法探索に指針を与え、より良い抗HIV薬を目指す開発競争が始まった。(6)

2015-11-28 12:09:05
aya_furuta @qutrit_a

今では数十種類のエイズ治療薬がある。それらを組み合わせて飲み続けることで、ウイルスが血液から検出できないレベルに抑え込むことが可能になった。感染した人も、ごく普通の生活を送っている。(7)

2015-11-28 12:12:53
aya_furuta @qutrit_a

40代以上の人なら、若く、はつらつとしていたタレントやスポーツマンが次々とエイズに倒れ、亡くなっていった時代を覚えているだろう。今日、少なくとも先進国では、あのような光景は過去のものとなった。(8)

2015-11-28 12:14:34

1991年11月24日、HIV感染合併症によるニューモシスチス肺炎(カリニ肺炎)のため死去。45歳。

2000年2月23日にエイズによる合併症のため逝去した。(42歳)当時の首相エフード・バラックはハザの死に哀悼の意を表した。

ジア・マリー・キャランジ スーパーモデル
動画は1982年のものとされる。ヘロインを体内に取り込む際に使用した使い回しの注射針によってHIVに感染。1986年死亡 享年26歳
彼女をモデルにしたドラマGia(1998)はアンジェリーナ・ジョリーの出世作となった。

Isaac Asimov
1983年に受けた心臓バイパス手術の際に使用された輸血血液がHIVに汚染されていたことが原因1992年に死亡。享年72。動画は1989年のものとされる。死因については10年後の2002年に公表。

リンク NAVER まとめ エイズで死亡した有名人まとめ - NAVER まとめ エイズで死亡した有名人まとめのまとめ

1980年代から2000年代にかけて数多くの人たちが40代までには亡くなっている。
 また、2015年現在ユニセフの最新統計によると、エイズは10~19歳の青少年の死因としてアフリカでは第1位、全世界では第2位である。
http://www.afpbb.com/articles/-/3068251

aya_furuta @qutrit_a

後にエイズと呼ばれる免疫不全症の多発が米CDCの疾病週報に最初に報告されたのは1981年7月だ。原因も予後も何もわからないまま死者が激増していった。複数の治療薬が登場し、劇的に予後が改善したのは90年代半ばごろだ。その間、わずか15年。予想をはるかに上回る速さだった。(9)

2015-11-28 12:37:23
aya_furuta @qutrit_a

日ごろ、今の医学ではどうしようもない病気の方が目についてしまうものだが、医学の進歩のために、10年、20年前に比べて状況がはっきり改善した病気は少なくない。そのことは忘れないでいたいと思う。(終)

2015-11-28 12:43:38

補足その1

 満屋裕明臨床研究センター長は、世界初のエイズ治療薬「AZT(アジトチミジン)」を開発し、 その後も副作用が少ない「ddI(ジダノシン)」、「ddC(ザルシタビン)」と、 相次いでエイズの病原ウイルスであるHIVの逆転写酵素の働きを止める治療薬を開発しました。(編注:WIKIPEDIAでは、これが世界で2番目と3番目のAIDS治療薬とされている。)

また、HIVの成熟に関わる酵素の働きを止める薬(プロテアーゼ阻害剤)の開発にも取り組み、 米国の科学者との共同研究で開発した「ダルナビル」は、 途上国が特許料を払わずに使える医薬品として世界で初めて国連の機関に登録されました。

上記のようにHIV感染症とエイズに対する治療法の研究・開発が評価され、本受賞に至りました。
http://www.ncgm.go.jp/center_info/information/20150318.html
○つまり満屋氏はAIDS治療薬を現在までに4つ開発している。
(コメントを受けて確認)
※副作用が少ないという表現は日本学士院のHPの表記でWIKIPEDIAではありません。
※ddCは副作用があったので使われていない。(満屋氏)が、ddIは抗HIV治療ガイドラインにはあるが、行ってはならない組み合わせの一つにあげられている。)
↓抗HIV治療ガイドライン
http://www.haart-support.jp/guideline.htm