切り落とされた宦官の「だいじなもの」は、医学的に再生することがあった!?「ああ、男に戻りたい」執着と悲哀の中国史
さすが向こうの国で書かれた本だけあって、明清時代の宦官についての記事が詳しく、知らない名前の書物からの引用がバンバン出てきました。
2015-10-01 02:01:41明清時代の記録では、後宮で働いている宦官を対象にした「3年に1回の小手術」「5年に1回の大手術」が法令によって定められていた。 宦官たちの再生への執念は異常とも思えるものがあり、日頃から動物の陰部を食するなど、努力を怠らなかった。
2015-10-01 02:02:10手術の方法によっては、「残根」があるもの、潰されただけで摘出されていない「たま」を持つものがいて、まだ望みが持てた。 とくに8歳以下で宦官になったものには、とくに壮健で生命力に満ちていると、本当の意味で生えてくるものがいた。
2015-10-01 02:02:32明代になると、後宮の宮女と宦官が同棲して夫婦同然の暮らしをすることが日常の風景になり、皇帝もそれを許して「誰と付き合ってるんだ?」と聞くことがあった。
2015-10-01 02:03:16そのため、「再生」への需要は大きく、「再生」して栄達を遂げた宦官の中には、宮中の外に私邸を構え、実子をこしらえた人がいた。(賄賂は必須)
2015-10-01 02:03:35ちなみに、宦官の中には、中央官庁で働いていたエリートの士大夫階層に出自するものもいた。 その文才に目をつけた皇帝が「後宮での講師にピッタリだな」と思いついて、麻酔薬を盛り、切ってしまうよう指示して「お持ちかえり」することもあったという。
2015-10-01 02:03:50@fushunia なるほど、やっぱり「再生」ってあったんですね。名前を忘れてしまいましたが、後漢にも、男性機能が回復して宦官をやめて太守になった人物がいました。
2015-10-01 02:39:01@darql えっ~、漢代にもそんな人がいるんですか。読んだのは明清時代の本だったので、明清ならそんなこともあるのかな(近世社会なので)と思っていましたが。
2015-10-01 02:46:23@fushunia 調べたら、欒巴という人物でした。道家を好み、性は質朴で実直、他の宦官とは交わらず、経典ばかりを読み、男性機能が回復すると宦官を辞去し、順帝の清忠なる「八使」として選ばれ、太守になってからは鬼神を使役して悪い巫を始末し、郡中の怪異を鎮めたというトンデモな人です。
2015-10-01 03:02:28@darql ありがとうございます。『後漢書』杜楽劉李劉謝列伝の欒(らん)巴についての伝記ですね。「後に陽気通暢(つうちょう)し」という表現も面白いですね。つかえていたものが、滞りなく流れるようになるということで、動かなくなったものが、また動くようになったのでしょうか。
2015-10-01 03:28:18@fushunia その後の記述も合わせて、つっこみどころの多い謎の列伝ですね。漢代から、すでに息子を宦官にして一発当てることを目論んで、幼い頃に去勢させるとかしていたのかもしれませんね。
2015-10-01 03:33:07@darql そうすると、去勢の方法が気になりますね。完全切除じゃないのかも。それと、宦官とふつうの男性は生物学的にまったく違う存在と思いきや、その境界を行き来していた人がいたと当時知れていたということですから、士大夫と宦官の関係とか付き合いの研究にもちょっぴり影響しそうです。
2015-10-01 03:42:55@SagamiNoriaki 後漢時代にも、ふさがっていた「陽気」が通じるようになって、宦官を辞めて地方官や中央の官僚に出世した人がいると、返信ツイートで教えて頂いたところです。探せば、ほかにも事例がありそうですね。
2015-10-01 03:54:26@jiangjie2015 今回は、宦官が断絶の向こうにいる存在だとは限らないことが、人間の生理の上からも理解できて、思わぬ発見でした。
2015-10-02 00:28:59@jiangjie2015 唐が宦官の繁栄の時代というのは聞いていましたが、性質となると、詳しい方のお話を聞きたいものです。私が夏殷専門なので、唐と宋が似たようなものに見えてしまいます(^^;
2015-10-02 00:30:44@fushunia リプをいただきましてありがとうございます。ツイート大変勉強させていただいております。宦官について考える事がなかったので非常に感銘を受けました。唐宋の宦官についてお詳しい方、ツイッター界にいないものでしょうか(汗)
2015-10-02 00:34:37