人はどうしたら「客観的」になれるのか・・・「デカルトの亡霊」とのつきあい方

「自分ほどすべてのものを疑ってかかり、深く考えた人間はそうはいない。だから私の言うことは正しいのだ」と考える人は多い。そうした人は「デカルトの亡霊」に取りつかれている。それを考えてみた。
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shinshinohara @ShinShinohara

私の名前は「信」という字だ。そのため「信じる」とは何か、をずっと考えてきた。どうせなら絶対正しいことを信じたい。間違ったことを信じ込んでしまわないようにしたい。このため、「客観性」ということもずっと考えてきた。どうやったら信じるに足る客観的な考え方をもてるのか、と。

2016-01-13 18:50:20
shinshinohara @ShinShinohara

自分が賛成する意見だけでなく、反対の意見にも十分耳を傾け、その上で出した結論なら、客観的になる、ように思える。しかしこの発想法には罠がある。私はこれを「デカルトの亡霊」と呼んでいる。

2016-01-13 18:51:45
shinshinohara @ShinShinohara

デカルトは「方法序説」の中で ①すべてを疑え。ありとあらゆるものを。根底から。 ②疑う作業をし尽くしたら、今度は正しそうなものから思想を再構築せよ。 と訴えた。なるほど、この作業を徹底すれば、非常に客観的で正しい思想を持つことができそうな気が、する。

2016-01-13 18:53:35
shinshinohara @ShinShinohara

デカルト以後、「すべてを根底から疑い、自分の思想を再構築する」という作業が大流行した。別に思想家でなくても、「おまえ、一度自分の考えを疑ってみろよ」という言葉は日常的に出てくる。それくらいにデカルトの思想再構築の方法は、隅々にまで行き渡っていると言える。

2016-01-13 18:54:57
shinshinohara @ShinShinohara

では、デカルトの言うようにすべてを徹底して疑い、正しい知識から思想を再構築した人間は、客観的極まりない人間になっただろうか?少なくとも、本人はそうなったつもりにはなる。「これだけすべてを疑い、正しい知識だけをチョイスするつらい作業をやり遂げたんだ。間違っているはずがない。」

2016-01-13 18:56:40
shinshinohara @ShinShinohara

デカルトの言う通り、すべてを疑い、思想を再構築したであろう人々が、歴史に名を刻んでいる。ロベスピエール、レーニン、ポル・ポトなど、枚挙にいとまがない。自分の思想は絶対間違いないと信じ、「後世の人が必ず評価してくれるだろう」と信じ、大量虐殺を実行した。

2016-01-13 18:58:17
shinshinohara @ShinShinohara

自分の大好きな思想も疑い、自分の大嫌いな思想も吟味したうえで、思想を再構築するというつらい作業を終えたのに、どうしてポル・ポトのような狂信的な思想家が生まれてしまったのだろう?なぜロベスピエールやレーニンは自分の思想の正しさを疑わなかったのだろう?それが「デカルトの亡霊」だ。

2016-01-13 18:59:55
shinshinohara @ShinShinohara

デカルトの言うようにすべてを疑い、正しい知識を組み合わせて思想を再構築すれば、完全客観的な思想を手にできるような、気がする。しかしそれが「気のせい」なのだ。思想を再構築する際、自分の好みの知識をチョイスしてしまうのを免れないのだ。「我思う前に好みあり」なのだ。

2016-01-13 19:01:34
shinshinohara @ShinShinohara

知らず知らずのうちに、嫌いな知識は間違っているとみなし、好きな知識は正しいとみなして、思想を再構築してしまう。しかし、徹底して疑うというつらい作業をしたと自負する気持ちがあるため、自分の思想は極めて客観的だと誤認してしまう。それが「デカルトの亡霊」の正体だ。

2016-01-13 19:03:58
shinshinohara @ShinShinohara

デカルトの方法は、正しく客観的な思想を手に入れる素晴らしい方法のように思える。だから構成の人々を魅了し続けた。しかしどうやら、「我思う前に好みあり」なのだ。再構築した思想も好みの影響を色濃く受ける。なのに客観的だという自画像だけ肥大する。こうして「デカルトの亡霊」に取りつかれる。

2016-01-13 19:06:32

構成の->後世の

shinshinohara @ShinShinohara

「デカルトの亡霊」に取りつかれると厄介なのは、「俺は絶対正しい」という絶大なる自信を植え付けてしまうことだ。「すべてを疑い尽くすというつらい作業を徹底した人間は、世の中にそうはいない。それを実践した俺が間違っているはずがない」という思いが、自信の強い裏付けになってしまうのだ。

2016-01-13 19:09:10
shinshinohara @ShinShinohara

しかし残念ながら、思想を再構築する際に「正しく、客観的」と思ってチョイスした知識は、好みをどうしても反映してしまう。「正しく客観的」になりきることはできないのだ。どうしても主観的。なのに自画像は「正しく客観的」。このズレを起こすのが、「デカルトの亡霊」である。

2016-01-13 19:10:56
shinshinohara @ShinShinohara

養老猛氏「バカの壁」によると、人には好みがあるために、嫌いな話には心理的な壁を設け、聞こうとしない「バカの壁」ができる、という。「デカルトの亡霊」に取りつかれた人々は、「バカの壁」をも乗り越えたと自負する。だって、嫌いな話だって十分耳を傾けて吟味したのだから、と。

2016-01-13 19:12:55
shinshinohara @ShinShinohara

しかし「バカの壁」を破壊したとしても「バカのフィルター」は無意識のうちに残ってしまうのだ。嫌いな話はフィルターでこしとられてしまう。好きな話の欠点は「あばたもえくぼ」になり、嫌いな話の長所は「顰に倣う」になってしまう。やはり好みで判断してしまうことは避けられない。

2016-01-13 19:16:19
shinshinohara @ShinShinohara

真に正しく客観的になりたいならば「デカルトの亡霊」に取りつかれないように注意しなければならない。好みをチョイスして思想を再構築してしまっている恐れがある、という現実を認めるところから出発する必要がある。しかし残念ながら、人間はどうしたって、主観的にならざるを得ないのだ。

2016-01-13 19:18:26
shinshinohara @ShinShinohara

デカルトの方法をもってしても、無意識に働く「好み」によって、主観的な思想にならざるを得ないのだとしたら、「正しく客観的」な思想にどうしてたどり着くことができるのだろう?少なくとも、私たち人間は、「正しく客観的」な存在にはなりえない、という諦念を持つ必要はありそうだ。

2016-01-13 19:19:53
shinshinohara @ShinShinohara

では「どうせ正しく客観的な人間になることが不可能なら、積極的に主観的人間になろうではないか」と居直るのがよいかというと、どうかと思う。「正しく客観的」にはなり得ないが、なるべく近づくことはできるし、近づこうと努力すべきだ。なぜなら主観的であることに居直っても、自分が困るからだ。

2016-01-13 19:22:04
shinshinohara @ShinShinohara

人間は、赤ん坊として生まれ落ちた瞬間から「主観的に居直った状態では生きられない」ことを思い知らされる。好きな時にミルクが飲めるとは限らない。同じ年頃の友達が気前よくおもちゃを貸してくれるとは限らない。思い通りにならないのがこの世界、ということを思い知らされる。

2016-01-13 19:23:40
shinshinohara @ShinShinohara

「自分の好みを全く配慮することなく、この世界は進むものらしい」ということを認識して初めて、人間は「客観的に物事を考えること」の大切さを知る。客観性を重んじるのは、好みに左右されがちな主観的な我々が、この世界とどう折り合いをつけるか、ということから始まっている。

2016-01-13 19:25:05
shinshinohara @ShinShinohara

主観的に生きたくても、この世界と折り合いをつけるには客観的な思考が必要となる。しかし人間は、絶対的な客観性を獲得できない、不完全な存在。矛盾してしまっている。はてさて、どうしたものだろうか。主観的にならざるを得ない私たち人間が、客観性を持つにはどうしたらよいのだろう?

2016-01-13 19:27:13
shinshinohara @ShinShinohara

正しい回答だとは思わないが、今のところ私はこうしている。自分の中にもう一人、自分の好みとは全く逆の人格を想定し、私の嫌いなことばかり好むという設定にしている。そして、その別人格は、自分の好みを正当化するためにありとあらゆるデータを収集し、私を論破しようとする、という想定。

2016-01-13 19:28:58
shinshinohara @ShinShinohara

自分の中で育てたその論客は、非常に難敵。自分の好みの思想の弱点を巧みに突いてくるから、基本的に防戦一方。どうしたら反撃に移れるか、いつも考える。そうしたら、「むこう」もその反撃に備えて別の対策を取る。やむことのないデッドヒートを繰り返している。

2016-01-13 19:30:50
shinshinohara @ShinShinohara

だから私は、本来の自分の好みとは全く逆の立場から議論をしても、相手を論破する自信があったりする。自分自身だからこそ、「そこを突かれると痛いな」という弱点をよく知っているからだ。

2016-01-13 19:32:54
shinshinohara @ShinShinohara

こうして、私の内部の「嫌いな論敵」は、私の好きな思想の弱点を徹底して突き、しばしば言い返せなくなる。しかし好みの思想はやはり応援したいので、反撃の材料を必死になって探す。そうして、思想を鍛え続けるという作業を、今のところ選んでいる。

2016-01-13 19:34:20