- streakingpig
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6歳娘「ねえお兄ちゃん、小学校にもオニがくる?(節分の)」 10歳息子「来ないよ」 娘「ずるい…保育園にはオニ来るのに…保育園の子どもの方がちいさいから泣いちゃうのに…」 息子「多分だけど…鬼は弱いやつから狙う」 「オニ…さすがのわるさだ!!」
2016-01-31 21:51:27口調がまんまよつばとでうそくさいんだけどこういうエピソードは多少盛った方がほっこりできるし、ぼくらはみな現実より虚構によって救われるからフィクションを読む感覚で安心してだまされれば何の問題もない 創作物をよってたかって「現実とは違う」とか吹き上がるやつは何もわかっちゃいないのだ
2016-02-01 08:31:30今ふと思ったのだが、本を読んだときに本の内容を受容したり否認したりするメカニズムというのはどういう「本能」とか「適者生存の結果」で形成されているんだろうか。
2016-02-01 08:35:34三国志演義の方が正史三国志よりも好きな人が多いけど、みんな正史(というか「本当はこうだ」という言葉)も気になる、というのはどういう心情なのか 「真実を知りたいという欲求」みたいなものが創作物に対しても適用されるというのは、あれ、「何欲」なんだろうか
2016-02-01 08:36:11言語をもたない動物も、「擬態」とか「潜伏」など、言ってみれば「ウソ・だまくらかし」を用いて生き延びていくわけで、「真実を見抜く本能」というのはあっていいかなと思うんだけれども、それが言語を用いる人類の「フィクションがはいると許せない」という感情とリンクするものなのか。別モノか
2016-02-01 08:38:20「芸能情報に真実を求める」というのもいったい何なんだ、何がしたいんだ……というところまで行きかけてふと止まった 芸能情報の真贋について騒いでいる人々がやりたいのは「真実が知りたい」ということとは限らない。「みんなが盛り上がってる話題に一丁噛みたい」というのもでかいかもしれない
2016-02-01 08:45:44「世の中に敷衍している情報に触れ、それに自分も参画すること」、あるいは「そうしているように思える幻想」というのは、集団生活でハブられれば即死につながる「身体能力が低く、言語をもつ生物」の本能なのかも知れないね 真贋はどうでもいいけど真贋さがしゲームにはコミュニケーションを伴うから
2016-02-01 08:47:17「ウソを見抜く力がないと生き抜けないからだと思う」という考えはあると思うのだが、実際、「だまされたまま長生きして死んで行く人間」なんてものすごい数いるわけだし、「真実を見抜き続けた方がよいアウトカムにつながる」という証拠は全くないと思うし、実際ウソにまみれて幸せな人いっぱいいる
2016-02-01 08:53:31ちょっとだけ話の方向が変わるんだけど、俺自身は「だまされたままなのは嫌だ」と思っているし、「科学的に妥当だと言われる話のほうが好きだ」という好みがあるので、たとえば医療デマとかニセ医学のことは「大嫌い」なんだけど、
2016-02-01 08:56:37デマやニセ医学を根絶しようとする人達が「デマによって実際に被害が出ていると主張すること」自体はまだ「統計学的に」つっこみどころがある気がしている。「このデマがなければ幸せな人がいた」かどうか、本当に統計学的に調べたのか?ということも考えている
2016-02-01 08:57:40「デマ、ニセ医療によって本来うけとるべき幸せを失った1例」という1例報告を積み重ねても、それは「薬による副作用の1例」を積み重ねたのと同じなので、真実を追いたい人間としては「デマやニセ医療によって、あきらかに人間が不幸になることを傾向として示して欲しい」と思ったりするのだ
2016-02-01 08:58:44個人的にデマとかニセ医療を用いるひとたちの「心根」が大嫌いなので、そいつらをボコボコにするために、「少なくとも科学的にはおまえらは全く妥当じゃない」というのを真摯につっこんでいきたいのだ。
2016-02-01 09:00:15でも、デマとかニセ医療を叩くときに用いる武器が「外来で実際にニセ医療にダマされている人がいた。」という1例報告だったりするとがっかりする。それじゃあだめなのだ。対等に戦っているだけではないか。
2016-02-01 09:00:37「真実を見抜きたいという本能」「うそにはだまされたくないという心」にうそはつきたくない。しかし、真実に近づきたいというなら「自分が真実だと思うものを持ち上げるために方便を用いる」といのをやってはだめだと思う。その意味で、世に出ている「ニセ医療を叩く本」というのはほぼ中途半端だ
2016-02-01 09:01:41一つの症例報告のエビデンスは低いが、症例報告から全てがはじまる。実際の健康被害を伴うタイプのニセ医療において「症例報告だけで終わる」事例は、むしろ幸いである。だからこそ「症例報告だけ」の事例を取り上げることにも十分な価値があると考えるよ、僕は。
2016-02-01 09:24:51ぼく自身はNarrativeな「1例対比」を主にやっているという「市中病院病理医の1例」ですので、「1例報告自体の価値」というのはよくわかっているつもりです。たとえば「○○は基本ありえない」と主張している人に「いや、こういう例もあるんだ」とぶつけるのはかなりの効果がある。
2016-02-01 09:27:46さらには、「このような1例があった。示唆的だ。なぜならメカニズムとしてこれこれこういうものがabductionされる。」という検討は、evidence-basedだけでは決してたどり着けない「仮説形成」をすることができるため非常に有用です。
2016-02-01 09:28:31一方、ぼくがさきほどの連続ツイートで言いたいのは、「ある種の菌が体にいい。わたしはこれで○○が治った!(※個人の感想です)」みたいなニセ医学、デマの類いに対し、医の知性を提供する側が「その種の菌では人が死ぬことだってあるんだ」と反論することは「1例 vs 1例」であるということ。
2016-02-01 09:29:42デマやニセ医学の類いを駆逐したいというのはぼくを含めた多くの医療関係者の「使命感」でもあり「理屈をこえた好みの問題」でもあるわけです。つい、「そんな危ないことして……○○という副作用が起こったらどうするんだ!」という1例で戦おうとしてしまいます。でも、それだけじゃ「相手の土俵」だ
2016-02-01 09:30:40そんなことを考えて、「デマやニセ医療をつぶそうと思ったとき、1例報告に頼るような手法で非医療者の目をひくスタイルは、相手の土俵で戦うようなもので拡散力がない分こっちが不利かも知れない」という内容のツイートをしているわけです。1例報告自体はぼくは好きですが、使い所が違う。
2016-02-01 09:31:45前にもつぶやいたんで今日はやめとこうと思ったんだけど、ぼく自身は「ニセ医学やデマを個別にとりあげ、面と向かって罵倒するタイプのツイート」をしないようにしています。総論としてそういうのが嫌いだというのは何度か申し上げていますけどね。個別にとりあげると宣伝になっちゃう
2016-02-01 09:45:32個別にとりあげて、1例報告的スタイルでやりあうと、「むしろとりあげないほうがよかったのでは」「個別に戦わないほうがよかったのでは」となるかもな……と「推測」しているので、ぼく自身は「自分が頼りにしている科学的手法をはずれないように、自分の言葉や主張に注意する」まででやめています
2016-02-01 09:48:28うむ。実際のところ、いろいろ言ったところで最も一般層への訴求力が強いのは「1例上げる」こと。だから、それ「も」有効に使うのが効果的。使える武器なら何でも使うべき。それ「だけ」を使うべきではないが、まぁそれはそれ。自分でそれ以外のエビデンスを示せるなら、別に共闘する手もあるんやで
2016-02-01 09:50:11~ 個人的感想 ~
本当にその通りでなにも医療にかかわることだけじゃない。
バカに「バーカバーカ」というのは簡単だけど「どうしてバカなのか」を説明出来ない限り単なる感情論でしかないおね。
バカにどうしてバカなのかを説明しても99.9%直らない(震災後に痛感)のはわかってるんだが、少なくとも自分の手が届くところまではバカを増やさないためにはすごく必要だと思いましたまる