絵のモデル兼画家の愛人のあさひさんと、堅実な画商だいちさんのパラレル妄想がたのしい ある日だいちさんが画家のところへ品物を受け取りに行ったら、寝台に一糸まとわぬあさひさんが転がっているんだ
2016-01-05 07:52:18その画家はモデルーーそれはたったひとりの男だったーーを背中から描くのが得意で、そのジャポニズム的な構図と吸い付きそうな膚の質感の描写で一世を風靡していて、だいちさんも何作か扱っていた。その日も買取りをする約束で小高い丘の上のアトリエを訪れたけど、画家はあいにく不在で、
2016-01-05 08:34:48かわりにアトリエの中央に置かれた寝台に素っ裸の男が寝ていた。そのむき出しの背中を見て、だいちさんはひと目で、彼が画家のモデル、あの背中の男だと気づいた。彼ーーあさひさんは画家のアトリエで寝起きをしていて、起きているときでもキモノ風のガウンをだらしなく引っかけているだけで
2016-01-05 08:43:27足もとは素足にミュールを履くのみで、踝の出っ張りや凹凸のはっきりとしたふくらはぎを曝け出していたし、だいちさんが初めて出会ったこの日だって、来客に気づいて目覚めたあさひさんは下着をつけずにそれらを身に纏うと、眉尻を少し下げて困ったような笑顔で、お客さんですか、と言ったのだった。
2016-01-05 12:16:27ジェジュ・クリの油彩画もプロスティチュエの素描もモデルはあさひさんだったし、ろうそくの灯りのもと、生まれたままの姿にたくさんの宝飾品のみを身につけて寝台に横たわる姿を描いた絵は、その退廃さが一部の好事家を虜にしたのであったが、画家はその絵だけは頑なに手放そうとしなかった
2016-01-05 19:17:08暗い赤のリドーを閉め切ったふたりきりのアトリエで、画家は宝石や珊瑚や真珠を幾重にも連ねた首飾りや腕輪、金細工の鎖をひとつひとつあさひさんの裸体に手ずからあしらっては留め金を丁寧に繋いでいって、あさひさんは膚に触れるそれらの冷たさに小さく身じろぎしては、重たいなとくすくす笑い、
2016-01-05 20:23:33画家は浅黒くしなやかな膚と乳白色に艶めく真珠や南の海のようなサフィール、ろうそくの灯りで粘っこく輝く金細工とのコントラストを喜び、装飾品をつけたままのあさひさんの手を引いてアトリエのあちらこちらに佇ませたり、生の牡蛎を食べさせて嚥下するさまをひたすら眺めていたりしたのであった
2016-01-05 21:37:13あまり外に出ない生活を送っているあさひさんだけど、街を流れる川の中洲に建つ大聖堂に行くのは好きで、たまにひとりでふらふらと出掛けている。ある日だいちさんが地方からの客の観光の付き添いで大聖堂に足を運ぶと、偶然にも、あさひさんが手を組んで聖母像に一心に祈っている姿
2016-01-06 12:30:39(さすがに今日は服を着て靴を履いていた)を見かけて、爛れた性生活を伝え聞いていただいちさんは意外に思ったのであった。当然声をかけることなくその場を立ち去ったけれども、だいちさんたちが大聖堂を去るときにもまだあさひさんは祈っていた。
2016-01-06 12:31:46学生時代からの友人であるスガさんに誘われて、風車の名前を冠するキャバレーに初めて遊びにきただいちさんは、自分は踊りはしないものの楽しんでいた。わっと背後の一画からひときわ大きな歓声と笑い声があがり、何事かと振り返ったら、あさひさんが件の画家と踊っていて、あさひさんが軽やかに
2016-01-06 18:12:44回るたびに風変わりなヴェストゥの裾が翻って、そういえば画家のアトリエはこの近くだった、と冷静に思いながらも、だいちさんは目を離せなかった。すると、あさひさんと目が合った。だいちさんが軽く会釈をすると、にっこり笑ったあさひさんは、なにも言わず近づいてだいちさんの手を引くと
2016-01-06 18:15:29戸惑う彼をリードして踊り出して、それを画家も微笑みながら椅子に腰掛けシードルを呑みつつ眺めているものだから、ますますだいちさんは混乱してしまった。結局その後一時間くらい踊らされて、へとへとになっただいちさんはスガさんにあさひさんのことを聞かれて、俺が知りたい、とこぼしたのだった。
2016-01-06 18:19:34嬌声をごまかすために、狭くとっちらかった寝室でレコードを回すシチュエーション好きだし(キスしながらベッドから裸の腕を伸ばして、レコードに針を落としてほしい)、そのレコードがムード皆無な行進曲とかだったらなおさら良い
2016-01-06 19:26:15ある夏の夕暮れ、だいちさんが通りを歩いていると、カフェのテラス席から彼を呼び止める声がする。振り向くと件の画家が手を振っていて、アペリティフをご一緒に、と誘ってくる。その横には頬杖を突いたあさひさんがにこにこ笑っている。半月ほど前のキャバレーの夜以来彼らとは会っていなかったので
2016-01-14 23:52:42だいちさんは正直戸惑ったけど、特に今夜の予定も断る理由もないし、俗人としての好奇心と画商としての打算も少しは手伝って同じ席についた。画家の愛人が頭に載せているのと同じ麦わらの色をしたシェリーをひと息に煽る画家は、風変わりだという評判とは裏腹に気さくで話運びもうまく、気づいたら
2016-01-15 00:04:39だいちさんはその後そのカフェからはさほど離れてはいない画家のアトリエで一緒に夕食を摂ることになっていた。アトリエに入ると油絵具と溶き油の匂いが鼻につき、中央に置かれた天蓋付きの寝台――あさひさんと初めて出会った時、彼がそこに素っ裸のまま転がっていたことを思い出し、なんとはなしに
2016-01-15 00:16:10目を逸らし、そしてその先にあったカンバスにだいちさんは釘付けになった。それは、均整のとれた裸身に豪奢な装飾品のみを幾重にも纏い寝台にしどけなく横たわる男を描いた未完成のカンバスで、モデルは明らかに画家の愛人だった。絵の中の茶色の瞳は澄んでいるが茫洋としていて、どこかこの世ではない
2016-01-15 00:21:38ものを見ているようかのようであった。まだ完成していないものの、素晴らしい一枚となるであろう、とだいちさんは息を呑んだ。画家はだいちさんの視線の行方に気が付くと、満更でもなさそうに笑って、それはわたしのシェドゥーヴルになるだろう、と頷いた。完成しても売る気はないよ、と付け加え、
2016-01-15 00:32:13わたしは今日は君を友人として招いたんだ、とアトリエの掃き出し窓から続く中庭にだいちさんを案内した。たくさんの蝋燭やランプで灯されたそこで、骨付きのハム、ジャガイモの冷たいポタージュ――大西洋を挟んだ大陸生まれの新しいこの料理をだいちさんは初めて口にしたが、意外と口にあった――
2016-01-15 00:40:49