- tokunagamotozi
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Go!プリンセスプリキュアについてちょっと書きたい。既に50話が終わって2週間が経ち、既に次の魔法つかいプリキュアが始まっているのだけど。
2016-02-12 22:58:33考えてみればわかるけれど魔法少女ものというジャンルの本流の流れを作ってきたのは東映動画である。東映が魔法少女サリーを作らなければこのジャンルは存在しなかった。それから今年で50年目だ。
2016-02-12 23:02:4980年代の一時期、本流がぴえろに移った時期もあったけど、90年代に戦隊ものの流れを取り入れたセーラームーン以後は再び東映が本流を担ってきた。
2016-02-12 23:08:0790年代末期、21世紀初頭、マッドハウスのさくら以後萌え作品氾濫で魔法少女ものが消え果た時もあった。その時はメインターゲットを幼女に絞ったおジャ魔女で魔法少女もののアウトラインを引き直し、その後小学生女子をターゲットに作られたのがプリキュアシリーズだった
2016-02-12 23:11:28本流がしっかりしていて邪道ものも、パロディも成立する。邪道もの(「大魔法峠」「撲殺天使ドクロちゃん」)によって魔法少女という作品で出来る枠も広がっていたので、ドラゴンボールで培われた格闘ものの作画をあらん限り込めたのがプリキュアシリーズだった。
2016-02-12 23:15:54メインターゲットの小学生女子だけでなくアクションのすごさで男子にも人気を呼び長期シリーズになった。だけど今は元気がない。メインとしていた小学生女子はアイドルへ、男子は妖怪へ流れていったからというのが一つの説だ。今支えているのは昔からシリーズを見ていた大きな友達か幼女だけ
2016-02-12 23:21:40だから、路線を変更しようというのはある意味正しい選択だ。もう一度戦闘がメインでない魔法つかいへ、世界的にメルヘンが受けているので(ハリポッターやら指輪物語やら)その路線で魔法少女ものを再定義しようとしている。ジャンルが長く続いて欲しいので、支持もしたい。
2016-02-12 23:25:42だけど、それとは別個に完成度の高かった戦闘魔法少女(ヒーローもの)の集大成としてGO!プリンセスプリキュアという作品に注目したいのだ。なぜか、戦闘作画がいいから?いいや、扱っているテーマによって。
2016-02-12 23:29:09プリキュアとまどかのMADはドキドキが一番多く(同時期だったから)、Go ぷりは精々、ゆいほむらぐらいだ。でも、テーマでの引き継ぎ具合では、まどかの出した設問のプリキュア側からの回答がGoぷりだと言えるぐらいだ。
2016-02-12 23:33:31プリキュアでは女の子の普通というテーマで描いていたのは初期ぐらいで、二項対立の概念をテーマにすることが多い。光と闇、ハーモニーとノイズ、バッドエンドとグッドエンド、友情と自己中等々
2016-02-12 23:38:32普通というテーマは追いかけるとネタ切れになることを既に学んでいるのだろう。ただ、光と闇、ハーモーニーとノイズ、バッドエンドとグッドエンド、友情と自己中はお話の都合から二項対比になっているけどどうとでも解釈できる。何が闇で何が光か?ノイズの解釈は時代によって違う...
2016-02-12 23:46:12悲劇的な話のほうが後世に残りやすい。友情や協力の押しつけは全体主義に繋がるなど。で、今回は夢と絶望という魔法少女らしいオーソドッグなテーマに行き着いたというわけだ。これってまどかのテーマでもある。
2016-02-12 23:50:14今回の話の締めは絶望は夢がある限り消えない。でも夢も消せない。何度でも乗り越えるよ。絶望も自分を作った一部なのだからというところに落ちついた。まどかが生まれる前に魔女を消し去りたいと言ったのとは対照的に
2016-02-12 23:54:29なぜそうなったのか。それはまどかマギカの魔法少女が死人で希望や絶望が死者が見る走馬燈なのに、Go!プリの少女が生きていて成長しているから。でこの答こそ普通の少女を押し付け来るほむらへの回答となっている。ただ、プリキュアも終わればAS為サザエさん時空になること無視してだが
2016-02-13 00:03:50普通の少女は成長し夢も見れば絶望もし、別れや喪失も体験する。それなくして普通は存在しない。だから絶望をすべて消し去るまどかも魔女ならまどかを普通に閉じ込めようとするほむらも魔女なのだ。
2016-02-13 00:08:55Goぷりは魔法少女ものに欠けていた成長の話をどうやらアイドルものから学んだらしい。だから主人公が和菓子屋の娘ではるかさんなのも、過去の自分のことをあなたと別キャラであるかの如くいうのも、きららとはるかの関係が美希と春香っぽいのも偶然でないだろう
2016-02-13 00:18:39ただ、まどかに在ってGoぷりにない要素として階級格差というのがある。Goぷりのキャラたちは全員セレブだ。だから彼らにドキぷりのキャラのような権力志向、上昇志向がない。ドキぷりの場合、財閥の娘であるアリスですらその地位を守るための強い意志があった。みなみの場合は責任感ばかりだ
2016-02-13 00:28:52Goぷりで一番上昇志向が高いのはきららだけど彼女の場合、一流のセレブになって母親と並びたいが夢の本質であったりする。一方、立花の医者になりたいは母親に並びたいでなく自立したいが本質だと思う。
2016-02-13 01:01:23Goぷりはるかは野暮ったく見えても老舗和菓子屋の娘なので旧家のご息女といえなくもない、だから、プリンセスという非現実の夢を追いかけられるのだ。Goぷりの娘らが結局追いかけているのはプリンセスの品格というやつ (劇中用語でいえば「強く、優しく、美しく」)
2016-02-13 01:12:50本物以上に本物を目指して頑張っている。だから目標が全員違うはずなのに全員で仲良くプリンセスレッスンを受けることになっている。きららやみなみはるかに合わせているわけでなく、グランプリンセスになるための特訓もノーブルの他の授業と同様、セレブとしての資質を磨く特訓になっているんだろう
2016-02-13 01:21:05で、見ている側にとってはそれを過去のプリキュアに学びながらそれらの集大成としての本物のヒーロー(戦う美少女ヒロイン)になってゆく過程として映るわけだ。だから物語の締めで「絶望は消えないけど何度でも越えてゆくよ。夢も消せないから」と言われると感動できるのである
2016-02-13 01:28:06