氷下の天使#1 天使を漁する者◆2
_約束は心に開けられない鍵を作る。鍵が差し込まれるまで開かれることのない引き出しだ。思い出も、大事なものも、約束をした時のまま凍り付いて、流れ出すことは無い。ベルシルムにも約束があった。果たせなかった約束。いつか叶えると、約束した約束。 11
2016-02-18 17:18:40_ベルシルムは信じていた。自分自身が、約束を果たすことを。決して裏切ることは無いと、自分に言い聞かせて、いつか果たすべき約束を思う。 彼女はどうだろうか。約束を交わした相手。今となっては、彼女に裏切られてもいいとさえ思う。 12
2016-02-18 17:25:50_時が再び動き出す。ベルシルムはゆらゆらと揺れる船上にいた。観光客の娘が訝し気に彼を見ている。手にした潜水ヘルメットを持つ手がどうしていいか分からないようだ。 「あ、すみません。知り合いによく似ていたもので……ヘルメットはもう片付けましょう」 そう言って受け取る。 13
2016-02-18 17:30:47_港に帰る船。観光客は皆満足げだ。5年前より明るくなった漁港が船を迎える。観光産業に力を入れた漁村は、観光客の誘致や観光施設の建設を次々と進めている。街の外観は目まぐるしく変わり、流れる観光客の姿も滞る所を知らない。 ベルシルムは船から降りる客を静かに見送った。 14
2016-02-18 17:36:16_未来に向かって前進していく港。ベルシルムは自問した。 (俺は変われているだろうか。5年の歳月は短すぎた。俺は成長できただろうか) 彼のやっていたことといえば、ひたむきに、しがみつくように漁を続けたことくらいだ。港の変貌をどこか遠くの出来事のように感じる。 15
2016-02-18 17:40:34「この辺においしい店ありますか?」 不意に話しかけられて、ベルシルムは顔をあげる。さっきの観光客の娘だ。照れて笑いながら、近くの酒屋を紹介してやった。 今度こそ一人だ。ベルシルムは船を背に、灯台の立つ崖の上の岬へと歩いて行った。 16
2016-02-18 17:47:08_岬の先端に立つと、遠くまで氷山の海が見渡せる。だが、彼は海の景色に興味は無い。陸側の、うっそうと茂るタイガの森をぼんやりと見ていた。 街の開発が進み、海岸近くまであった森は年々その大きさを減らしていく。そのさらに向こうに、約束の場所があった。 17
2016-02-18 17:52:06_針葉樹の濃緑が、ぽっかりと口を開けた場所。近くに沢があり、水と光の溢れる場所。そこは、ベルシルムが子供のころ見つけた、とっておきの場所だった。 どんな観光客も知らない、興味も示さない。ただ、彼女は違っていた。いつか行きたいと言ってくれたのだ。 18
2016-02-18 17:56:15(俺は待つ。いつまでも待つ。約束を果たすために……) しかし、視界に彼女は映らない。諦めて岬から下ると、酒瓶片手にフラフラ歩いている二人組の観光客が目に映った。 思わず笑顔がこぼれる。全く、5年前と変わっていない奴らだと。 19
2016-02-18 18:00:34_手を振って彼らを呼ぶ。名前も覚えている。背の高い方がフィル。低い方がレッドだ。5年前と変わらないお揃いのトレンチコート。この観光客は……5年前彼女と約束を交わした時の、大事な立会人だった。 20
2016-02-18 18:04:42【用語解説】 【針葉樹】 灰土地域の北方、極北冠状荒地からモスルートにかけて生育する樹木。北部は寒すぎて碌な植物が育たないが、寒冷地に適応した針葉樹だけはよく育つ。建材や燃料として役立ち、木材のチップはキノコの栽培に活用される
2016-02-18 18:24:17