- tebasaki_s
- 2075
- 8
- 1
- 0
瀬戸さんの「西部ニューギニアの攻防」、前半部の戦いが終わってみたら何故か守勢に立っていたという、冒頭のニューギニア戦と昭和18年の説明が巧い。流石だ。そして、ラバウルを側面陣地として考えるのは目からウロコ。
2016-03-05 19:02:52ニューギニア戦ってあまり取り上げられないけど、戦史的にはすごく研究の余地が残っていると思う。もう一回読みなおしてくる。
2016-03-05 19:08:03担当編集者としては、嬉しゅうございます。これまでは研究するためのツールが知られてなかったんですよ。で筆者の瀬戸さんとかと、勉強していて、ツールが見つかったんです。海洋戦略のミラン・ヴェゴの「ポジション」とかリンドの「機動戦」とか。 twitter.com/Reito_Hiraoka/…
2016-03-05 19:13:54@saemonhiguchi 興味深く拝読させていただきました。月並みな感想しかいえませんが、新旧の理論を用いた新たな研究方法が編み出せて、戦史研究はまだまだこれからという感じが致します。ミラン・ヴェゴもですけど、近年の米海大発祥の理論等これからの戦史で一般化しそうな気もします。
2016-03-05 19:40:14あまり取り上げられないニューギニア戦
ニューギニア戦ってことで、田中宏巳『マッカーサーと戦った日本軍』、『マッカーサー大戦回顧録』とか、『マッカーサーレポート』のコピーとか引っ張り出してきたはいいけど、それ以前にリンドとかリデル・ハートとかの理論ももう一回おさらいしておかないと・・・。
2016-03-05 19:46:48そういえば、本家アメリカでもニューギニア戦そのものの研究ってほとんど無いと聞くけど、どうなのだろう?米陸海軍はあまり興味ナシ。米空軍は前身となった米陸軍航空軍の活躍ということでニューギニア戦も「一応」関心あるけど、どっちかといえば戦略爆撃の方が関心度高いと側聞する・・・。
2016-03-05 19:51:46そもそも日本ではマッカーサーアレルギーな人が多いせいか、マッカーサーのニューギニアでの戦いは無視されるというか全く知られていないというか。Wikipediaのマッカーサーの項目の酷いものよ。ニューギニア戦がそっくりそのまま抜けている。
2016-03-05 20:19:51「マッカーサーはバターンで負けて逃げ帰った「負け将軍」のくせに、GHQの司令官として日本を統治した。」 と真顔で言う人に今まで何人も出会ってきている。ニューギニア戦と第二次フィリピン戦で散々負かされましたよ我軍は・・・。
2016-03-05 20:23:06死んでも戻れぬニューギニア
「生きて帰れぬニューギニア」というより「死んでも戻れぬニューギニア」というべきなのか。遺骨収集はほとんど進んでいないというか、もう出来ないというのが実情。そして、西部ニューギニアは2年前に厚労省で遺骨収集&現地調査の計画が出たけど、課長が代わった途端に話が流れた(怒)
2016-03-05 20:49:39西部ニューギニアは現地情勢が安定していなかったから、難しかったんだろうけど・・・。東西ニューギニアの戦友会も事実上の解散だし、もう遺骨収集は難しいのだろう。
2016-03-05 20:50:42いろいろ教えていただいたので、今後に生かせるよう手持ちの戦史関係の資料を整理中。有効活用できてない史料がわんさか出てきて、嬉し悲し。
2016-03-07 16:27:40ニューギニア戦関係の資料類を整理してたら、随分前に作った復員輸送艦艇の行動日程表が出てきた。まとめたはいいけど、何の研究にも使えてないな・・・。
2016-03-07 16:34:01