渡邊芳之先生ynabe39の「いろんな意味で,ツイッターは将来の自分のために書いている覚書なのだと思う。時間が経つほどその性質は強くなる。」
千の風になって。
自分は日記というものをつける習慣を持ったことがないのだけれど,2010年の2月からはこのツイッターが日記になっていて,Twilogを見ればその日に自分が何をやっていたかはわかるようになっている。
2016-03-16 20:46:42病気になってから退院するまでは病名や症状を他人に知らせるわけにもいかなかったので,別に日記をつけていた。しかしいま思えば,最初からぜんぶツイッターに書いてしまえばよかったと思う。
2016-03-16 20:47:49Twilogに記録されているのは2010年2月13日からだけれども,実際にツイッターを始めたのはその数日前で,最初の何日かのツイートはTwilogには残っていない。
2016-03-16 20:50:142010年2月13日のツイートを見ると,話題は古いポップス,ワルターのブラームス,TeX,Moodle,スーザのマーチ,イギリスに行った時の経験,ペンタングル,キンクスなどで,いまとまったく変わらない。
2016-03-16 20:52:28そんな個人的な覚書をたくさんの人が見てくださって,私が病気になった時には会ったこともない何人もの人がお守りを送ってくれたり,中には帯広まではげましに来てくれた人までいた。
2016-03-16 20:56:16自分はツイッターに来る前にはみなさんご存知のように2chにいたわけだけれども,そこでも何人もの人と知り合って,いまも連絡を取り合っている人もいる。
2016-03-16 20:57:38自分はバカなので,基本的には人間というのは良心的なものだと信じる気持ちを捨てられない。だから常に脇が甘いし,それに起因するいろいろなトラブルを経験するけれども,これはもう死ぬまでそうなのだろうとあきらめている。
2016-03-16 20:59:422chの前はニフティのフォーラムとかホームパーティーとかパティオとかをやっていて,そこでもいろんなことを経験した。その前はfjということになる。
2016-03-16 21:03:23きょう昼間書いた大学ネットワークのこともそうだけれども,私の世代というのはインターネットというものが学者やごく一部の人のものからみんなのものに変わっていく時代をまるごと経験したことになる。
2016-03-16 21:04:37インターネットでのコミュニケーションのおよそあらゆるフォーマットを経験してきたと思うけれども,向こう側にいるのが生身の人間だということは同じだし,自分はそこにずっと基本的な信頼をおいてきたと思う。
2016-03-16 21:11:43ツイッターを始めてすぐにTwilogに登録したのは,ツイッターのTLがどんどん流れていってしまい残らない,ということに強い不安を感じたからだった。その時からすでに自分はツイッターを「覚書として残しておくべきもの」と考えたのだと思う。
2016-03-16 21:18:45