小五の道徳の教科書(or副読本)に

○テーマは家族愛についての模様 ○文化人類学者 波平恵美子著 10歳からの生きる力を探すたび4 家族ってなんだろうより 出窓社
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家族のふしぎを考える

9 家族ってなんだろう

 だれにも、お父さんとお母さんとがいます。
 さまざまな事情で、お父さんもお母さんもいない子どもや、お父さんかお母さんのどちらかがいない子どももいるかもしれません。
 でも、人にはお父さんとお母さんが必ずいるのです。

 ところで、あなたにとってお父さんはどんな人ですか。
 こわい時、やさしい時、うるさく感じられる時、時にはきらいになることもあるでしょう。
「ずっと出張していて帰ってこないほうがいい」と感じてしまうことがあるかもしれません。
 では、お父さんは、なぜあなたの家にいるのでしょうか。
 この質問を逆の問いかけにすることもできます。
 お父さんがつかれて家に帰ってみると、そこには走り回り大声を出して騒いでいるこどもがいます。
 ゆっくりくつろぐことも、お母さん(おくさん)とこみいった話をすることもできません。
「なぜこの子どもたちはここの家にいるのだろう」とふと思ってしまうかもしれません。
 おくさん(子どもにとってのお母さん)も同じように思うかもしれません。
 帰ってくるなり、家の中が散らかっていると小言を言い、あれこれ用事を言いつけ、子どもたちが騒がしいと大声でしかりつける夫(子どもにとってのお父さん)のことを「なぜ、この人は、毎日この家に帰ってくるんだろう。」と

 逆にまた、次のように夫は思うかもしれません。
「なぜ、この人はいつも家にいるのだろうか。そして自分が家に帰ってくると、自分が着替えもしないうちからアレコレと子どものことや近所の人たちのことをペラペラとしゃべるのだろう。」、「なぜ、いつもこの人は自分といっしょに食事をしたりねたりするのだろう。」と。
 ここまで読んでみて、みなさんは「変なことをいうなあ」「当たり前だよ家族なんだから」と思うのではないでしょうか。
 そうです。家族というのは、それが別の人だったら、とても我慢ができないようなことを、おたがい我慢できるような人たちの集まりのことです。
「家族なんだから」といわれると、特に理由や説明をしなくても納得し、我慢してしまうのです。
「家族」とはそんな不思議なものです。

 先ほどのお父さん(大人の男の人)、お母さん(大人の女の人)子どものとの関係がどんなものかを考えるとき、記憶喪失という病気になって、自分の名前もおくさんの顔と名前も子どもがいることを忘れてしまった男の人を想像するとよくわかります。
 自分はその女の人のことも何も知らないのに、その女の人は食事を作ってくれてテーブルに持ってきてくれます。
 ふろのお湯を張ってくれ、着替え用の下着も出してくれます。
 半分しか衣服を着けていないのに平気で風呂場をのぞきます。
 夜はとなりでスヤスヤねむっています。
 生活費を下さいといわれ、わたしても領収書をくれませんし、「ありがとう」もいいません。
 自分の親や兄弟のこまごましたことを話して聞かせるかと思うと平気で顔やかたや手にふれます。
 その女の人が自分のおくさんであるということをまったく思い出せない人にとってこれらのことはびっくりさせられたり、ムっとさせられたり、逆に、うれしくなったり、ありがたく思ったりするばかりです。
 記憶喪失になった子どもという例はめったにありませんが、やはり、そのように仮定して、三人の関係を考えてみましょう。
 その女の人は、いつも自分の顔を見ています。
 自分のすることのひとつひとつを注意をはらって、少しでもあぶなっかしいことをしていると、とんできて「だめよ」と言ったり、手助けしてくれたりします。
 三度の食事のほかにおやつを出してくれます。
 自分が高いところから落ちたりすると、びっくりして、顔色を変え、いきをはずませてぎゅっと自分の体をだきしめ「だいじょうぶ?」とききそれから体のあちこちを調べます。出かける時には手をつなぎ、いろいろ話しかけます。いっしょにお風呂に入ります。
 さわってはだめといわれている花瓶をこわした時は、頭の中が真っ白になるくらい厳しくほおをたたきました。
 大声でしかりました。
 それからなみだのいっぱいたまった目でみつめると
「どうして分からないの?」
と言いました。
これらのことが「家族」と呼ばれる関係にはない人たちの間で起こると、驚くことばかりです。
 記憶喪失になった人にとっては、家族が自分に対してすることや時にはうれしく、時にははずかしく、また腹だたしく失礼だと感じることばかりです。
「この大人の女の人は自分のお母さん」、この大人の男の人は自分のお父さんとと思い出せば、当たり前のことばかりなのですが、思い出さない限りは、とても変だと思われることばかりなのです。
 そうです。それが「家族」です。
 家族は時には自分に喜びや楽しみをもたらしますが、時には重荷になり、苦しみにもなるのです。
 そして、家族のいるほかでは決して起こらないことが起こる不思議な場所でもあります。
 家族を作っている人たちは、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさん、お兄さん、お姉さん、弟、妹です。どの人もみな、あなたにとってかけがえのないとても特別な人たちです。


道徳の教科書読んでるけど、意味わからない

M @brass_ac

@brass_ac 特に家族愛がテーマの回が地雷。

2016-04-01 12:50:20
M @brass_ac

@brass_ac まず、最初から地雷。「誰にでもお父さんとお母さんがいます。」だしなぁ。それ、本当に誰にでも?? pic.twitter.com/R5LzNzo4Nq

2016-04-01 12:53:06
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M @brass_ac

@brass_ac 家族と呼ばれる人でも、されて嫌なことは嫌だし、当たり前じゃないことは当たり前じゃん。

2016-04-01 13:30:13
M @brass_ac

@brass_ac 後、個人的な意見として「お母さん(奥さん)」と書いているのも気になる。 小さいことなんだろうけどさー。

2016-04-01 12:55:02
M @brass_ac

.@brass_ac 個人的に、一番やばいなと感じたのはこの章。花瓶壊したら、目の中が真っ白になるくらい激しくほおを叩いたあと、大声でしかるのは完全に虐待です。子どもが親のこと好きか嫌いかとか記憶喪失とか関係ない。 pic.twitter.com/YwHe4ag6pC

2016-04-01 13:14:23
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M @brass_ac

.@brass_ac 目の中が真っ白になるくらい激しくほおを叩かれるようなことをされても、「この大人の女の人はお母さん、この大人の男の人は自分のお父さん」と思い出せば当たり前のことばかり…。とか地獄だな。 pic.twitter.com/nwgJ6DHN08

2016-04-01 13:15:46
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M @brass_ac

あまりにやばくて寒気がするし、やばいの伝えたいんですけど、読解力も文才もないからうまく伝えられない。

2016-04-01 13:44:33
M @brass_ac

見えにくいですが全文あげます。 妹の道徳の教科書がやばい。 家族だから当たり前。家族はかけがいのないとても特別な人たち。 目の中が真っ白になるくらい激しくほおを叩かれたとしても「父親」「母親」だと思い出せば当たり前らしい。怖すぎる。 pic.twitter.com/objgNZXX7n

2016-04-01 14:02:45
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M @brass_ac

@brass_ac ちなみに、この回の資料は 波平恵美子さんの『10歳からの生きる力を探す旅④ 家族ってなんだろう』(出窓社)が使われています。 amazon.co.jp/gp/aw/d/493117… 今回の教科書で使われたのはおそらく一部分だけなので、こちらで全文読めるはずです。

2016-04-01 15:34:03
M @brass_ac

@chakon1016 どうなんですかね。 そうであって欲しいんですが、教科書の結末だけ見ると、「家族はかけがいのない特別な人たち」と書いているのでなんとも言えません。

2016-04-01 15:53:32
M @brass_ac

言葉より手が先にでる人個人的にはあまり好きじゃない。

2016-04-02 15:30:02
M @brass_ac

更に燃やすようで申し訳ないのですが、今の回の道徳の指導内容は「家族のあり方を考える」ではなくて、「家族愛」についてだそうです。 だとしたら別な教材を使うべきなんじゃないかと思います。 twitter.com/brass_ac/statu… pic.twitter.com/UNCfhUawOP

2016-04-04 01:22:58
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M @brass_ac

@brass_ac 正直今回の題材だと、「家族のあり方について考える」ことはできても「家族愛」について考えるのは中々難しいのじゃないかと。

2016-04-04 01:25:17

アマゾンのデータからすると、出典は2001年に書かれた本をイラストなどをつけて再編集した2008年の本から抜粋したようである。

生きる力をさがす旅-子ども世界の文化人類学 単行本(ソフトカバー)
内容紹介2001/12/18刊行
幼児虐待、いじめ、差別、不登校、自殺、援助交際…
現代の子どもたちが直面して問題は、思いのほか複雑で、深刻と言えるでしょう。

長年、文化人類学の研究者として、日本や世界の様々な文化を研究してきた著者は、
その蓄積された成果を元に、現代の子どもたちが、目の前の困難な問題に、
自らの力で立ち向かい、自ら問いかけ、自ら答えを探し出すためのヒントを、
身近な題材を例にあげながら、様々な角度からやさしく語りかけてくれます。

● 赤ちゃんが可愛いのはなぜでしょう?

● 自分より大切なものって、なに?
● ペットは長生きしません
● 私が死んでも世界は残る
● 一人ぽっちは恐いですか?
● 家族、それは特別な人たち(編注:ここの抜粋?)
● 差別の心は、どこから生まれるのでしょう?
● いじめたり、いじめられたり
● 援助交際は、なぜしてはいけないのでしょう?
● なぜこんなにも、してはならないことが多いのでしょう
● あなたと学校をもう一度点検してみませんか

子どもの頃、誰もが抱いた疑問ですが、ほとんどの大人は、真面目に答えて
くれなかった事柄ばかりです。
著者は、これら全42項目について、子どもたちの視点に立って、やさしく語りかけ、
一緒に考えていきます。

著者は、読者へ向けて、次のようなメッセージを寄せています。
「大人は、子どもには悩みや苦しみがないと思いがちです。
また、子どもの考えや感情は単純で、複雑なことや屈折した考えを持ったり、
入り組んだ感情を抱いたりしないと思いがちです。
でも、子どもであるあなたは、決してそうではないことをよく知っています。
ただ、そのことをうまく言い表せないだけです。」

子どもから大人まで読める総ルビ付き。
親と子で、「生きる力」を考えていく画期的書です。

◎日本図書館協会選定図書、全国学校図書館協議会選定図書◎

出版社からのコメント

子どもに生命の大切さを教えるときに、なぜ葉っぱや犬の話にたとえないと、
伝えられないのでしょうか?

私たちの伝統社会には、先人たちが長い歴史の中で、考え、紡ぎ出した様々な知恵が、
至る所に残されています。
文化人類学は、それらの意味を探り、現代に読み解くことを目的にした学問ですが、
そこからは、人間が日々の生活を豊かにするために築き上げた様々な知恵が見えてきます。

たとえば、本書の「『七歳までは神の子』といわれていた頃のこと」では、
昔の子どもは、数え年の七歳までは、人間の子というより、神様から預かっている神の子、
として考えられていたことが紹介されています。
神様の子ですから、親が子を虐待したり、農作業でこき使ったりしてはいけないと考えられていました。
子どもが幼くして死ぬと、親たちは、神様が親として相応しくないから取り上げてしまったのだ、
と考えて、自らの育て方を反省したのです。
現代と異なって、医療も生活環境も貧しく、子どもの死亡率も高かった時代、人々が子どもを
大切に育てるために、いかに知恵を絞って、それを共同体の中で定着させていったのか、
「神の子」は、教えてくれています。

本書には、私たちの伝統文化の中に隠された、ハッとするような様々な知恵が散りばめられています。
ぜひ、それらを読み解いて、生活の中に活かしてみてください。

なお、子どもたちにより読みやすい本として、本書から興味深い項目を抜き出して、
より平易な文章とイラストで構成した『10歳からの生きる力をさがす旅』(全4巻)も
合わせて、ご活用ください。
内容(「BOOK」データベースより)
一人ぽっちは恐いですか?差別の心は、どこから生まれるのでしょう?援助交際は、なぜしてはいけないのでしょう?いま目の前にある困難な問題に、子どもたちが立ち向うこと、自らに問いかけること、自ら答えをさがすことを、文化人類学の成果からやさしく語りかけた画期的書。総ルビつき。

内容(「MARC」データベースより)
一人ぽっちは恐いですか? 援助交際はなぜしてはいけないのでしょう? いま目の前にある困難な問題に、子どもたちが立ち向かうこと、自らに問いかけること、答えを探すことを文化人類学の成果から語りかける。総ルビ付き。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
波平/恵美子
1942年、福岡県生まれ。お茶の水女子大学教授。ジェンダー研究センター・センター長。現在、日本民族学会会長。専攻、文化人類学。九州大学教育学部卒業。テキサス大学大学院修了(1977年、Ph.D取得)。九州大学大学院博士課程単位取得満期退学。佐賀大学助教授、九州芸術工科大学教授を経て現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

家族ってなんだろう (10歳からの生きる力をさがす旅) 単行本 – 2008/11/17
波平恵美子 (著), 塚本やすし (イラスト)

内容紹介

本シリーズは、好評の『生きる力をさがす旅 - 子ども世界の文化人類学』から
現代の子どもたちにとって、もっとも切実で興味深いテーマを選び、
新たに塚本やすしさんの親しみやすいイラストを加えて、
再編集した「かんがえるえほん」シリーズです。

………………………………………………………………………
 第4巻の『家族ってなんだろう』は、「家族」がテーマです。
 考えてみると、家族というのは不思議な存在だと思いませんか。
 一緒に食事するのはもちろんですが、同じ屋根の下で寝起きし、裸姿を見られても気にしません。小遣いをせがまれれば渡し、お礼を言われなくても腹を立てたりしません。
 家族だから当たり前だと思うかもしれませんが、もし他人が同じことをしたら、驚くことばかりです。
 著者は、それこそが「家族」だと言います。
 家族のいる場所は、ほかではけっして起こらないことが起こる不思議な場所で、家族をつくっている人たちは、かけがえのない特別の存在だと教えてくれます。
その他、「血のつながり」や家をたやさないことが大切だった時代など、身近な家族を例に、生きる意味や人間社会の関係などをさぐっていきます。

出版社からのコメント

「かんがえるえほん」と名づけた本シリーズは、現代の子どもたちが直面している困難な問題に対し、子ども自身が立ち向かい、考え、乗りこえていくためのヒントとして、一つひとつのテーマに様々な角度からの、ものの見方や考え方を提示しています。
 また塚本やすしさんの挿し絵によって、より理解しやすく、親しみやすくなりました。
子どもたちの考える力を養う教材としても、朝の読書やご家庭で、ぜひご活用下さい。

著者について
お茶の水女子大学名誉教授・元日本民族学会会長。
1942年、福岡県生まれ。九州大学教育学部卒業。九州大学大学院博士課程単位取得満期退学。
テキサス大学大学院修了(1977年、Ph.D取得)。
佐賀大学助教授、九州芸術工科大学(現・九州大学)教授、お茶の水女子大学教授を歴任。
文化人類学専攻。「ケガレ=不浄」論や医療人類学の分野で活躍中の日本を代表する文化人類学者。
主な著書に、『ケガレの構造』『病気と治療の文化人類学』『日本人の死のかたち』
『いのちの文化人類学』 『暮らしの中の文化人類学・平成版』など多数がある。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
波平/恵美子
1942年、福岡県生まれ。お茶の水女子大学名誉教授、元・日本民族学会(現・日本文化人類学会)会長。九州大学教育学部卒業。1968年からテキサス大学大学院人類学研究科留学(1977年、Ph.D.取得)。九州大学大学院博士課程単位取得満期退学。佐賀大学助教授、九州芸術工科大学(現・九州大学)教授、お茶の水女子大学教授を歴任。文化人類学専攻

塚本/やすし
1965年、東京生まれ。イラストレーター・装幀家。イラストレーター・デザイナーとして数々の賞を受賞。近年は、書籍の装画・児童書の挿画等で活躍している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)