半田晴子個展「synthesis」 トーク:浦野玄馬、室井良輔、半田晴子[実況]

2016年4月3日(日) 【美術】18:00~ トーク:浦野玄馬(外美術)、室井良輔(木工職)、半田晴子
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УраГем @10aka_

space dike にて開催中の半田晴子さん個展「synthesis」最終日4/3(日)に、半田さん、室井良輔さん、そして私の三人によるトークを控えております。 つきましてはこれから当日まで断続的にではありますが、問題提起等の準備をtwiter上でもしていけたらと思います。

2016-03-31 20:10:02
УраГем @10aka_

まず私が写真一般について最も興味を持っている性質が、一方では――少なくとも技術的なレベルでは――その産出の過程で一切「作業」が関与しない、全き「シミの配列」である写真が、しかし他方で最も対象指示的なメディアと見做される、というものだ。 #spacedike

2016-03-31 20:21:52
УраГем @10aka_

ひとまずの仮説を与えるなら、写真とはある光線の束を、対象把握を保留したままに鑑賞者の眼前まで運搬するメディアだ、というものだ。 凍結された光線は鑑賞者の目前に運ばれ悟性に把握された時点で初めて、事後的・遡行的にそれと対象が切り出され、それと当の写像との「類似」が見出されるだろう。

2016-03-31 20:35:35
УраГем @10aka_

その意味で写真とは個々の鑑賞の度、その都度新たに産出されるものであり、ここで撮影者と鑑賞者との差異は極めて希薄なものとなる。撮影者はその像をフィルムに、撮像素子に、焼き付けたその瞬間のカメラの背後に、ただ「たまたま居合わせた」のであり、原理上彼は他の任意の者と代替可能であった。

2016-03-31 20:39:31
УраГем @10aka_

そしてその任意の代理人の候補者として作品に接する者こそが鑑賞者なのであり、彼らは作品を前にして、その都度撮影の瞬間に立ち返るかたちでそれを鑑賞するのだ。

2016-03-31 20:41:46
УраГем @10aka_

それでも撮影者の特権性はその一回性によって、偶然性 contingency によって、担保されてはいる。しかしそれが確保してくれるのはあくまでも撮影者としての「座」であって、そこに実際に腰を下ろす者については何の保証も与えることはないだろう。

2016-03-31 20:45:08
УраГем @10aka_

以上はおそらく写真芸術の「作者」を巡る古典的な議論におさまるものだろう。

2016-03-31 20:47:53
УраГем @10aka_

この理解に立てば、「写真になぜ何らかの対象を認めることが可能か」という問いは、写真という媒体の透明性を通して、めでたく私たちの認識そのものに関する問いへと先送りされることになる――「網膜の像になぜ何らかの対象を認めることが可能か?」。ここに写真に関するひとつの議論が自壊に至る。

2016-03-31 20:52:52
УраГем @10aka_

ここで実際に写真を離れてゲシュタルト心理学の議論へと移ることもできようし、また写真のインデックス性等の議論へと舵を切ることもできるだろう。しかしここでは深追いは辞めて、ひとつの仮説、というかひとつの諦めを提示しておきたい。

2016-03-31 21:00:07
УраГем @10aka_

すなわち、写真とは「そもそも原理的に、原理的になりえないメディア」なのではないか、常に中途半端で、「いい−加減」に折り返し、たたらを踏む他ないメディアなのではないか、というものだ。

2016-03-31 21:02:02
УраГем @10aka_

実際の個展の話題に着地しておくが、今回の展示とトークを通じて得た印象の一つが、「原理主義者になりきれない」半田さんの姿であった(中ザワヒデキさんの活動を、その原理主義的性において熱心に追う一人であるに関わらず)。それは実は写真そのものの性質に由来しているのではないか。

2016-03-31 21:13:04
УраГем @10aka_

(中ザワさんが実際に原理主義的であるかの議論はひとまず措く)

2016-03-31 21:14:07
УраГем @10aka_

ところで個展の案内には「1980年代のアナログ・ベースから1990年代以降のコンピュータ・ベースへの移行期における「オブジェクト」の変化について考察を試みる」とある。この「オブジェクト」は、写真の性質を鑑みれば、少なくとも3つのレベルで理解できるだろう。 #spacedike

2016-03-31 21:51:47
УраГем @10aka_

まず最もわかりやすいのが、意味ないしは象徴のレベル、被写体の「なんたるか」。 次に最も控えめな意味での「形態」、イマジナリに統合されるイメージのレベル。インクのシミが紙の上で生むなんらかの形。 最後に現実にそこにある、最も広い意味での「物質」のレベル。統合を知らぬ部分対象。

2016-03-31 21:54:54
УраГем @10aka_

この頃(私の目の届く限りでの)美術界隈が、私にとっては面白くない方向に、 まるで磁化した鉄球がずらずら群がるように繋がり編成されつつあるような気がして少し苛々しているのかも知れない

2016-04-01 06:59:05
УраГем @10aka_

あたりまえのことなのだが、情報機器や光学機器でも基本的に一番電気を喰うのは、液晶であったりフラッシュであったりといった物理との接面(インターフェイス)(の物理側)なのよな。

2016-04-02 09:25:34
УраГем @10aka_

古典的すぎるかしらん

2016-04-02 09:26:33
KUROYANAGI toshihiro @QJN

@10aka_ 情報機器で言うと、LTEやWi-Fiの電波を掴む関係での消費も大きいみたいです。 同じ基地局と繋がってたらそれほどでもないけれど、移動中に基地局を探しだすとひどいとか。 これもインターフェイスっちゃあインターフェイスですね。

2016-04-02 11:11:50
KUROYANAGI toshihiro @QJN

半田作品と同額で販売中。セットでどうぞ。 twitter.com/aon9/status/71…

2016-04-02 15:57:29
aon9 @aon9

「synthesis」ために平間貴大さんが制作したアスキーコード コピー&ペースト作品。dikeで展示中。 instagram.com/p/BDsDsY4TOll/

2016-04-02 15:49:18
УраГем @10aka_

@QJN なるほど!情報の広がる球体の接面という意味ではこれもインターフェイスかもですね(というか本日トーク伺えすすみません…)

2016-04-02 18:11:43
УраГем @10aka_

ここ半年ほど、私は常々「展示するとは嘘をつくことだ」と言い続けているが、殆どまともに受け取られたためしが無い気がする。 露悪趣味とか、自ら制作をしない私の、作家の成果の搾取者としての私の、無責任な焚き付けだとか。

2016-04-03 08:22:44
УраГем @10aka_

それと同じく気になるのが、(特に絵を描く人に多いように思うのだが)言葉をほとんど卑下する構え。それも大抵の場合完全に口をつぐむのではなしに、ある程度のところまで解説による踏台を拵えた上で、不意にそれを下方へと切除して言葉の及ばぬ高みへと舞い上がるのだ、みたいな態度。

2016-04-03 08:32:00
KUROYANAGI toshihiro @QJN

昨日半田さんが言っていた「迷っているところほどつっこまれる」ってホントそうだと思います。

2016-04-03 08:37:01
УраГем @10aka_

ええと、例えば「あなたは美術を戦争に擬えているが、敵方は誰なのか?」みたいな陳腐なつっこみがあったとして。まず作者の側は大抵、そう簡単に応えられない、またはそうした細部のひとまずの保留の上で、なおその語のある種の推進力に賭けている、という場合が殆どだと思う。

2016-04-03 08:41:24
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