【『檄文』の論理③】日本教の教義第二条「人間の価値は”天秤の支点”の位置で決まる」/~人間を「純粋な人間」と「純粋ではない人間」にわける日本人~

イザヤ・ベンダサン『日本教について~あるユダヤ人への手紙~』/『檄文』の論理/支点の位置/51頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【支点の位置】ここで司馬氏にソクラテス流の質問をしてみたいと思います。 氏に向かって、 【『思想は思想自体として存在し……現実とは何のかかわりもない』という貴方の思想もまた思想なのだから、それは貴方の『頭脳』という『密室』の中で構成された『大虚構』なのではないのか。】

2016-04-21 10:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

②【何を根拠にあなたは自分のこの思想は『現実』で『大虚構』ではないと主張するのか。 もしそう主張しないといわれるなら、あなたも新聞にただ新しい別の『虚構』を発表されただけということになる。 もしそうならあなたの一文は全く無意味になるではないか」と。】

2016-04-21 11:09:09
山本七平bot @yamamoto7hei

③ソクラテスは、自分の家族、子供、友人のこと、すなわち「現実」を考えろといわれたとき、相手のこの言葉を「現実という名」の一つの「思想」として受けとり、この「現実という思想」を自己の思想と突き合わせて、いっしょに考えよう、そして正しい方を選択しようといいます。

2016-04-21 11:38:53
山本七平bot @yamamoto7hei

④そしてその場合、自分の思想も相手がいう「現実という思想」も、世間一般の人びとが言う「思想というもの」もすべて同一水準へおき、 これは「思想」だ、これは「現実」だ といったわけ方はしておりません。

2016-04-21 12:09:03
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤すなわち彼は、 【では考えてくれ、人間達の意見の全てを尊重すべきでなく、あるものは尊び、あるものは尊ばない事、また世人の意見でなく、その内のある者のは尊び、ある者のは尊ばないという事、こういう主張は十全だと貴方には思えないか?】

2016-04-21 12:38:53
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥【何と貴方は言うか、これは正しい主張ではないのか?…正しい。】 以上がソグラテスが「考える」場合の前提ですから、同じように 『檄文』も「司馬反論」も同一平面において共に思想として扱うべきだと考えて上記の質問をしたのだ、 といえば、(続

2016-04-21 13:09:07
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦続>おそらく司馬氏は、私の問いにもソクラテスの言葉にも、微笑を浮かべて何も答えないでしょう。 理由は、第一便で申し上げましたように、司馬氏がのべているのは、反論を許されない日本教の教義であり、私の問いは、その教義に従わないための理屈になってしまうからです。

2016-04-21 13:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧教義ですから、もはや論証の世界ではありません。 日本を探究しようとする人は、みな、ここでつかえます。

2016-04-21 14:09:11
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨――言葉でないなら、一体何が日本人を律しているのか、 恥か? 権力か? 伝統か? ………? ………? 何とか解こうとしても、言葉という手掛りを失った仮説は、すべて「事実のスキラに打ちあたって砕け、循環のカリブデス」に陥るだけです。

2016-04-21 14:38:54
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩そしてこの渦巻に巻きこまれている者はただに外国人だけでなく、日本の知識人といわれる人々にも見られます。 では日本人を律しているものは何か? 一言にして言えば「人間という支点の位置」とこの支点が立っている台です。 台については後で触れるとして、まず位置から考えてみましょう。

2016-04-21 15:09:10
山本七平bot @yamamoto7hei

①天秤が平衡を保つには、二つの要素が必要です。 一つは天秤皿の上のものと分銅との関係であり、もう一つは支点の位置です。<『日本教について』 pic.twitter.com/4HMLYaD0k3

2016-04-21 16:05:27
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山本七平bot @yamamoto7hei

②支点が天秤皿すなわち「実体語」のすぐ近くに寄っていれば、ほんの僅かの「空体語=分銅」で天秤は平衡を保ちますが、もしこれが逆になり、支点が「空体語=分銅」の方へぐっと寄っていれば、ほんの僅かの「実体語」と平衡を保つ為に、驚くほど膨大な量の「空体語=分銅」が必要になります。

2016-04-21 16:09:11
山本七平bot @yamamoto7hei

③私が申し上げているのは、この位置のことです。 もちろん支点が動くのでなく、天秤の竿(横棒)が左右に動いて支点をかえるとお考えください。 この支点の位置は、実は、絶えず左右に移動しているのです。 pic.twitter.com/Ej8XmmtNwD

2016-04-21 16:47:27
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山本七平bot @yamamoto7hei

④日本人全体を見た場合、時代によってこの位置が変りますし、個々の日本人を見た場合、一人一人で、各々この位置が初めから違います。 また一個人の生涯を見た場合、年齢により境遇により、この位置が変化していきます。 pic.twitter.com/qfR8wpO6MK

2016-04-21 17:14:07
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山本七平bot @yamamoto7hei

⑤そして「人間は支点であって言葉では規定できない」というのが日本教の教義の第一条なら、 「人間の価値はこの支点の位置によってきまる」 というのが日本教の教義の第二条ともいうべきものです。 pic.twitter.com/LiGfhzPTK0

2016-04-21 17:52:29
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山本七平bot @yamamoto7hei

⑥この第二条は、日本教の非常に重要な教義であって、これに疑いを差しはさむ日本人は皆無だと断言してよいと思います。 日本人は「人間」を「純粋な人間」と「純粋でない人間」にわけます。

2016-04-21 18:09:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦最もこのように大きく二分していると考えては誤りで、この「純粋」という考え方は、やや金属の精錬度(もしくは純度)に似たものとお考えください。

2016-04-21 18:40:00
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧ある人は純金的(24金的)人間であり、純度は高いが実用にはならない、 別の人は少しく純度が落ちて18金的人間で、結婚指輪にはなるが普通の万年筆のペンにはならない、 もう一人は14金的人間で実用にはなるが純度は落ちる、 といった類別と非常に似た考え方です。

2016-04-21 19:11:24
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨この純度表が何によってきまるかといえば、前述の支点の位置できまるのです。 すなわち支点が「空体語の世界=分銅」に近づけば近づくだけその人は「純粋な人」です。 pic.twitter.com/P0F6s5lZeX

2016-04-21 19:49:36
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山本七平bot @yamamoto7hei

⑩従って、純粋の人とは非常にわずかの「実体語の世界」と平衡を保つために、実に大きな「空体語の世界=分銅」が必要です。 pic.twitter.com/QvwNROB0BC

2016-04-21 20:19:39
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山本七平bot @yamamoto7hei

⑪一方「純粋でない人」は、支点の位置が「実体語の世界」に非常に近接しているので、ほんのわずかの「空体語の世界=分銅」で、膨大な天秤皿の上のもの、すなわち「実体語の世界」と平衡がとれるわけです。 pic.twitter.com/cCVnfTzve2

2016-04-21 20:44:38
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山本七平bot @yamamoto7hei

⑫従って日本教徒の考え方によれば、三島由紀夫氏は非常に「純粋な人」なのです。 従って氏を最も強く非難するグループにすら、氏が「純粋」だという点で共感をおぼえる人がいます。 また氏を強く非難しようとする人は、氏が「純粋」でないことを何とかして証明しようとします。

2016-04-21 21:09:07
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬一方、司馬遼太郎氏に対しては、氏のことを「純粋」だという日本教徒は一人もいないと思います。 といっても誤解されませんように、 これは絶対に、司馬氏が非倫理的な人間だという意味ではないのです。 同時に、三島氏が倫理的人間だという意味でもないのです。

2016-04-21 21:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭以上のように書きますと私が何か面白い比喩を語っているようにお感じでしょう。 しかしこれは単なる比喩ではないのです。 この「支点の位置」は倫理以前の人間判別の基本的基準として日本教徒の日々の生活を律しているのみならず、戦前戦後を通じて実に法廷における判決をすら左右しています。

2016-04-21 22:09:02