【「成長」「変節」のない思想②】すべては相手の出方次第/~「踏絵」をはさんでお互いに「お前」と呼び合う「二人称」の関係しか成り立たない日本社会~

イザヤ・ベンダサン『日本教について~あるユダヤ人への手紙~』/「成長」「変節」のない思想/安保教授の思想/108頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①面白いことは、このことを書いている安保教授自身も、編集者も、読者も、これに全然気づいていないことです。 第三の問題点は、安保教授は上記のことを一般論のようにのべていますが、「認める」「認めない」という踏絵方式には、二人称しか存在しないことです。<『日本教について』

2016-04-30 08:24:08
山本七平bot @yamamoto7hei

②すなわち「踏絵」をはさんで、お互いに「お前」と呼び合う関係しか成り立たないことです。 日本が「二人称」しかない社会であることは、パリ大学教授森有正氏が別の立場から詳細に論じております。

2016-04-30 08:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

③安保教授が「認めない者は撲る」というのは「私」が存在せず、「お前」と「お前のお前」(お前が「お前」という者)が「私」の代りに存在しているためで、「お前」が「お前」と認めてくれない限り、「お前が『お前』という者」すなわち「私」が存在しなくなるからです。

2016-04-30 09:09:22
山本七平bot @yamamoto7hei

④従って「お前」と「お前のお前」という関係でないなら(すなわち「認めない」なら)「お前」は存在してはならないことになります。 これは日本教の教義に基づく普遍的な思想で、このことを日本人は 「すべては相手の出方次第」 といいます。

2016-04-30 09:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤即ち踏絵を契機として、それへの「お前」の反応によって「お前のお前」(即ち「私」が律される訳で、これは西欧の自律的・他律的とは全く別の事です。 日本人を西欧的な意味で「他律的」と考えるのは誤りで、もしそうなら、日本人を律している他者を解明すれば全てが明らかになる筈ですから。

2016-04-30 10:09:01
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥以上のべたことを一つの図式にまとめますと、次のようになります。 安保教授(プロフェッサー・セキュリティ)の踏絵にはもちろん「暴力肯定」と書かれているわけではありませんし、氏が暴力主義者というわけでもありません。 氏は、日本教の規定する「人間」なのです。

2016-04-30 10:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦踏絵すなわち彼のいう「思想」は空体語で天秤皿の一方に載って分銅となっており、従ってこれの支点である「人間」に影響を与えている点では「理(リーズン)」があり従って「応(レスポンス)」もあります。 pic.twitter.com/weq628eoQn

2016-04-30 11:12:55
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山本七平bot @yamamoto7hei

⑧そして「撲る」という言葉は「実体語」であって、もう一つの皿にあり、分鋼と平衡の関係にあります。 しかし支点「人間」は、双方から一定の距離にありますので、安保教授はどちらの言葉にも規定されていない(ということは、どちらの言葉も氏の思想でない)ということになります。

2016-04-30 11:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨分銅の刻印の変化を「認められて」いればこれで平衡を保っていられるのですが、「理(リーズン)」ある批判をうけますと、それには「応(レスポンス)」がありますので、天秤皿上の空体語=分銅は次々に消去されざるを得なくなります。 pic.twitter.com/fg9aKZt92B

2016-04-30 12:23:17
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山本七平bot @yamamoto7hei

⑩するとそれに応じて天秤の支点は徐々に実体語の方に寄せないと平衡が保てなくなり、これが極点に達したとき、ついに支点と実体語が重なり、ここで「人間」は実体語に規定されます。 pic.twitter.com/nzBssQQXCi

2016-04-30 13:01:18
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山本七平bot @yamamoto7hei

⑪ここまで達した状態を日本では「言わせておいて、片づける」状態といい、その時に「天秤」はほぼ「実体語」を支点として一回転するわけです。 そしてこれが、大小を問わず、日本におけるあらゆる問題の処理方法なのです。 pic.twitter.com/707q3fxSkj

2016-04-30 13:40:08
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