【本多勝一様への返書②】あるいはまた三歳の童児か/~「私の責任」という言葉と「責任解除」という言葉を結びつけ、日本教を解き明かした天才、夏目漱石~

イザヤ・ベンダサン『日本教について~あるユダヤ人への手紙~』/本多勝一様への返書/あるいはまた三歳の童児か/188頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【あるいはまた三歳の童児か】しかしそう考えますと、また別の点で少々不審になります。 では本多様は老大家でなく、 「自分の初体験」とその「事実の発見者」とは別だということがわからない三歳の童児だ と想像いたすべきでしょうか。<『日本教について/イザヤ・ベンダサン』

2016-05-08 23:09:13
山本七平bot @yamamoto7hei

②もしそうなら、迷亭氏のいわゆる「その疑団は一度に氷解。漆桶を抜くが如く痛快なる悟りを得て歓天喜地の至境に達」するでありましょう。

2016-05-08 23:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

③「幼児は月を発見したという」 という言葉があります。 もっともこの訳では意味がよく通じませんから、むしろ 「自分は月の発見者だという者がいれば幼児に等しい」 とでも意訳すべきでしょう。 たとえばここにカツイチチャンという可愛らしい三歳児がいるとします。

2016-05-09 08:09:09
山本七平bot @yamamoto7hei

④この坊やならぬ「ぼ―ば」が 「ボクオ月チャマヲ発見チタヨ」 と申しましても、それはこの「ぼ―ば」に関する限り事実ですから、もちろん嘘偽りと申すべきではありません。

2016-05-09 08:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤従って 「オ月チャマを発見チタのはボクだよ、ボクチャンとチャク文に書いテルヨ」 それを指摘したのはボクだよ、私だよ、私も指摘している「私も指摘している」と言って、公開状に長々と自著を引用されても、これはもちろん嘘偽りなどと申すべきことではありません。

2016-05-09 09:09:21
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥ただ幼児は 「自分が初めて体験した」ということと「そのことの発見者」とは別のことだ ということが、本多様と同様に理解できないに過ぎません。

2016-05-09 09:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦旧約聖書ではコーヘレス(説教者)が有名な 「日の下に新しきものなし」 (むしろ「新事実なし」の方が良い訳かと思いますが)という言葉を口にし、ついで 「見よ、これは新事実だ、と言いうるものがあるか」 とつづけております。

2016-05-09 10:09:05
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧これが既に二千二百年も昔の事ですから、本多様にとっては新事実であっても、同じ事を発見しかつ指摘した人が明治時代に幾らでもいるのが当然です。従って「私がベンダサン氏より先に指摘している」などと仰ると、もし本多様が米寿に近いお年でないなら「ぼ―ば」同様と漱石先生に笑われましょう。

2016-05-09 10:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨自分が新事実の発見者だと思い込むと、誰でも鼻高々となります。 そして鼻がずんずんと高くなり、かの阿倍川の富子嬢の御母堂鼻子夫人の如く「碁盤の上に奈良の大仏を据えた」如くになるもやむを得ない仕儀とは存じますが、(続

2016-05-09 11:09:09
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩続>その顔は迷亭氏によりますと 「十九世紀に売れ残って、二十世紀に棚曝(たなざら)しに逢うと言う相だ」 そうであります。 私も、なるほどその通りだと思い当りました。

2016-05-09 11:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪と申しますのは「私も指摘している」という長い引用の終りが「サラを割って直ちにあやまる習性がある所はまことに少ない。『私の責任です』などとまで言ってしまうお人好しは、まず殆どいない」と「お人好し」にわざわざ傍点までつけられた、相も変らぬ「日本人お人好し説」になっているからです。

2016-05-09 12:09:04
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫「日本人はお人好しだ」…という言葉は実に19世紀以来、耳にタコが出来るほど聞かされた「売残り説」ですが、それが今なお本多店に「棚曝し」になっていようとは夢にも思いませんでした。 これは間違いです。 日本人がすぐ「私の責任だ」というのは「お人好し」とは関係がありません。

2016-05-09 12:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬第一 「私はお人好しだ」 などという者は、個人であれ民族であれ、お人好しであったためしがありません。 むしろ逆であって、そういわれるとすぐ相手をお人好しだと思う人間がお人好しなのです。

2016-05-09 13:09:09
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭私も相当にお人好しですが(冗談もいい加減にしろ、なんでベンダサンがお人好しなものか―と貴方が仰るなら、私の言葉の正しさを証明した事になります)、 私などはさておき、「エコノミック・アニマルの創唱者?」パキスタンのブット大統領に、日本人お人好し説を一席ブッテごらんなさい。

2016-05-09 13:38:53
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮氏はおそらくブット吹き出すでしょう。 第一、もしそれがお人好しの故なら、狸校長も赤シャツ教頭もお人好しになってしまいます。 このことは「お人好し」とは無関係で、私の考えでは、元来は 「いさぎよい。いさぎよくない」 という、日本教の教義に基づく価値判断から出ております。

2016-05-09 14:09:15
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯私が少し前に「すぐ私の責任です」という事実だけの指摘なら、明治初年から幾らでもあると申しましたのはそれです。 明治のある元勲の手紙に「いさぎよく己が責任を負ふ美風、近来とみにうすれ」「徒らに言を左右して己が責任を回避する異国の弊風にそまりたる輩…」という言葉があります。

2016-05-09 14:38:54
山本七平bot @yamamoto7hei

⑰美風をお人好しとなおし、異国をベドウィンとすれば、本多店「棚曝し」説になるわけですが、漱石はそう解しておりません。

2016-05-09 15:09:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑱この元勲は「すべては私の責任です」と「いさぎよく」言うことによって責任が解除され、それによって元勲の地位にのぼり、かつそれを保持しているわけで、狸校長も赤シャッ教頭も、ともに、私が引用したように「慙愧の念に堪えん」「謝罪しなければならん」と、(続

2016-05-09 15:38:55
山本七平bot @yamamoto7hei

⑲続>いわば「明治語」で「ゴメンナサイ、私の責任です」ということによって、当然のこととして、責任が解除されている、という態度を(少しの疑念もさしはさまずに)とっていることです。 これは勿論「お人好し」には無関係で、お人好しは逆に、それを憤慨している「坊っちゃん」の方です。

2016-05-09 16:09:11
山本七平bot @yamamoto7hei

①漱石の卓見はこれを 「私の責任・イコール・責任解除」 と捕えたことでした(誤解なきよう「責任回避」ではありません)。 従って私は「私の責任=責任解除」という表題にして漱石の考え方を敷衍したのですが――<『日本教について/イザヤ・ベンダサン』

2016-05-09 16:38:54
山本七平bot @yamamoto7hei

②さて、「全く同じことを、僕自身がベンダサン氏よりずっと前に書いているんだから」と明言された本多様の「同じこと」とは一体何のことでしょう。 「日本人お人好し説」などという「棚曝し」説でなければ、御教示いただきたいものであります。

2016-05-09 17:09:23
山本七平bot @yamamoto7hei

③『文藝春秋』誌にも書きましたが、天才とは元来、凡俗には全く無関係としか思えない二つの言葉を結びつけて新しい世界を開き、あるいは新しい理解の道を開くものなら、「私の責任」という言葉と「責任解除」という言葉を結びつけ得た漱石は、まさに天才の名に値しましょう。

2016-05-09 17:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

④紅毛三四郎ことエリセフ教授は 「漱石を読みきれば日本人がわかる」 と言ったといわれますが、私もそう思います。 従って私が如きは、この天才人物の驥尾(きび)に付し、せいぜい解説もしくは敷衍をいたしておりますのが分相応と存じます。

2016-05-09 18:09:03
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤まことに兼好法師の申された如く「先達はあらまほしきもの」であり、この偉大な先達のおかげで、せっかく新事実を体験しながら「日本人お人好し説」などという愚説的帰結に到達した本多老の轍を踏むことをまぬかれました。 今後とも自戒いたす所存です。

2016-05-09 18:38:51