西住みほと島田愛里寿、ボコが好きな理由の違いを考える
ドラマCD5におけるみほさんとありす(なぜか変換できない)ちゃんのボコ認識、いろいろと倒錯しまくっていて再考するのに時間がかかりそう。ボコになろうとしてもボコを演じきれない西住殿…ボコを真剣に応援してるのに成長してほしくないのもホンネな隊長…
2016-05-15 02:42:05・強さを親から求められつづけた共通点 ・期待に応えられなかったみほ、応えつづけてきたありすの差異 ・「ボコが負けること」では意見が一致するが、ありすは「弱くて成長できないこと」を重視し、みほはそのこだわりが比較的小さい ・「正しいボコ像を守る」ことより本能が優先されるみほ うーむ
2016-05-15 03:37:48・ありすにとっては「強く成長しつづけたこと」の反動(シャドウ)がボコか? ・声援も具体的で、「守ってあげたい」という関係性も伴うありすに対し、みほは第三者として「見ていたい」 ・想像しやすいありすのボコ好き理由に比べてみほの動機のもとはさらなる情報と深読みが必要
2016-05-15 03:44:52@izumino そういえば勝ったときに母親から褒められたかとかご褒美などでありすとみほは非対称なんでしょうね。西住側の情報が足りなくて想像も混じりますが
2016-05-15 03:56:36@miyamo_7 ボコに対する愛情が保護者目線なのは、母親からの愛情をちゃんと受け取れているから自分も母性的に振る舞うことができる(愛情が足りてなければ本人も母性愛を育みにくい)、というのはありすちゃん的に言えそうですね
2016-05-15 04:00:59・戦車道=親からの期待が「楽しいと感じたことがない」のがみほ ・ボコは戦うことが存在証明でありいつか勝てると夢見ている(戦車道が楽しくないみほとは逆) ・「好戦的なボコ」はみほの抑圧された闘争心か? ・ありすは母親の愛情を実感し、みほは実感できない→ボコへの母性的な態度の差となる
2016-05-15 04:03:05・ボコの魅力は「頑張りつづけること」と「弱くて負けること」の二点で構成されている ・ありすは「弱いのに頑張る」ボコの精神性が好き。ボコボコになるのはその精神性を補強するものであって好きの主体ではない ・じゃあ逆にみほが好きなのは「ボコボコになること」なの、か…?
2016-05-15 04:15:11・みほボコ好き以前にブサカワマスコット全般が好き。つまり不完全で乙なもの、いたいけなもの、不揃いなものが好き(マカロンの色の多彩さやコンビニの品揃えへの感心にも通じる) ・他人の怪我は心配するが、自分はボコボコになるまで戦うのがみほの戦車道 ・ボコの立場になってもみほは全力で戦う
2016-05-15 04:20:33・みほのボコ好きは「いたいけな姿が好き」と「全力でボコボコになるのが好き」が入り混じっており、ありすの「弱いのに頑張るのが好き」のようにボコの二大構成要素が直結していない ・「いたいけなボコ」も「全力で戦うボコ」も抑圧されたみほ自身(不遇な環境や闘争心)か
2016-05-15 04:29:55・抑圧された感情に基いているため、みほはありすのように直接の関係性(守りたい、出掛けるとき一緒にいたい)を結ぶことができず、「見ていたい」となる ・みほにとってボコは自分の分身のようなもの。ありすの母性愛との対比なら、自己愛に近い? しかし分身=自分ではなく、客観視している
2016-05-15 04:37:08・みほはボコボコになるまで戦うことを厭わない ・ボコを見ているときも「自分なら(敵うわけのない強敵と)どう戦うか」を考えており、そのため「ボコ自身を演じきれない(敵が弱いので)」のでは? ・「ボコボコになるまで戦って負けよう」がみほの願望であり、ボコはそれを達成してくれる
2016-05-15 05:13:41注:「ボコボコになるまで戦って負けよう」は自分でもうまくない表現だと感じているので、結論にはなっていません。