- JunNakagawaWork
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志しが破れたときは、人知れず黙って去るべきである。そして、以後、それについては、一切、口を閉ざすべきである。愛(夢)は、かならずしも成就されるという訳ではない。不幸な愛は沈黙したまま封印するがいい。「降りる」ことを知らない者ほど、やっきになって、いよいよ、みずから、首を締める。
2016-05-07 13:26:07大学生の頃に読んだ書物(ハリー・ブラウン氏の著作)のなかに、次の「3つの安定」が綴られていた――記憶のなかに、妙に遺っている。●貧乏にならないで済む経済的な安定、●自分は間違った考えかたをしていないという知的な安定、●いつも自分を好いてくれる人がいるという情緒的な安定。
2016-05-07 13:30:23「我こそは」という自負は大切であるが、30歳を越えれば、皆、それなりに自負を持っている。自負を最初に口した人の負けだ。「これが私の やりかた だ」と公言するのは、段取りと目的を履き違えている。生活・仕事の前提を、みずからの楯(あるいは、取り柄)にしたら、負けである。
2016-05-07 13:34:24自分は思考している詩人であり俗人を蔑んでいる、と秘かに思っている。そうは思いながらも、しかし、思想とやらが行動として具体化されたときに、なんと滑稽な産物か――深淵な思想が通俗な行動として終わる。しかし、生活のなかで現成した行動こそが私の作品(証し)ではないか。
2016-05-07 13:38:17ひとつの思想にかぶれて逆上せている信者――「信念」を披露する one-way traffic のコミュニケーションしかできないのが、彼らの特徴である。そして、ことば を総てフォルテッシモでしゃべるのも、彼らの特徴である。
2016-05-07 13:45:32最近、私には、「思い詰める」習慣が失われて来た。その兆候は、かつて、心の奥底に強烈に存在して、そのためにジッとしていることができないほどに心を揺さぶり駆り立てた「憤怒」が消え去ってしまった。あれは青春時代の一過性の「疾風怒濤」状態なのか。誰もが罹る「はしか」に過ぎなかったのか。
2016-05-07 13:49:31「円熟した大人(おとな)」となってゆくのか。世俗的な「円熟した大人」のふがいない生活を観よ――虚栄・狡猾・慢心に満ちた生活を。自らの思考力と対決することを避けた まやかしの「円熟」などは、挙げ句の果てに、その程度の処世術に過ぎない。そして、私自身も、この罠に陥っている、、、。
2016-05-07 13:53:15「芸術家よ、語るなかれ。創造せよ」(ロダン)。創造を促す「内なる声」に対して、誠実に耳を傾け、それを生活に表現しようと、一本の線、ひとつの色、ひとつの音を求めて、手を絶えず動かし、形を作る。ともすれば、「技術」を語るに饒舌なる私が反省すべき点である。
2016-05-07 13:56:29なにを獲得したかを棚卸しするほかにも、なにを「拒絶」したかによって、その人が抱いている思想の純度(純度の強度)がわかるときもある。
2016-05-07 13:58:05やらなければならないことを遂行した人が、「私(個性)」を示すことができる。そのような人は、使命を果たすことに一意専心して、けっして、「私」を衒ったりなどしない。「私」などという現代病は捨てなければならない。「私」に執着しているかぎり、断じて、「私」らしい仕事はできない。
2016-05-07 14:00:47「この身は尽十方界なり。ここまで自信をもっていないと、シッポが出るぞ。ヤキモチやいたりノボセあがったりシッポが出るぞ」(澤木興道老師)。
2016-05-07 14:04:59モーツァルトの「(透徹した)悲哀」――「ドン・ジョヴァンニ」で 石像が迫る悔い改め、そして、ピアノ・コンチェルト23番第2楽章、この2つの音楽的主題が、一人の音楽家のなかに共存するとは、、、。
2016-05-07 14:16:33私は、最近、「創造」的な仕事を何もしていない。すでに完成された他人の仕事――故人の遺した天才的な作品――を「語釈し、再体系化する」再現的な仕事ばかりしている、、、私は作りたい。
2016-05-07 14:22:30「本当に自分がやりたいことをやっていないから、私は、いつまでたっても私になれません」、――この文章は、「自我」という観念に慣れ切った現代人を魅惑する実に巧妙な修辞法です。書いた本人さえも気付かないほどに巧妙に仕組まれた罠です。感情を愛撫しているだけの皮相な独白に過ぎません。
2016-05-07 14:26:07あなたは、相手の中に、一体、何を「理解」したいのですか。「理解」とは夢想に過ぎないのではないでしょうか。たとえば、友情・恋愛は「美しい誤解」ではないでしょうか。そして、その誤解こそが生活の誠実さを語るように、私には思われるのです。なぜなら、「信じる」というほかにないから。
2016-05-07 14:28:59常に計画していること。そして、環境の変化に対応しながら、いままでのやりかたを推敲し、ときには覆し、新しいやりかたを打ち立てること。真実なことは、「創造は、それ自体、崩壊の起点である」ということ。
2016-05-07 14:31:23矛盾を孕んだままのダイナミズムこそが、生活の偽らざる実態であり、生活の推進力であるように、私には思えてならない。この意味で私は弁証法を嫌っている。精神の作用と存在の作用を混同してはならない。
2016-05-07 14:33:43高橋義孝 氏(ドイツ文学研究家)曰く、「(人生とは)精神的身銭を切って初めて、その返報に、その代償に、ものが見えてくる、ものの味がわかってくる しくみ なのではあるまいか」。
2016-05-07 14:36:45企業のなかの情報システムというのは、一種の言語生活である。工学技術を使って巧みに組み立てた情報システムでも、一編の叙事詩にひとしい。
2016-05-07 14:39:28エンジニアは、アルゴリズムの美しさなど、実用上、賛美されることがないと思いながら、しかし、美しいアルゴリズムを作ることには まんざらでもないのである。思考するひとは、かならず、とこかで気取っている。
2016-05-07 14:41:12新鮮な・落ち着いた気持ちで始まる月曜日が、汚れ切った・喧騒に疲れた週末として終わる。そして、休日には、惰眠を貪る。まるで、カンフル注射を打って、一時的に・人為的に、空元気を作って、そのききめが薄れたら、さらに、強い注射を打つという繰り返しの生活である。まともであるとは思えない。
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