室町、江戸初期の剣術型数と江戸後期の型数の違い考察

6
みんみんぜみ @inuchochin

ふと思う。中国武術だとカタ(中国だと套路?)が多数ある派から意拳みたいにカタをほぼ廃して鍛錬法と技法だけにしてるものまで色々あるみたい。 日本ではカタ数をごく少なくして試合などで修行する流派も多数あったけど、そこに武道が成立したからかそれらの流派は武道と一体化していて独立してない

2016-05-24 09:11:57
みんみんぜみ @inuchochin

江戸時代に成立した平常無敵流、二天一流などは流祖が厳選した数本のカタのみ、雲弘流、神道無念流、男谷派直心影流、柳剛流なども太刀の形は数本〜十数本ほどだったと記録があるし、日本では厳選されたカタを練って、あとは試合等の稽古法重視というのは伝統的な考え方の一つだと思う。

2016-05-24 09:20:52
みんみんぜみ @inuchochin

某流派では数え方にもよるけどカタは13本くらいしかない。ただ古い伝書に記載された変化を考えると数十本になる。だからずっと昔、まだ互角稽古や防具稽古が無かった頃は打方が様々に変化したり、仕方が構えを変えて別の場所を打たせたりして色々な技を稽古していたんじゃないかと思う。

2016-05-24 09:27:42
みんみんぜみ @inuchochin

以前から思っているけど、『固まったカタと自由な試合稽古』という概念が室町や江戸初期からあったとは思えない。古い時代のカタ解説は先ほど書いたように「この場合はこう、この場合はこうが良い」的な書き方をしていている。対して江戸中期以降の伝書には一連の決まった動作を細かく書くものが増える

2016-05-24 09:40:45
みんみんぜみ @inuchochin

だから江戸時代初期頃は『数十、数百の無数のカタを制定して稽古する』という発想は無かったんじゃないかと思う(実際剣術に関して言えば古い伝書はカタ数が二十数手前後くらいが多い)

2016-05-24 09:43:48
我乱堂 @SagamiNoriaki

平常無敵流の開祖は形など不要であるという境地にたったのだが、指導するのに困って昔習ってた流派から再導入したという…間抜けなようでもあり、お弟子さんの指導をちゃんと考えたんだなあという好感度が少し上がるような…そんな感じの人だった。なお後の人が形を改めて廃した。

2016-05-24 12:19:24