カニバ雑記

まとめたもののさらにまとめ。
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児島なつの @natsuno10

そういえばカニバリズム(宗教的意義を含む・精神的活動からの食人)とアントロポファジー(飢餓等から食する・肉体的活動からの食人)は含む意味合いが異なりますが、どちらも日本語では「食人」なんですよね。かといって日本には食人行為に意義的区別をつけていなかったかというとそうでもなくて、→

2016-05-26 11:37:00
児島なつの @natsuno10

→「敵であれば食して構わない」という軍律があったりする一方で、梅毒の薬として人肉(脳)が食べられていたりもします。昔の日本では、意味なく食餌とするなら(アントロポファジー)人肉食はタブーだったけれども、そこに意味があるなら(カニバリズム)人肉食は許されていた、というわけですね。→

2016-05-26 11:45:17
児島なつの @natsuno10

→それではいつから日本では人肉食が全面的にタブーとなったのか。正式には、明治3年4月15日に明治政府から人肝、霊天蓋(脳髄)、陰茎などの密売を厳禁する弁官布告が出されてからとなります。薬用もNG。ここで気になるのは明治政府が何の影響を受けてこの布告を出したかということなのですが→

2016-05-26 11:53:26
児島なつの @natsuno10

→ここからは事実に基づいた個人的意見になりますのでご注意ください。 弁官布告とは、明治前期の最高官庁の太政官の事務局である弁官から出された法令のことです。私はここから、人肉食禁止はけっこう気合の入った施策だったのかな、と推測します。ここで当時の時代背景を考えてみましょう。→

2016-05-26 14:31:29
児島なつの @natsuno10

→ときは明治3年、文明開化真っ盛りです。伊藤博文率いる明治政府が発足し、諸外国の近代文明に追いつくための制度改革を急いでいる時期でした。この潮流のなかで、江戸時代の諸文化は野蛮なものとして排除されていきます。野蛮なものとはすなわち、外国の諸文化にそぐわないものです。→

2016-05-26 14:31:59
児島なつの @natsuno10

→当時の日本政府における「外国」とは、明治のごく初期(遣欧使節団が出立していない時期)においては、イギリスを指しています。さて、ここで、イギリス文化の根底となる宗教であるキリスト教に触れていきましょう。日本政府はキリスト教をこそ好いてはいませんでした(cf.五榜の掲示)が、→

2016-05-26 14:32:29
児島なつの @natsuno10

→外国(イギリス)文化そのものに対しては近代化の礎として迎合姿勢を取っていました。キリスト教に支えられた思想もまた、そのときに輸入されていると推測できます。 キリスト教にはかつて聖餐としての食人、まさしくカニバリズムが行われていたという歴史がありますが、→

2016-05-26 14:32:56
児島なつの @natsuno10

→その事実はグノーシス派・ユダヤ教徒を弾圧するための理由として使われ、転じて、「正当な」キリスト教では、食人はタブーとなりました。このタブーを明治政府は受け継いだがゆえに、政府肝いりの法令によって、旧来の食人文化が淘汰されたものと、私は推測します。→

2016-05-26 14:33:16
児島なつの @natsuno10

→なお、同時期に、日本国内で肉食が始まったのも人肉食禁止の理由のひとつかも知れません。ちなみに時代が少し下がり明治12年になると、モースの大森貝塚発見により「人肉食は日本精神史に通じる」とするアプローチが行われます。→

2016-05-26 14:33:57
児島なつの @natsuno10

→人肉食禁止からわずか10年足らずで、人肉食は「事実そこにあった行為」から「歴史」へと、(見た目上は)変遷したわけですね。 長々と呟きました。おつきあいありがとうございました(*^_^*)

2016-05-26 14:34:22
児島なつの @natsuno10

お昼間にカニバリズムについて考察&呟いたんですけど、文化人類学の観点からの人肉食を考えるのって面白いですね。また文献漁ろうっと……もしオススメの本がありましたら、教えてください(*^^*)

2016-05-26 18:47:51