40年前の台湾すかたん列車

40年の年月で変わったものとは
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Yoshiteru Kawai @yoshikun2009

吉谷和典氏のすかたん列車で海外はヨーロッパ5回、アジア1回、アメリカ1回、オセアニア1回あり、そのアジアの1回が台湾である。1976年6月18~22日の3泊4日。

2016-05-28 13:50:49
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009

当時は蒋介石死後蒋経国の総統就任までの過渡期で厳家淦が総統であり、大陸側も周恩来、朱徳、毛沢東が相次いで亡くなった。そのせいか物々しい雰囲気があり、入国時の日本雑誌新聞没収や橋脚の衛兵監視、撮影禁止など軍事政権らしい状況が書かれている。

2016-05-28 13:53:20
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009

この旅行は京阪旅行社(文中ではK旅行社)のツアー「台湾鉄道の旅」で吉谷氏としては珍しく飛行機のみ利用ではなく道中も参加。目玉は阿里山鉄道(有名なSLあり)と新竹機関区のSL撮影のようだ。日本のSLブームを踏まえて企画したのだろうか。

2016-05-28 13:59:29
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009

このツアー、どうも鉄道に相当特化していたようで故宮博物院や国父記念館など街中の観光名所が出てこない。観光ツアーらしいのは最後に台北で訪問した土産物店程度。ツアー参加の第1回ヨーロッパすかたん列車と比べても不思議である。

2016-05-28 21:23:56
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009

旅程として1日目:大阪(伊丹)を夜発→台北泊,2日目:台北→嘉義→阿里山泊、3日目:阿里山→嘉義泊,4日目:嘉義→新竹→台北→大阪夜着の模様。伊丹19時35分発のノースウエストで向かうところ30分遅れで出発している。

2016-05-28 14:03:00
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009

機材がB707なのは時代を感じさせる。当時は桃園空港がなく松山空港のみ。添乗員氏が日本赤軍と偶然同姓同名で手間取って入国に1時間以上かかるとある。今もだが顔や名前が似ていると別人と証明するのに時間がかかる。

2016-05-28 14:06:02
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009

台北で宿泊した六福客桟(レオフーホテル)は今も健在。ただ、老朽化であまり評判は良くない。莒光号で嘉義に向かっているが当時は光華号が最速でエアコンがないこと、觀光號があることが書かれている。

2016-05-28 14:13:02
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009

道中食堂車で食事していることが書かれている。嘉義まで4時間55分と遅い。今の自強号が3時間程度。電化前なので相当時間を食ったようだ。戦前甲子園に出た嘉義農林のことも書かれているが野球好きの吉谷氏ならではの文だろう。

2016-05-28 14:17:07
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009

阿里山鉄道では光復号(客車)に乗車。独立山第9トンネル付近度土砂崩れがありダイヤが乱れているため、4駅目の竹崎駅で先に出た中興号(ディーゼルカー)に追いついている。

2016-05-28 14:22:03
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009

遅れに説明がないのを不思議がっている。昔は遅れてもそんなものだ、という認識だったのだろう。4両編成で運転手、車掌とCA(無料の茶を提供)が乗車。

2016-05-28 14:30:33
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009

途中独立山のループを徒歩連絡。山を登って移動している。雨の中足元が泥で大変な様子が伺える。なんと運転手、車掌、CAとも徒歩で移動して連絡先の列車に乗り込んでいる。要員が足りなかったのだろうか。

2016-05-28 14:33:37
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009

このあと交力坪から奮起湖まで機関車に便乗。なんともゆるい時代だ。戻った客車の電灯がつかず修理も失敗して真っ暗とある。また奮起湖駅の弁当販売も描かれている。2時間40分遅れの20時44分に阿里山駅に到着し、阿里山賓館に宿泊。ここは今でも高級ホテルである。

2016-05-28 14:36:58
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009

翌日日の出を見にマイクロバスで祝山展望台に移動している。うまく晴れたとのことで玉山も撮影できたようだ。戻ると車庫で撮影。有名なSLも現役の時代で稼働している。帰りの列車は13時30分発。ここでも徒歩連絡の箇所で雨に祟られている。

2016-05-28 14:43:41
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009

先ほど嘉義泊と書いたが台中泊のミス。宝島大飯店は寶島53行館としてリニューアルし、かなり綺麗になっている。翌日莒光号で新竹に異動し、機関区へ。まだ台湾のシリコンバレーという異名が出る前である。

2016-05-28 14:52:48
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009

機関区長は日本研修経験があるとのこと。往時から鉄道面では日本との交流があったことが分かる。CT150,DT580,DT660など日本時代のSLが走る。台北に戻り土産物店に寄って帰国。

2016-05-28 14:54:38
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009

市電が台北にないことを嘆いているが台湾島に市電が走ったのは2016年正式開業予定の高雄が初で清、日本時代にはなかった。地下鉄も1997年台北が初で当時の市内移動はバスと電化前の台鐵列車のみ。淡水線など今では貴重だが当時のツアーでは組み入れるのはきつかっただろう。

2016-05-28 14:58:10
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009

あまり料理の内容も書かれておらず、竹崎駅の物売りから買ったコーラ、スイカや祝山展望台のコーヒー、阿里山賓店のビール(冷えていないのでおいしくないとのこと)程度。弁当も食堂車の料理も中身が書かれていない。他国の場合はかなり詳細に書くので不思議である。

2016-05-28 21:11:52
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009

汽車は面白かったが食事は不向きで何度も行きたいとは思わないと吉谷氏。肉食派の吉谷氏でも味付けなどで好みに合わなかったのだろう。今の台湾ならどう反応したのか知りたいところだ。

2016-05-28 14:59:55