【本多勝一様への追伸③】聖書の世界の「贖罪」とは/ナチズムの第一歩/~殺される側に立つと称し、「反論者を犯罪人の位置におく」体制をとる本多勝一~

イザヤ・ベンダサン『日本教について~あるユダヤ人への手紙~』/本多勝一様への追伸/聖書の世界の「贖罪」とは/ナチズムの第一歩/無意識の前提/219頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【聖書の世界の「贖罪」とは】しかし、すべては「自明」の再検討から始まるはずですから、ここでまず教会闘争の人々およびブラント氏の「自明」からはじめましょう。 両者の背後には、聖書の世界の「贖罪」という伝統的な考え方があります。<『日本教について/イザヤ・ベンダサン』

2016-05-15 14:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

②これは本多様のいう謝罪とは全く意味が違う考え方です。 この「贖罪」という思想は非常に古く、おそらくは旧約聖書の最古の資料にまで遡りますが、これを一つの思想として明確にしたのは第ニイザヤでしょう。

2016-05-15 15:09:05
山本七平bot @yamamoto7hei

③ヘブル思想の最高峰といわれる彼の思想、ヘブル文学の精華といわれるその詩、特に『苦難の僕(しもべ)』は、さまざまな面で聖書の民に決定的な影響を与えており、簡単には要約できませんが、その中の特徴的な考え方の一つは 「人は他人の罪責を負うことができる」 という考え方です。

2016-05-15 15:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

④一見奇妙な考え方と思われるかも知れません。 しかしこの罪責を栄誉と置きかえてみれば、人はみな当然のことのように他人(先人も含めて)の栄誉をにない、本多様とて例外でないことにお気付きでしょう。 本多様は、砂漠にただ一人、自生されたわけではありますまい。

2016-05-15 16:09:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤二十世紀の日本という社会に生れ、何の権利もないのに、その社会の恵沢と栄誉を、当然のこととして負うておられます。 従って本多様が「幼児であったから」「責任がない」といわれるなら、日本の伝統的文化、それにつづく現代社会の恵沢と栄誉を受ける権利も放棄されたことになります。

2016-05-15 16:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥責任を拒否した者に権利はありますまい。 人間は生れる場所も生れる時も選ぶ事が出来ないが故に歴史に対して責任がある と考えうる時、初めて人間が「人間」になるのであって 「俺は生れた場所も時も自分で選んだのではないから責任はない」 といえば、これは獣に等しい筈ですが、(続

2016-05-15 17:09:15
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦続>そう考えうること自体が、実は、恵沢を受けている証拠なのですから、この態度は「栄誉と恵沢は当然のこととして受けるが、罪責を負うことは拒否する」ということになります。

2016-05-15 17:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧少なくとも聖書の世界では、これを最も恥ずべき態度と考えますので、ブラント氏がもしワルシャワで本多式のあいさつをしたら、すべての人が彼に背を向けたでしょう。

2016-05-15 18:09:03
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨なぜならこれは 「財産は相続するが、負債はおれには関係がない、なぜならその借金は、おれの幼児の時のもので、当時何も知らなかったからだ」 と言うに等しいからです。

2016-05-15 18:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩ブラント氏がドイツ人であるならば、その伝統という遺産とともに罪悪という負債をも継承するのが当然であり、またドイツ人を同胞すなわち兄弟と呼ぶなら、同胞の罪責を負うことはできるし、負うのが当然(自明)のことだからであります。

2016-05-15 19:09:07
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪罪なき者が他人の罪を負って打たれ砕かれる。 この時初めて、負った人は負わせた人々を同胞と呼びうる。 既に「他人」ではない。 従って同胞としてその罪を糾弾する権利があると同時に、その罪禍で苦しめられた人々に謝罪する権利も生ずる。 そしてそれをする事によって和解が成立する――

2016-05-15 19:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫…(引用詩省略)…ワルシャワのブラント氏の記事を読むと、この古い詩がそのまま浮かんできます。 氏はワルシャワの血に対して責任がないがゆえに謝罪し、謝罪することによって、自分に罪を負わせた者を同胞と呼ぶことができ、かつ同胞として糾弾する権利があるわけです。

2016-05-15 20:09:25
山本七平bot @yamamoto7hei

①そしてこれによってその民族は、その遺産とともに負債(罪責)も継承して行きます。 【ナチズムの第一歩】と考えますと、本多様のあいさつは、実に恐ろしい言葉だと言わねばなりますまい。<『日本教について/イザヤ・ベンダサン』

2016-05-15 20:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

②もう一世代もたてば、日本中が 「南京虐殺当時私はまだ生れておりませんでしたから、あの事件に私は何の関係もありませんし、責任もありません」 といいながら遺産だけは手離さない人間だけになってしまうでしょう。

2016-05-15 21:09:11
山本七平bot @yamamoto7hei

③「恵沢をうけたのだから災いも受けるべきだ」 というヨブの言葉は、恐らく現在既に本多様自身がはっきり拒否されています。 そして中国にとって「日本の軍国主義復活」よりも恐ろしいのはこの考え方でしょう。

2016-05-15 21:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

④というのは一定の時間が経つだけで、自動的に全日本人に責任がなくなってしまうのですから。 そして、ある時点で自動的に責任がなくなると考えること自体が、実は、その時間を現在に還元しているのですから、現在すでに責任がないことになってしまいます。

2016-05-15 22:09:11
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤こういう考え方は、ニヒリズムという以外に名づけようがないと思います。 さて、ここで必然的に本多様の論理は次のようにならざるを得なくなります。 「問題は過去よりも現在なのです…過去の軍国主義の”おわび”をしたところで何もなりません」 これは実に不思議な言葉であります。

2016-05-15 22:38:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥人間の謝罪はすべて過去のことに対して行なわれるのにきまっております。 未来のことに謝罪することは始めからありえません。 しかし謝罪そのものは現在のことであり、未来を規定するもののはずです。 しかし本多様は明らかにそう考えておられない。

2016-05-15 23:09:13
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦逆に 「謝罪をすればそれですべてが終了する(責任解除になる)からしない、してはならないし」 と考えておられる。 これは「私の責任=責任解除」という考え方を自明の前提としておられる証拠になります。

2016-05-15 23:38:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧従って 「謝罪するか、それとも反対に天皇の責任を追及するか」 という二者択一になってきますが、 「罪を負って謝罪したのだから、負わせた者を同胞と呼びうると同時に、同胞としてその責任を追及する権利が自分にある」 という考え方にはならないわけです。

2016-05-16 08:09:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨しかし人間がだれかの責任を追及できるなら、それはその権利を有する人に限られるはずです。 本多様御自身も、自分に全く関係のない人から、何らかの追及をうけたら、 「君にはそういう権利はない」 といわれるでしょう。 これはすべての人間がもつ権利のはずです。

2016-05-16 08:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩では「この罪悪に対して責任がありません」から「謝罪しようとは思いません」と言い切った人が、また「幼児でしたから…」という言葉で、もう一世代もたてば全日本人には責任がなくなるという態度をとっている人が、何を理由に、自分には責任追及の権利があると信じているのかという問題です。

2016-05-16 09:09:26
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪公開状を拝読しますと、結局 「私も被害者だからだ、私は殺される側、抑圧されている側に立っているからだ、従って加害者を追及することは私の権利であり、義務なのだ」 という言葉につきると思います。 しかしこれは非常に恐ろしい言葉です。

2016-05-16 09:38:53
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫「私は殺される側に立って発言しているのだ」 といえば、それは、 その発言内容に反論する者を、必然的に「殺す側」に立っている者と規定する ことになります。 とすると本多様への反論者はすべて、虐殺者か、その一味か、その手先ということになります。

2016-05-16 10:09:11
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬これは、本多様へ反論すること自体が犯罪だということになり、反論者は犯罪人とされます。 人間の言葉で反論できない言葉はありません。 また反論してならない言葉もありません。 反論者を犯罪人の位置におく体勢をとること、これがナチズムの第一歩です。

2016-05-16 10:38:50