ハヤカワSFコンテスト関連ツイートBY曽根卓氏

まとめさせていただきました。
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曽根卓 @sonesuguru

■予告■『稀刊 奇想マガジン』、次号メイン企画は【旧ハヤカワ・SFコンテスト&新ハヤカワSFコンテスト総解説】です。早川以外の商業誌に載った候補作・応募作も網羅してレビューの予定です。頒布時期については追って告知致します。何卒宜しくお願いいたします。

2016-05-21 18:27:09
曽根卓 @sonesuguru

旧ハヤカワ・SFコンテスト&新ハヤカワSFコンテスト総解説のために受賞者・候補者の資料を漁っていると、宇宙塵をはじめSF同人誌の出身者の比率がものすごく高いことにビビる。

2016-05-23 00:14:28
曽根卓 @sonesuguru

第四回ハヤカワ・SFコンテスト(SF三大コンテスト)がなんか凄い回で、入選者三人のうちでは川田武しか生き残らなかったのだが、佳作が田中文雄、最終候補が山尾悠子、かんべむさし、清水義範。

2016-05-23 00:27:30
曽根卓 @sonesuguru

この時の応募作、田中文雄「夏の旅人」、山尾悠子「仮面舞踏会」、かんべむさし「決戦・日本シリーズ」は活字になっているから読めるのだが、清水義範(当時は沖慶介名義)の「未来記憶」は封印されたのか改題改稿されてどこかに載ったのか判然としない。当時の選評にはあらすじも書かれていないし。

2016-05-23 00:32:33
曽根卓 @sonesuguru

で、それを探るため清水義範の本の解説を片っ端から確認していたら、『アキレスと亀』の大森望による解説が、「解説者である『大盛望』を主人公に解説文体を弄る、清水義範的なパスティーシュ」のパスティーシュ、というものすごくファニッシュなものになっていた。

2016-05-23 00:40:52
曽根卓 @sonesuguru

当時の選評より、沖慶介(清水義範)「未来記憶」の内容に触れた部分。「ここにあたえられているような方法で果して未来を先取りして構成できるかどうか」(小松左京)「ぼくなら、相原の息子の二回目の未来行きでは幸子と結婚させる」(筒井康隆)……未来予知とタイムトラベルを組み合わせた作品か?

2016-05-23 00:50:53
曽根卓 @sonesuguru

大学二年のころ、自身が会長を務める同人誌『スーパー・ノバ』に書いた「冒険狂時代」が、柴野拓美の目に留まり『宇宙塵』に掲載、それが更に商業誌『推理界』に掲載――というのが、沖慶介=清水義範の本当の商業デビュー。宇宙塵はやはり凄いが、しかし「未来記憶」とは無関係のようだ。

2016-05-23 01:09:07
曽根卓 @sonesuguru

旧ハヤカワ・SFコンテスト、初読再読含めて八割方読んだ訳だけど、今のところ阪神タイガースファンと阪急ブレーブスファンが罵り合う話が一番好きだな。関西SF傑作選を編むべきだ

2016-05-25 01:34:53
曽根卓 @sonesuguru

かんべむさしのデビュー経緯。SFコンテスト送ったら、選考委員の筒井康隆から手紙が来て、コンテストには落ちたけど面白いから会って話がしたい、だもんなあ。夢のあるエピソードだ。

2016-05-25 01:43:06
曽根卓 @sonesuguru

(1)『稀刊 奇想マガジン』次号は「(旧)ハヤカワ・SFコンテスト&(新)ハヤカワSFコンテスト総解説」ですが、「コンテストに応募された作品で商業誌に出たものを、受賞・未受賞問わず紹介する」のが目標です。本日はSFマガジンを漁って、候補作や1次選考通過作のリストを調査しました。

2016-05-28 19:49:53
曽根卓 @sonesuguru

(2)その過程で、「この人がこの時、ハヤカワ・SFコンテストに応募していたのか!」という発見もあったので、ご紹介します。初期に西村京太郎が応募して候補に残ったりしているのは有名ですが、今回はコンテストの後半、第8回(82年)~第18回(92年)、未受賞の作品に限ったご報告です。

2016-05-28 19:50:43
曽根卓 @sonesuguru

(3)第8回(82年)「最後の謝肉祭」牧野ねこ(牧野修)が最終候補作に。また、一次選考通過作の中に、「ブラックホール・ダイバー」山本弘 の記載も。「ブラックホール・ダイバー」商業初出は04年なので大幅改稿されていると思いますが、あのアイデアをこの時代に既に書いていた事に驚きです。

2016-05-28 19:51:16
曽根卓 @sonesuguru

(4)第9回(83年)一次選考通過作のリストに、「夢は来ませり」牧野猫(牧野修)、「剣、折れし時に……」伊野隆之。新人賞キラーの牧野修が再び登場。そして、09年に第11回日本SF新人賞を受賞し、『樹環惑星――ダイビング・オパリア――』でデビューする伊野隆之が名前を連ねています。

2016-05-28 19:59:20
曽根卓 @sonesuguru

(5)第10回(84年)一次選考通過作に、「ガブリエルの暴走」完甘直隆(秋山完)、「夢の旅団」伝江田航洋(傳田光洋)、「生存者」東野司。東野司はコンテスト未冠ながら、86年にSFマガジン掲載「赤い涙」でデビュー。また、コンテスト最終回で佳作に選ばれる秋山完が応募を初めています。

2016-05-28 20:02:56
曽根卓 @sonesuguru

(6)第11回(85年)一次選考通過作に、「IT(イット)」倉阪鬼一郎、「エフ・エル」西沢保彦(西澤保彦)、「ネオ」東野司、「ソリテア」岸祐介(貴志祐介)、「くるみ割り人形」平田真夫。バラエティ豊かな応募者です。倉阪鬼一郎の名に驚きと納得。岸祐介(貴志祐介)が佳作を取るのは翌年。

2016-05-28 20:13:41
曽根卓 @sonesuguru

(7)第12回(86年)一次選考通過作に、「銀河の見える夜」平田真夫、「同窓会」平田真夫、「オールド・ロング・ジョン」林譲治、「ガラスの内宇宙」青山智樹、「かすみ草」岡崎弘明、「言語制御官」梅原克哉(梅原克文)と、大盛況。梅原作品はかんべむさしの名作「言語破壊官」へのオマージュ?

2016-05-28 20:19:21
曽根卓 @sonesuguru

(7.5)また、一次選考通過作に、「コンスタンティヌスの月のもとで」高野愁星 がありますが、高野史緒の別名義かと思います。第16回に同じPNで「エクス・オペレ・オペラート」という『アイオーン』の章題と一致する作品が一次通過しているためですが、このポストは問題あれば削除します。

2016-05-28 20:24:07
曽根卓 @sonesuguru

(8)第13回(87年) 一次選考通過作に、「ガラスの内宇宙」青山智樹、「MUS−1234の訪問者」青山智樹、「最後の「復楽園」」西沢保彦(西澤保彦)、「イコ」機本伸司。「ガラスの内宇宙」は前年の改稿版? 02年に『神様のパズル』で第3回小松左京賞を受賞する、機本伸司の名前も。

2016-05-28 20:24:59
曽根卓 @sonesuguru

(9)第14回(88年) 最終候補に岡崎弘明「スミレ・オムレツ」。一次選考通過作に、「企業秘密」小林めぐみ、「キッズ・ブルース」梅原克哉(梅原克文)、「夜雨はやさしく」岡本賢一。この2年後にファンタジア長編小説大賞からデビューする、小林めぐみの名前が。当時まだ16歳での応募です。

2016-05-28 20:27:11
曽根卓 @sonesuguru

(10)第15回(89年) 一次選考通過に、「遺伝子狩人」藤田雅也、「追跡した猫と家族の写真」酒見賢一、「すべては愛のなせる技」林譲治、「火星の受難劇」磯部剛喜。第12回(86年)で藤田雅矢は参考作を受賞していますが、なぜかこの回は「矢」の字が「也」になっています。

2016-05-28 20:33:18
曽根卓 @sonesuguru

(11)酒見賢一「追跡した猫と家族の写真」は91年にはSFアドベンチャーに掲載されることになる、オカルトとSFのほどよくブレンドされたエモーショナルな作品で、『日本SF全集』にも収録される予定の作品です。『後宮小説』が89年なので、ほぼ同タイミングの応募のはずです。

2016-05-28 20:33:55
曽根卓 @sonesuguru

(12)第16回(90年) 「グノーシスの器械」磯部剛喜、「少年は少女と巡り逢った」森岡浩之。森岡浩之の作品は「星界」の原型か星間ポストヒューマンSF「A Boy Meets A Girl」(『宇宙への帰還』収録)の原型か、と邪推しますが根拠は無し。森岡浩之の受賞は翌年です。

2016-05-28 20:35:47
曽根卓 @sonesuguru

(13)第17回(91年)この回は最終候補に、古川日出男「アンダー・ウォーター」が。しかし選評が後に禍根を……。一次選考通過は、「スカイクレーパ・クライマー」完甘直隆(秋山完)、「進化師」藤田雅也(やっぱり也の字が違う)、「パティスは宇宙一の超能力使い」岡本賢一と、常連ばかりに。

2016-05-28 20:40:49
曽根卓 @sonesuguru

(14) 第18回(92年)一次通過作に、「ライスのやくめ」岡本賢一。応募総数が第13回から第18回にかけて、852篇→641編→588編→515編→480編→445編と激減、同時に一次選考通過リストからも、後に作家になる人の名前が減りました。この辺りの分析は総解説に記します。

2016-05-28 20:45:20
曽根卓 @sonesuguru

(まとめ)旧ハヤカワ・SFコンテストは、一時、後に他社からデビューすることになる多数の書き手から志望されるほど、注目度の高い賞だった。しかしそれらの作品の多くは、最終審査に届かず消えていったか、届いても早川から出すことはできなかった。そのプロセスについては、総解説本で分析したい。

2016-05-28 20:57:30