「遊び」について ~"café ludens"構想~
劇とは演じつつ見られること。遊びとは演じつつ夢中になること。そう考えると、劇は見せるという目的意識に貫かれているがゆえに、遊びほど純粋な無目的性はないことになる。
2011-09-28 04:06:10遊びの「三大忘却」とは「我を忘れ」「時を忘れ」「場を忘れ」という状態のことを言う。(20年前の子ども論をめぐる私の定義)自分は誰なのか、年齢はどうなのか、今何時なのか、ここは家から遠いのか近いのかを忘れて無我夢中になるという状態。昔は、夢中になって遊ぶのは当たり前のことだった。
2011-12-06 00:24:26「時間貯蓄銀行」とはミヒャエル・エンデの『モモ』に登場する子どもの自由時間を切り刻む鋭い創作。子どもの自由遊びの世界とは、目的合理性に拘束されず、途中下車と進路変更があたりまえで、ひたすらエネルギーをつかいはたす蕩尽そのもの。興奮と感動、そして感情のルツボの中で育つものに注目。
2011-12-06 00:31:52今や流行の感もある「自尊感情」(私は20年前から「自己肯定基盤」と呼んでいる)は、「遊びのエネルギーの昇華=カタルシス」によって構築されていくものと考える。「楽しい」「嬉しい」「良かった」と思える熱い感情がナイーブな心をカバーし、外的攻撃にタフな防衛線・庇護膜の役割をする。
2011-12-06 00:40:14子供と砂場遊びをするようになってから気づいたこと。とくに男の子の場合に顕著だが、それまでに一生懸命つくった山や穴をたいていぶっ壊してから砂場を立ち去ることが多い。創造への情熱は破壊衝動と隣り合わせということなのだろう。人間が築き上げてきた文明というものの両義性を見る思いがする。
2012-04-02 18:06:21橋下市長の補助金廃止方針でキッズプラザ大阪の閉館が検討され始めたとのこと。入場料が少しばかり高いと感じてはいたが、パスを買って私も月に一度は子供を遊びに連れて行ったものだった。私にとっても実に貴重でありがたいあの場所が、橋下の政治的な判断で閉鎖されるとしたら、純粋な憤りを覚える。
2012-11-02 22:57:22普通の「先進国」であれば、「キッズプラザ大阪」のような子供が遊べる施設の入場料はとらない。たとえば、先日、ロンドンの科学博物館へ行ったが、展示物といい子供の遊び場といい、一日遊んでも遊びきれないほどの充実振り(何度行ってもあきそうにない)だが、入場料が無料というのに何より驚いた。
2012-11-02 23:03:05Science Museum, London sciencemuseum.org.uk この充実振りを見よ。とくに子供の遊び場の充実振りが半端じゃない。sciencemuseum.org.uk/visitmuseum/fa… ロンドンに住んでいたら毎週のように行っているだろう。ほかにも無料の博物館は少なくない。
2012-11-02 23:15:50ちなみに、大量のプラレールとレゴを思う存分格安で楽しめるNPOの「トイトイパーク」(toy2.cocolog-nifty.com)のことを知ってからは、キッズプラザ大阪へはあまり行かなくなった。以前は市民会館で月一回の開催のみだったが、少し前から常設になった模様。ここは本当にお勧め。
2012-11-02 23:23:14正直、今の日本の政治に、子供の遊び場のこれ以上の減少を食い止めることは訴えられても、今以上の充実を期待することは残念ながらできそうにない。このシビアな現状認識に立った上で、せめてトイトイパークのようなNPOベースのすばらしい遊び場の作り手が増えてくれることを願わずにはいられない。
2012-11-03 00:12:10同じ団地世代と話していて発見したのは、団地というのは、その領域全体がひとつの遊び場、すなわち、みんなの共有財産であった、という不思議な感覚である。一戸建ての家の真ん前で別の家の子が遊ぶことはないが、団地の子であれば、どの団地の前であれ、後ろであれ、気兼ねする子は一人もいなかった。
2013-01-13 10:20:06自分に子供ができてからというもの、近所の公園に遊ばせに行くようになったが、私から見て一番の不幸に思えるのは、公園以外の場所にまともな遊び場がないこと。私の子供時代には、団地全体が一つの遊び場のようだった。私の親は団地の商店街に店を構えていたが、商店街全体もすばらしい遊び場だった。
2013-01-13 11:38:10土曜日に伊丹市の稲野運動公園という変わり種自転車が乗れる公園に初めて行ったが、25分乗り放題で100円。野球場の外周を回るコースがやたら長くて、子どもが一周するのに5分はかかる。関西近辺の子供向けの遊び場としては、屈指の隠れスポットだ。att42.com/menu/spot/play…
2015-04-12 23:10:24松岡正剛の千夜千冊772夜『ホモ・ルーデンス』ヨハン・ホイジンガ 1000ya.isis.ne.jp/0772.html 「遊びは文化よりも古い。「ホモ・ファーベル」(作る人)よりも「ホモ・ルーデンス」(遊ぶ人)が先にある。 これがホイジンガの大前提である。」
2015-08-27 22:50:43小学校に上がる前の子どもなら大抵そうだろうが、子どもにとって遊びは仕事のうち。うちの子は殊にそうで、朝起きたら「遊ぼ~」、ご飯を食べたら「遊ぼ~」、帰宅したら「遊ぼ~」、そして寝る前ぎりぎりまで「遊ぼ~」と寝てる時以外は遊ぶことしか考えてない。さすがに疲れるが学ぶべきことも多い。
2016-01-06 10:54:47