桜で包んで弔うために#2 伝説のひと◆2(終)
_土の中から掘り起こした手記。レッドはそれを紐解いた。手書きで綴られた苦労の記録。植樹に挑んだ決意、失敗、工夫、再挑戦。再挑戦。再挑戦……フィルはレッドの肩越しにそれを読んだ。時が止まったように静かな読書は続いた。開かれたページに桜の花びらがはらりと落ちる。 41
2016-06-04 19:42:28_手記の最後に、一行の名前。 「サルサワ・マナ……それが、桜を植えたひとの名前。日付は50年前だ」 そう言って少女の方を向くフィルとレッド。少女は照れくさそうに視線を逸らした。 「どう? 鎮魂になったかな」 フィルは掘り返した土を戻しはじめた。スコップの音。 42
2016-06-04 19:47:40「きっと喜んでいるよ」 少女は長い沈黙のあと、そう返した。レッドは手記を静かに読んでいる。掘り返した範囲が広いので、なかなか大変な作業になりそうだとフィルは額の汗をぬぐった。 「嬉しいと思ってくれたなら、わがまま言ってよかった」 あらゆるものが消えていく世界だ。 43
2016-06-04 19:53:08_物は壊れる。流れは止まることなく変わり続ける。ひとは死ぬ。フィルはいま必死に土を戻している。それも月日がたてば、誰にも分からなくなるだろう。フィルが、レッドが、どれだけ苦労して手記を掘り当てたか……それは彼ら自身の記憶からも薄れていく。一つとして留まるものは無い。 44
2016-06-04 20:01:52_少女の身体が光と桜に溶けていく。浄化の時。妄執から解き放たれ、安らげるときがきたのだ。 「今この瞬間、あたしは全ての後悔を投げ捨てることができた。辛いことも、苦しいこともすべて清算して、ゼロに……」 全ては春の風の中に消えた。 45
2016-06-04 20:05:15_掘った穴を埋め終えた二人は観光の続きを始めた。すっかり日が暮れてきたが、このまま夜桜を楽しむプランである。宵闇が広がり始める空に、蝙蝠が行き交う。城跡のあちこちに照明が灯されて、幻想的な佇まいだ。 二人はそこで、昼間会った学者たちと再会する。 46
2016-06-04 20:08:49「やあ、君たち。朗報があるよ」 話を聞くと、桜の伝染病に対する特効薬が生まれたらしい。南ではすでに投薬が始まっているという。 「桜の木は運がいい……死の間際に救われるなんてね」 「偶然ではないよ」 学者たちは胸を張って言う。 47
2016-06-04 20:12:09「病気が見つかって、必死に知恵を凝らして、桜が死ぬ前に薬を作り上げた誰かがいる。その誰かにとってこれはただの偶然かな? いや、情熱の先に辿り着いた必然だよ」 「うっ、恥ずかしい……観光客としてまだまだ未熟でしたね。ところで、城跡に桜が咲くのも偶然だと思います?」 48
2016-06-04 20:15:07_フィルはにこりと笑う。学者たちは不思議そうな顔で首をひねる。 「ご存じないのですか! そう、桜の花の向こう側には、やはり同じように情熱を注いだ誰かがいたのです。よろしければ、彼女の話を少しさせていただけませんか? 僕はまだ未熟なので……」 49
2016-06-04 20:18:40_夜の桜が風に舞う。レッドは古びた手帳を掲げて、一礼した。 「未熟故に、覚えたばかりのことを、誰かに言いたくて仕方がないんですよ」 そう言って二人は彼女の話をはじめたのだった。 ――思いを、桜の花で包んで弔うために。 50
2016-06-04 20:22:02【用語解説】 【手記】 ノートや手帳のたぐいは古代から存在し、様々な歴史的価値のある資料として保存されている。一方巻物は場所を取るうえ読みづらいので、儀礼的な場に残るのみとなった。伝説を作りたいと思う者たちは、こぞって巻物を書き、わざと古く見えるよう加工し、家宝にしたりするものだ
2016-06-04 20:27:26【次回予告】 目覚めるなり、同居人が別人になっていた。いつもと同じ顔、同じ声、同じセリフ……でも、一目でわかる。なぜなら、魂が違うから。冒険者コンビのエンジェとミェルヒの物語 次回「名前を取り戻した男」 全50ツイート予定。実況・感想タグは #減衰世界 です
2016-06-04 20:30:52