名前を取り戻した男#1 彼とは違う彼◆2

目覚めるなり、同居人が別人になっていた。いつもと同じ顔、同じ声、同じセリフ……でも、一目でわかる。なぜなら、魂が違うから。冒険者コンビのエンジェとミェルヒの物語 全50ツイート予定 前↓ 続きを読む
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減衰世界 @decay_world

_名前を取り戻した男#1 彼とは違う彼

2016-06-06 17:07:07
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_酒場は今日も活気にあふれ、幾人もの冒険者たちがたむろしていた。木造のホールいっぱいに並べられた机には料理が並び、木樽のジョッキが無造作に並べられている。髭面の男たち、妖しい女魔法使い、異種族の戦士……ここは冒険と危険の最前線から最も遠く離れ、同時に一番近い場所でもある。 11

2016-06-06 17:15:55
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_エンジェは酒場の隅で小さく丸まっていた。馬鹿騒ぎとは縁のない人生を送ってきたため、喧騒を聞くと小さくなってしまう。ミェルヒもそうだった。彼は彼らしく、小鉢のつまみを食べながらジョッキのビールを飲む。エンジェも陶器のグラスでビールを飲んでいた。 「お酒美味しい?」 12

2016-06-06 17:22:46
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「ああ、人間のメシは最高だよ!」  ミェルヒはいつも食べ物をおいしそうに食べるし、酒も楽しそうに飲む。全く同じ反応、全く同じ声、全く同じ表情。けれども、エンジェははやり別人だと思う。そして実際、他の誰かが彼を支配している。 「動物にとっては酒も毒だし濃い塩分も毒だ」 13

2016-06-06 17:27:22
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「鳥になって空を自由に飛びたいとは思わない?」  エンジェは小鉢のキャベツソテーをちびちび食べながら言う。川魚のペーストが隠し味に入っており、小さくても食べ応えがあった。  ミェルヒは少しも迷わないで返事をする。 「鳥か……遠慮するね!」 14

2016-06-06 17:34:16
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_ミェルヒは軽く酔っているようで、次第に声の調子を上げていく。 「そりゃあ鳥は空を飛べて幸せかもしれないけど、それ以上に人間はたくさんの幸せを持っているじゃないか。食べて幸せ、飲んで幸せ、遊んで幸せ。きっと人間はあらゆる生き物の中で、幸せの能力にいちばん秀でているんだよ」 15

2016-06-06 17:40:43
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「私は気づいているよ」  エンジェはミェルヒをクールダウンさせるように、静かに囁く。 「貴方はとても幸せそうには見えないよ。辛そうにお酒を飲んでいる。それは貴方のお仕事のせい? それとも他の……。その言葉通りの生き方をしているとは思えないよ」 16

2016-06-06 17:46:15
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_酒場の喧騒が一瞬止まったかのような感覚。エンジェは分かっていた。いつものミェルヒとは違うものを感じる。まるで狼に追い立てられているウサギのように怯えている。だから酒の力を借りている。  酒場にはいつもは見ない怪しい男たち。周囲をじろじろ見ている。 17

2016-06-06 17:50:43
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「人間は幸せを追い求める生き物だよ。不幸から逃げて何が悪い……そう思うんだ」 「それもまた正しいね……」  不幸を打ち消すのは難しい。不幸から逃げられるならそれが最善だろう。ただエンジェは僅かに不満だ。その不幸を浴びている身体は、本当の身体の持ち主であるミェルヒだ。 18

2016-06-06 17:55:46
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_そのとき、一人の街娘が二人のテーブルの横に立った。こういった酒場では商談や秘密の計画のために、よっぽど近寄らないと魔法装置によって声の成分が拡散されて雑音にしか聞こえないようになっている。だからこそ冒険者は酒場にたむろすのだが……テーブルに接近するのはご法度だ。 19

2016-06-06 18:03:28
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「メイオン……メイオンでしょ……?」  娘はミェルヒに向かって、その名を呼んだ。エンジェは身に覚えがない名だったし、ミェルヒも知らないだろう……そう思ったが、明らかにミェルヒは動揺し、身体を硬直させたのだった。 20

2016-06-06 18:08:45
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_名前を取り戻した男#1 彼とは違う彼 ◆2終わり ◆3へつづく

2016-06-06 18:09:12
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【用語解説】 【酒場のセキュリティ】 酒場の地下には機関室があり、エンジンが唸っている。エンジンは疑似的な感情を生み出し、魔法を構築する。それによって、音声拡散の呪文を24時間発揮することが可能になっている。燃料は石油スライムだったり、冒険者から買い取った化け物の残骸だったりする

2016-06-06 18:13:40