クトゥルフ千一夜

『クトゥルフ神話TRPG(クトゥルフの呼び声ホラーロールプレイング)』の翻訳者、坂本雅之氏による、30周年記念のよもやま話をまとめてみます。
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坂本雅之 @Toshi_Quaderno

帯で見た人もいると思いますが今年は『クトゥルフ神話TRPG』日本上陸30周年。30年前の昔話など、聞いてくださる人はいるのでしょうかね?(笑)

2016-06-12 23:09:50
坂本雅之 @Toshi_Quaderno

(CoC日本30周年)思った以上に関心を持っていただいたようでありがたやです。日本語版の登場は1986年ですが、原著は1981年に登場しました。私が手に入れたのは1983年。オリベッティのタイプでケイオシアムに手紙を書き、ドルの送金小切手を同封して購入したのです。

2016-06-13 23:04:40
坂本雅之 @Toshi_Quaderno

CoC日本30周年)当時私は仙台の大学に通っていたので主に『タクテクス』『SF宝石』『General』などの雑誌(『遊撃手』は1984年創刊)と、東京で買った本やゲームに同梱されたカタログで海外情報を集めていたのですが、そこで『ルーンクエスト』とケイオシアムの名を知ったのです。

2016-06-13 23:08:24
坂本雅之 @Toshi_Quaderno

大学ではシミュレーションゲーム研究会(愛称HEXAGON)を作って仲間を集めていたのですが、その中にM先輩という方がいたのが運命の分かれ目。北海道出身のM先輩はアメリカも東京も「海外」という感覚の持ち主で、高校時代からアメリカからゲームを買っていたというお方でした(続く)

2016-06-13 23:12:45
坂東真紅郎 @sinkurou

30年前は頭の先までずっぷりTRPG沼に漬かった高校生でした。ルーンクエスト第三版の英語版を懸命に訳していた。もう3年で受験生だったけど夏休みは勉強なんかした記憶なくて、9月になってから推薦で大学受けたらこれがうかっちゃったという。もちろんその後も卒業までみっちりTRPG。

2016-06-14 22:57:41
坂本雅之 @Toshi_Quaderno

(CoC日本30周年)1983年といえばツクダホビーが『ローズ・トゥ・ロード』などを発売したばかりで、プレイするにも模索状態。ちょうどアップルIIの『Wizardry』がプレイできる環境にいたのでそっちを参考にしつつという感じ(『Wiz』の紙と鉛筆版を作った先輩もいたなぁ)。

2016-06-15 23:38:06
坂本雅之 @Toshi_Quaderno

(CoC日本30周年)必然『T&T』『D&D』(1980年版)といったダンジョンタイプのゲームを原著でプレイするのがメイン(近所のパソコン研究会ではMTGで有名になる鶴田導師たちが『AD&D』を原著でプレイしていたらしいのですが)。ファミコンだって出たばかりですからね。

2016-06-15 23:38:24
坂本雅之 @Toshi_Quaderno

(CoC日本30周年)そして手に入れた『クトゥルフ』ですが、まず背景世界が謎。創元文庫、青心社のハードカバー、『魔界水滸伝』などで知識を増やしていきました。この神話知識を増やす過程は楽しかったですね。探索者を地で行く感じ。(続く)

2016-06-15 23:40:22
坂東真紅郎 @sinkurou

@Toshi_Quaderno 重箱でヤンスが、「ローズ・トゥ・ロード」発売は84年でガス、旦那!

2016-06-15 23:53:23
坂本雅之 @Toshi_Quaderno

@Toshi_Quaderno そうか『クラッシャージョー』とか1983年で『ローズ』はその翌年か。『ローズ』すらなかったのか(笑)

2016-06-16 08:28:50
坂本雅之 @Toshi_Quaderno

(CoC日本30周年)(続き)しかし当時ちゃんとプレイしていたかというとそれはNoです。ルールをすべて英語で読むのは難儀でしたし、TRPGは「自由に」遊ぶものだというちょっと極端な思い込みがありました。

2016-06-20 22:18:57
坂本雅之 @Toshi_Quaderno

(CoC日本30周年)当時仙台のTAC-CONにゲストで来ていた多摩豊さんが、「(T)RPGにルールは3行で十分」などとおっしゃっていたのにも感心した記憶があります(きっと多摩さんはいろいろな経験をした上での発言だったと思います)。

2016-06-20 22:19:05
坂本雅之 @Toshi_Quaderno

(CoC日本30周年)そして大学生活も研究室に配属されると、卒業研究が忙しくなり。ゲームに割く時間も少なくなってしまいます(研究成果は本名を使ってケミアブで検索できます)。そして化学よりゲームということで、そちらの道へ。趣味=化学とヴァイオリンと言っていた頃がありました(笑)

2016-06-20 22:23:03
坂本雅之 @Toshi_Quaderno

(CoC日本30周年)(続き)というわけで私はHJに入社することに(笑)古くから『HJ』誌の読者だったこともありますが、当時はSG中心だった同社ですが、1984年になると野球ゲームや『トラベラー』を発売するなどさまざまな試みを始めたところに興味を引かれました。

2016-06-21 23:14:33
坂本雅之 @Toshi_Quaderno

(CoC日本30周年)『タクテクス』編集長斉藤純さんの人柄も入社を決断した要因の一つだったと思います。そして、社員になったことで、CoCをはじめ、さまざまなゲームと改めて向き合うことになります。

2016-06-21 23:15:15
坂本雅之 @Toshi_Quaderno

(CoC日本30周年)HJはアバロンヒル、GDW、TSR(SPIブランド)のライセンスやオリジナルと複数のラインを抱えていましたが、さらにケイオシアムとライセンス契約を結ぶことを早速企画したわけです。(続く)

2016-06-21 23:15:25
坂本雅之 @Toshi_Quaderno

(CoC日本30周年)(続き)提携メーカーを増やすことに異議を唱える人もいましたが、現場の意見はおおむね賛成で、社長決裁へ。当時は担当者がいちいち社長決裁を取りに行くシステムになっていて、入社1年目の私が社長にプレゼンする必要がありました。しかもサシで(笑)

2016-06-25 18:58:56
坂本雅之 @Toshi_Quaderno

(CoC日本30周年)癖のある社長でしたが、ヒヨッ子の企画にOKを出してくださり、契約もすぐにまとまりました。翻訳は、まず『タクテクス』のライターの有坂純さん(当時K大学を卒業したばかりだったでしたっけ?)にお願いし、少しあとで中山てい子さんが加わりました。

2016-06-25 18:59:07
坂本雅之 @Toshi_Quaderno

(CoC日本30周年)有坂さんは原著からのプレイヤーで、のちに遊演体に参加されたり、日本人の手になる唯一のキャンペーン『黄昏の天使』で有名かと思います。『エアウォー2』などSGの仕事もなさっていました。

2016-06-25 18:59:21
坂本雅之 @Toshi_Quaderno

(CoC日本30周年)中山さんはゲーマーだった甥っ子に頼まれて早くから翻訳していたそうで、ライセンス決定の記事を読んで訳文の提供を申し出たのでした。彼女は英語ばかりでなく、キューバ大使館に勤務したほどスペイン語も詳しく、頼りになる存在でした。(続く)

2016-06-25 18:59:29
坂本雅之 @Toshi_Quaderno

(CoC日本30周年)(続き)ルールは主に有坂さん、シナリオや資料は中山さんが担当し、用語は両氏と私で相談して決めたほか、主な神話用語に関してはピーターセン氏から発音を吹き込んだテープを送っていただきました。こうして三者で相談を重ねつつ翻訳が進められていきました。

2016-06-26 21:09:42
坂本雅之 @Toshi_Quaderno

(CoC日本30周年)ちなみに有坂さんは原稿用紙に手書き、中山さんは一太郎を使ってました。あの頃はメモリーが厳しくて、1つのファイルに入る文字数はかなり限られていたはず(100KB以下?)最も重要な訳語リストなどは手書きでカードなどを使って作ったような気が。

2016-06-26 21:10:09
坂本雅之 @Toshi_Quaderno

(CoC日本30周年)底本には英語第2版を使用しましたが、翻訳がほぼ終わった頃に第3版が出版されました。一応チェックして第3版にしたつもりですが、もしかしたら、漏れがあったかもしれません。(続く)

2016-06-26 21:10:19
黒扇娘娘的信使 @zealotofBW

@Toshi_Quaderno お話ありがとうございます。ペーパーチェイスなど幾つかのシナリオは、クトゥルフ・コンパニオン所収のものですが、これらの日本語版への収録は、翻訳当初からの予定だったのでしょうか、それともゲームズワークショップ版CoC3版を参考にしたものでしょうか?

2016-06-26 22:04:53
坂東真紅郎 @sinkurou

その有坂さん、遊演体に入ってワープロ専用機の「書院」だったか「文豪」だったかを使うようになったんですけど、そのときの機械がいっとき手元にあり。いやまあ、PBM時代に入院したとき執筆できる環境を確保するため会社から借りたんですけど。

2016-06-26 22:11:17
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