某・法律しばきに関与したと思われる弁護士さんが「民衆の正義」で法を乗り越えられるとツイートをされたそうです。
野間易通さんらが提唱した「だいたいの正義」で、日本の法律は乗り越えられてしまうのでしょうか?
遵法精神と基本的人権を守ろうとする法律家は、『冷笑主義の反動的法律家』として断罪されてしまうのでしょうか?
冷笑主義者・ケルゼンについて
確かにケルゼンの価値相対主義は民主制の敵に対しても寛容であることを要求するけど、その背景にはオーストリア・ハンガリー帝国の多民族状況があったと言われているし、シュミットに抗して議会制民主主義を擁護したのもケルゼンだよね。
2016-06-17 02:13:02ましてユダヤ系だった彼が亡命したことを「逃げた」などと言うくらい「政治的なもの」に思考が覆われてしまっているときにはむしろケルゼン流の相対主義はよい解毒剤なんじゃないですかね。
2016-06-17 02:14:02ケルゼンは冷笑系というよりも立憲的権威の問題を無視しているというヘラーの批判が正しいのではないでしょうかね。誰が最終的に法秩序の対立を解決するか。それは学者ではない。
2016-06-17 00:43:36@lovechuprimo @inunotaigun いやいや笑っていますよ。純粋法学第3番の序文で「二十一世紀初頭、純粋法学に対するレッテルとして「冷笑主義」が加えられた。これこそ純粋法学の純粋性を指し示すものである」と書き加えていると思いますね。
2016-06-17 15:55:45@inunotaigun 「ファシストたちは、純粋法学は自由主義的民主主義だといい、自由民主主義者や社会民主主義者はファシズムの先導者だと言う。共産主義者は資本主義的国家主義のイデオロギーだと誹謗し、
2016-06-17 00:47:40国家主義・資本主義の側からは露骨なボルシェヴィズムであるとか、変装した無政府主義だとか言う。少なからぬ人々は、その精神形態はカトリック・スコラ学に似てい
2016-06-17 00:47:53ると言い、他の人々はプロテスタント国家学・法学の特徴を具備していると言う。 純粋法学は無神論だと烙印する者もいないではない。一言にして言えば、政治的傾向
2016-06-17 00:48:05で純粋法学が嫌疑をかけられたことのないものはない、ということである。まさにこういう状況こそ、何よりもよく、純粋法学の純粋性を証明しているのである。 (以上 純粋法学 第二版 長尾龍一訳 岩波書店より抜粋)
2016-06-17 00:48:10まぁ、私の法律学・憲法学上の私見が色んな勢力に利用され・烙印を押されるのは、確かにケルゼンと一緒なのだろうと思う。しかし、冷笑系か・・。
2016-06-17 00:52:17「民衆」とか「正義」とかという言葉は、私の感性では恥ずかしくて使えない言葉。「民衆」という言葉は「民衆訴訟」とか専門用語で使ったことはあるかな。「正義」についても刑事訴訟法の上告理由とかで使ったことはある。あとは、法哲学のメタ的議論。
2016-06-17 13:37:46そもそも「冷笑系」が非難の対象となる理由が分からぬ。法律家は科学者であってアジテーターではないので、感情的な言論から意図的に距離をおくのはむしろ推奨されるべきでは twitter.com/BarlKarth/stat…
2016-06-17 13:44:50ケルゼンが「正義」という観念を理解しない、正義に対して冷笑的な人だったみたいな意見もあるようだが、それは違うだろう。人間は誰しも生来の・あるいは教育による・日常生活により正義という観念を備えている。ケルゼンも同様だろう。
2016-06-17 14:28:31問題は、そのような(自明とされていて、ことさらの懐疑によらなければ否定しえない)「正義」のような観念を法律学に持ち込むかどうかという、ある意味方法論の問題だろう。純粋法学は「正義」という観念を議論の対象・議論の方法として持ち込むことを意図的に拒否したに過ぎない。
2016-06-17 14:31:15