#まなざし村 フェミニズムにおける「まなざし」論は勝手な加害被害関係を作り出しているだけで無理筋

「この表現物はこのように受け取られこのような影響があります」と言えば一応話は成立するところを、「表現者のまなざしが受け取られ」という操作を加えることによって加害被害関係を作り出しているのがまなざし村理論 でも、表現の受け手が受け取ったことが正しく表現者のまなざしであるというのは、フィクションで、さっきの操作は無理筋なんじゃないか。
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路輪一人⚡️⋈🇺🇦 @hitori_san

まなざし村案件はマジ地雷なんで、ドン引きます。

2016-05-31 04:29:37
バッツョ @badzdyo

@hitori_san 僕も昨日今日とまなざし村案件に被弾したんですが、問題視される発言をした人って、考え方の違いというより単に馬鹿だと思うんですよね。 だから、そういう人達のために気分を害したら負けと思って努めて受け流すようにしてます。

2016-06-01 22:25:00
路輪一人⚡️⋈🇺🇦 @hitori_san

@bandukeyosouya 僕の受け取り方にもそれなりに問題があるなあ、とは思っています。ここ一年、このヘイト感情と向き合ってきたのだけど、明文化できてない僕の知能も大概アレds;;僕もささそういう精神にまいんどしふとしたいにゃnぱs-;;

2016-06-01 23:03:59
バッツョ @badzdyo

@hitori_san いや、僕も全然受け流せてないんですけどね。 なんなんでしょうね。このドス黒い感情は。

2016-06-01 23:05:57
路輪一人⚡️⋈🇺🇦 @hitori_san

別に憎悪を吐くな、とは言わないけれど、思想として確立させたいなら、憎悪ベースの論の組み立ては雑すぎるのdやめてっていう。もそっと客観的に、普遍性をもったアレにしてくれたらパリピなれる。

2016-06-01 23:11:40
バッツョ @badzdyo

@hitori_san 煎じ詰めれば、あの人達のおかしさの根拠は客観性の欠如になるんでしょうね。

2016-06-01 23:18:46
バッツョ @badzdyo

話自体は同意だけど、どこまで議論の実益があっただろう。 twitter.com/mentane/status…

2016-06-10 06:22:38
めんたね(やさしい) @mentane

この両者の一連のやりとり、長いから全部はリツイートしないけど、多摩湖さんみたいなことを言ったり考えたりしている人はいる。倫理(道徳)と人権(権利、法律、ルール)は無関係であると考える人。ぼくの感覚ではそれは賛同できない。

2016-06-09 16:23:16
バッツョ @badzdyo

直接的には、あの話はこのツイートに対する反論となっている。 twitter.com/tamako_han/sta…

2016-06-10 06:26:19
バッツョ @badzdyo

色々拾えるが、最初の引用リツイート。 差別構造を前提とした議論が宜しくないと。 そこを人それぞれで逃げるのは如何なものかと。 フェミ二ストの定義は知らないが、そこの価値判断を回避するのはフェミ二ストに非ズというならそうかもしれない。 twitter.com/adoadoad/statu…

2016-06-10 06:36:43
バッツョ @badzdyo

ただ、その批判は彼女達の主張の本丸であるところの緊急避妊にどれだけ妥当するのか。 把握している限りの議論では、薬害による健康被害の可能性、緊急避妊薬の導入による妊娠、中絶回避による健康被害の回避の程度、緊急避妊薬の導入による男性側の避妊に与える影響辺りが論点だっただろうか。

2016-06-10 06:47:19
バッツョ @badzdyo

先の批判は、これらの価値判断は価値中立的なものではないという批判だっただろう。それは正しいかもしれないが、結局その議論を行っており、その主張では、自分達が中立性故に優れているのではなく、自らの価値判断が妥当であることを根拠にしているのである。

2016-06-10 06:51:48
バッツョ @badzdyo

@bandukeyosouya だから、この批判は「彼女達がフェミニストである」ということに対する批判であって、緊急避妊薬の市販化の可否には影響がない。

2016-06-10 06:54:45
バッツョ @badzdyo

@bandukeyosouya 更に突っ込めば、緊急避妊薬の市販化が女性にとって重要なものであるのならば、フェミニストかどうかがその議論に影響がない、というのは、どこかフェミニストが道を踏み外しているのではなかろうか。

2016-06-10 06:58:19
バッツョ @badzdyo

@bandukeyosouya というわけで、中絶に関する問答で露呈した法と道徳の峻別の話は、具体的な議論には影響しないのではなかろうかと思っている。

2016-06-10 07:12:35
バッツョ @badzdyo

@ruriko_pillton 普遍的な価値が無いというのなら、権利主張の背後にある価値判断も中立的なものではありえず、その中立的でない価値判断は結局のところ道徳ではないか、というのが昨晩の話だと認識していたのですが。

2016-06-10 10:09:05
路輪一人⚡️⋈🇺🇦 @hitori_san

僕は今、自分の中の憎悪をどうにか咀嚼しようとムキムキしてて、その憎悪の先は所謂「ついふぇみ」連中なのだけど、二年前にあのRTを飛ばしまくってくれたあの人に感謝してはいるのでs。書籍大量に買ったからな。でもおかしいだろ、と思った。知らないで何かを批判するのもダメだと思ったので。

2016-06-16 20:50:47
バッツョ @badzdyo

@hitori_san 僕も書店でフェミ本を手に取るところまでは行ったんですが、余りにも興味がない自分に気がついて購入を断念しました。尊敬いたします。

2016-06-17 21:18:17
路輪一人⚡️⋈🇺🇦 @hitori_san

@bandukeyosouya 怒りが動機なのであんまりほめられたもんでもないでswwwwww情報知らないと反論できませんもんねw武装して、殴り倒したい、という希望だけ。武器もまだなまくらですにゃー

2016-06-17 21:21:16
バッツョ @badzdyo

フェミニズムにおける「まなざし」と批判の要点 : 九段新報 blog.livedoor.jp/kudan9/archive… まなざし村から待望の反論がやってきました。 書いたのは一月ですが、今まで話題になっていなかったのは非公開だったからだろうか。

2016-06-17 21:25:36
リンク 九段新報 フェミニズムにおける「まなざし」と批判の要点 : 九段新報 ちょっとこの間まで、あるいは今でも?Twitterでは「まなざし祭」とでもいうかのような、まあ、ミソジニストによる藁人形どんど焼きみたいなイベントが行われていました。 そこでの話題の中心を占めていたのが、「まなざし」について。 私もTwitter上でオタク何某に絡まれ

フェミニズムにおける「まなざし」と批判の要点
カテゴリ:犯罪学
 ちょっとこの間まで、あるいは今でも?Twitterでは「まなざし祭」とでもいうかのような、まあ、ミソジニストによる藁人形どんど焼きみたいなイベントが行われていました。
 そこでの話題の中心を占めていたのが、「まなざし」について。 私もTwitter上でオタク何某に絡まれた際少し話題にも上がったのですが、彼らの中では「まなざし」はフェミニストの考案した概念だとか、バズワードということになっているようで。
 まあ私も、これくらいわかるだろうという感覚で利用していたので、その辺の買いかぶりを反省して、1から説明していこうと思います。概念の整理を兼ねてね。
(中略)
まなざすの出所とその意味
「まなざし」とは、それそのものは日常的にいつも感じている身近なものですが、それが果たしている機能は多岐に渡り、全てを記述することはできません。とりあえず、このページでは、哲学者(主に現象学者)の思想をいくつか引用しながら、主なものを羅列していきたいと思います。
 「まなざし」って何?-東大誰でも当事者研究サークル
 ということで、記事を読んでいただければわかるように、「まなざす」というのは西洋哲学の、サルトルとかフーコーとかフッサールらへんから来ているようです。少なくともフェミニズム発祥の言葉ではないことがわかればいいでしょう。(編注: ようですではなく http://togetter.com/li/926264 キリスト教神学もしくはオリエンタリズムの転用です。)
 意味としても多岐に渡りますが、オタク的表現とその規制に関わるのは『「見る側の視点」で対象を見るように仕向けるはたらき』や『対象に、"見る側"の評価基準・評価尺度を押しつける(or与える)はたらき』のような、前半部に書かれている意味が中心になってくると思います。
 ちなみに、言葉としての「まなざす」については『動詞「まなざす」は“日本語として”おかしいか-思想の海』が詳しいですが、比喩的な専門用語が仮に一般的な日本語の用法から外れてたとしてもだからなんだよという気はします。
 ということで、記事を読んでいただければわかるように、「まなざす」というのは西洋哲学の、サルトルとかフーコーとかフッサールらへんから来ているようです。少なくともフェミニズム発祥の言葉ではないことがわかればいいでしょう。(編注:だからもっと良くない。都合よく解釈を捻じ曲げているだけだから。オリエンタリズムは差別でもある)
 意味としても多岐に渡りますが、オタク的表現とその規制に関わるのは『「見る側の視点」で対象を見るように仕向けるはたらき』や『対象に、"見る側"の評価基準・評価尺度を押しつける(or与える)はたらき』のような、前半部に書かれている意味が中心になってくると思います。
 ちなみに、言葉としての「まなざす」については『動詞「まなざす」は“日本語として”おかしいか-思想の海』が詳しいですが、比喩的な専門用語が仮に一般的な日本語の用法から外れてたとしてもだからなんだよという気はします。

 #表現はまなざしの体現である
 では、上掲の記事を参考に、オタク的表現がなぜフェミニストの批判を浴びたのか、「まなざし」を中心に考えてみましょう。
 まず、オタク的表現「だから」批判されたのではないということを確認しておきます。というのも、批判の中心になるのはその表現に表れている女性へのまなざしであり、表現技法や様態ではないからです。実写による表現や、印象派の絵画のような表現であっても、内容によっては当然問題になります(ただし、オタク的表現が他の表現より性的なまなざしを読み取られやすいであろうということは別の記事で述べます)。
 次に、それらの表現は女性へのまなざしの体現であるという前提も確認しておきます。まなざしそれ自体は内心であり、そのままでは推し測ることはできませんし、規制することは不可能です。しかし、表現される女性や、その表現の用いられ方、それを是とする意見表明などからはまなざしの存在を推定できますし、その「行為」こそが、批判の対象であり規制の要求の対象でした。
 では前提を確認したところで、なぜ表現に表れる女性をまなざしが批判されるか説明しましょう。
 上掲記事の定義6までをざっと見直してもらえばわかるように、まなざしの意味は、対象に対して見る側の価値観や基準を押し付け、その通りに意味づけて一定の方向へ誘導するものだと簡単にまとめることが出来ます。
 つまり誰かを表現したものは多かれ少なかれ、誰かに対するまなざしの体現であることを考えれば、表現は誰かに見る側の価値を押し付けて一定方向へ向かわせるものであるといえます。
 当然、表現が必ず誰かへのまなざしの体現であることを考えれば、まなざしがそこにあるというだけで批判することはできません。問題は、そのまなざしの中身です。

 #「性的」かつ「客体」
 批判の対象に挙げられる表現は、主に女性を性的なものとしてまなざしているものです。重要なのは「性的」かつ「もの」、つまり性を発揮する主体ではなく、誰かにそれを使われる客体として描かれているという部分なのです。
 一番わかりやすい例は、「のうりん」のコラボポスターです。胸部を強調して恥ずかしがるという姿は、性的でかつ客体として、つまり自身の意志に関係なく利用されていることを示唆するものです(少なくとも、好きこのんでやっていると解釈するよりは妥当です)。碧志摩メグのように、仮に恥ずかしがるという部分がなくとも、意思の存在しない2次元キャラクターの広告利用というだけで十分「客体」として扱っていると解釈すべきなのですが。
 キャラクターによっては、好きこのんでやってるじゃないかという反論も出来得るのですが、製作者によって「言わされている」ことが確実なキャラクターの発言を鵜呑みにして、彼女たちの主体性の存在を無邪気に信じるというのは、「自由意思を偽装して利用する」ことが常套手段と化している女性性の利用問題では絶対にやめた方がいいでしょう。
 今回の解説で「客体」にスポットを当てたのは、反規制の界隈で「海外のフェミニズムは女性の性を開放しているのに、日本は真逆を行っている」 という的外れな批判を多く見たからです。フェミニズムが歓迎する性の解放というのは、ファッションの自由化のように女性自身が主体となって選び取ることのできる選択肢の増加であって、男性が女性性を利用しやすくすることではありません。
 ちなみに、「性的」 という部分も抽出していますが、これは後述の理由で強い批判を浴びるのが「性的」な表現だからであり、「性的」でなくとも批判を浴びることは当然あります。具体的には、性的な役割分担を保存するような表現(「私作る人、僕食べる人」みたいな)とかです。

 #まなざしの機能
 さて、まなざしの中身を確認したところで、もう1度意味を確認しておきましょう。まなざしには、「対象に対して見る側の価値観や基準を押し付け、その通りに意味づけて一定の方向へ誘導するもの」という意味がありました。
 まなざしの中身が、女性を「性的」かつ「客体」として見るということはつまり、女性を性的な客体として意味づけ、そう振る舞うように規範付け、そちらの方向へ導き、女性自身にそういった見る側の視点を内在化するように迫るものです。
 上掲の東大サークルの記事の最後尾に、まなざしの意味として「対象の"可能性"を制限するもの」というものが挙げられていますが、まさに、女性をそのようにまなざすとき、女性は「性的」な「客体」としてしか存在できなくなります。
 具体的に言えば、常に身ぎれいにして化粧をするとか、宴会ではお酌をするとか、男性に値踏みされるような存在として以外の行動をとりにくくなるということです。このような可能性の制限に、フェミニズムは反発するのです。
 無論、基本的に個人はどのような価値観にもコミットする自由があります。つまり、女性には「性的」な「客体」として存在する自由はあります。問題は、このような「まなざし」ばかりが表現の世界に存在しているためにそれ以外の存在としていられないということと、看過できない弊害がこのまなざしには存在するということです。

 #「性的な客体」というまなざしの弊害
 「性的」な「客体」として女性をまなざすことの弊害とは何でしょうか。それは、「女性を性的な客体として意味づけ」ることに関わってきます。
 女性を客体として意味づけるということは、必ず主体の存在が前提となります。ここで言う主体が男性であることは疑いようもないでしょう。
 性的な客体としての女性と、主体としての男性が存在するとして、起こり得る事態はただ1つです。
 強姦、痴漢、DVから性的虐待まで、数々の性暴力がこれに当たります。これらの現象のには、「主体としての男性」が横たわっているといってもいいでしょう(詳しくは本ブログの「性犯罪」タグの記事を読んでいただくとか、実際のケースを参照して頂ければわかると思いますが。あるいは『なぜ「男性の性欲は常に満たされるべきである」という思い込みは誰も幸せにしないのか-feminism matters』を参照していただくのが一番でしょう)。
 今までの議論をまとめると、これまで批判されてきたオタク的表現には女性を「性的」な「客体」としてまなざす視点が体現されており、それは女性の可能性を制限し性暴力のような問題すら起こす可能性があるからこそ批判の対象になったのです。
 ではオタク的表現は、フェミニズムからの批判にどう答え、ポリティカル・コレクトネスとどのように共存すればいいのでしょうか。それは、記事を改めて書きたいと思います。

富 ユタカ @lkj777

#まなざし村 blog.livedoor.jp/kudan9/archive… それらの表現は女性へのまなざしの体現であるという前提も確認しておきます<そんな前提が確認できるのなら文章を書く前に病院に言ってください。ばかばかしい。

2016-06-17 23:35:06
バッツョ @badzdyo

@bandukeyosouya 村長候補の社虫先生や新進気鋭の古谷先生が言及していることから、概ねまなざし村の共通理解なのでしょう。 ASJWの一兵卒である私が反論を書き連ねて行きたいと思います。

2016-06-17 21:26:03
バッツョ @badzdyo

@bandukeyosouya 1 客体の意義 「性的かつ客体」の章冒頭では重要なのは「誰かにそれを使われる客体」としています。それ=性でしょう。 「性を使う」良く分からない言葉です。

2016-06-17 21:26:32
バッツョ @badzdyo

@bandukeyosouya ()内を見ると、「好き好んでいない」ことが理由にあげられています。 ということは、嫌々であるから自発的でなく主体でないから客体だ、すなわち、自発的かどうかが主客を決定するということでしょう。

2016-06-17 21:27:07
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