騎士とお菓子とイノシシの森#2 クッキーを焼こう◆1
_チャンスは巡ってきたが、状況は変わらず深刻だ。相手は霜の波の魔法を使う。もしかしたら運よく魔法が切れるかもしれない。。 しかしいま目の前のイノシシ……グレイボアは激しい呼吸で魔力を補給している。つまり、まだ魔法を撃つ余裕がある。 「いくぞ!」 ルムルムが駆けだす。 31
2016-06-26 16:23:34_霜の深く積もった地面を踏み抜いて、グレイボアを目指す。イノシシは突進が危険だ。股下を狙って頭を振り上げるように牙を繰り出せば、丁度足の太い血管を貫いて致命傷となる。 ルムルムの鎖帷子と布鎧では防ぎきれないかもしれない。しかし……。 「馬鹿にするなよ、やってやるよぉ!」 32
2016-06-26 16:31:42_人間の感情を伝える。考えながらルムルムは進む。自分ならどうだろう。お爺と自分の感情は何がぶつかっているだろう。それを思う。 (お爺は僕に失望した……だから僕も失望した。思いは伝染するんだ。だから僕は、前に進まなくちゃいけないんだ。お爺も前に進んでくれるはずだ) 33
2016-06-26 16:39:55_グレイボアは静かにルムルムを見ていた。その身体は霜で凍傷を起こしたのか、血で濡れている。不完全な感情で魔法を使った反動だ。 (僕が伝えられる感情……喜び? 悲しみ? 怒り? いや……) ポケットのクッキーを思い出す。 (甘い、おいしい……だ) 34
2016-06-26 16:51:08_走りは歩きに変わった。鎖帷子のスカートをめくり、クッキーを取り出す。 「おやつにしようよ……ほら、クッキーを焼いたんだ」 グレイボアは答えない。二人の距離はもうすぐ2メートルの距離まで縮まっていた。それこそが、グレイボアの答えかもしれない。戦いもせず逃げもしない。 35
2016-06-26 16:58:47_ルムルムもクロスボウを捨てる。両手を差し出して、友好のジェスチャー。これは戦争ではない。グレイボアの呼吸は元に戻っている。それでも魔法を撃たないという答え。もうひと押しが欲しい。それをルムルムは試してみた。 「クッキー作ったことある? 焦げないようにするのが難しいんだ」 36
2016-06-26 17:05:47_グレイボアがルムルムへ向かってゆっくりと歩いてくる。手ごたえを感じた。相手は……クッキーの作り方を知っている! 「薄力粉120グラム」 足が止まった。目を見開くグレイボア。 「バター80グラム。砂糖は60グラムだ」 グレイボアに、変化が現れる! 37
2016-06-26 17:13:13_前脚が完全に人間のものに代わっていた。細くて華奢な女性の手だ。変異術が解けてきているのだ。 「教えてくれない? あと必要なのは何かあったかな……」 イノシシの身体が震え、背中を丸める。周囲の霜はほとんど溶けていた。 「もうすぐだ、思い出そう」 38
2016-06-26 17:17:12「ば……ば……」 声を発した! グレイボアが、とうとう人間の言葉を発したのだ。背中を丸めた毛むくじゃらの人間の姿まで戻っている。 ルムルムはゆっくりと傍により、隣に座った。そしてクッキーを差し出す。秋の森に、まだ夏の面影を残す風が吹いた。 39
2016-06-26 17:21:04【用語解説】 【メートル法】 この世界には独自の単位が存在するが、オリジナルの単位を読者は全く実感できず、かといっていちいちメートル法に換算して、などと断り書きをしていたら140字に納まらない。世界共通の単位を作るという理念に近いので、この世界独自の統一単位は全てメートル法に訳す
2016-04-08 18:11:12【用語解説】 【バター】 科学文明の崩壊で多くの技術が失われたが、やはり人間は甘く安らぎのある生活を捨てられず、魔法文明の支配する現代であっても唾棄していた科学文明の暮らしを取り戻しつつある。砂糖やバターのようなぜいたく品も、遺産技術を駆使し維持することが許されていた
2016-06-26 17:39:30