1部 7章 1節【貴女はだあれ?】

入江の魔人シリーズ第9弾
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えみゅう提督 @emyuteitoku

最初に現れた異変は海流の変化だった。幌筵島近海に渦潮が発生、その次に渦潮を避けるための通信が妨害されるようになった。それは全て外部からの報告であり、不思議と江見悠の泊地に所属する艦はその影響をほとんど受けることがなく、皆異変の実感を得られないでいた。 1

2016-06-26 23:02:38
えみゅう提督 @emyuteitoku

まるで、誰かが幌筵島の入江を守るために海を作り変えているようだった。最初に異変の原因と出会ったのは倉庫に物資の確認に向かった五月雨だった。埠頭に見慣れない人形が立っている。その人形の足元で、金属でも粘土でもない不思議な光沢をもつ大きな球がころころと転がっていた。 2

2016-06-26 23:03:56
えみゅう提督 @emyuteitoku

アカシがまた妙な実験をしたのだろうか?五月雨はそう思い人形に一歩踏み出した。すると、球体が人形から離れ、五月雨に向かって転がりだした。人形が球体を操っているのか、それ自身に意志があるのか定かではないが、五月雨は目の前までやってきた球体に頭を下げた。「こ、こんにちは…」 3

2016-06-26 23:05:03
えみゅう提督 @emyuteitoku

球体は五月雨の前で左右に揺れる。その動きが挨拶だったのか、球体は再び人形の下へ戻っていった。人形は球体が戻って来ても微動もせずに、埠頭に吹く潮風に髪をなびかせていた。アカシの作品だとしたらやけに大人しい。五月雨は口元に手をやり、首を傾げる。「何だろ、あの人」 4

2016-06-26 23:06:30
えみゅう提督 @emyuteitoku

五月雨は物資の確認を後回しにして、アカシの根城である十番倉庫へ向かった。その日は実験中ではないのか、倉庫から悲鳴は聞こえてこない。五月雨は胸を撫で下ろして倉庫の扉を開ける。「ごめんください」倉庫の中は暗く、鉄と魚の内臓を混ぜたような異臭が漂っている。 5

2016-06-26 23:07:55
えみゅう提督 @emyuteitoku

扉から差し込む明かりの先で、アカシが机に突っ伏して眠っていた。「あの!アカシさん!」五月雨は倉庫へ踏み込まず、入り口からアカシに呼びかける。彼女の声が耳に飛び込んだのか、アカシは机をガタンと鳴らして目を覚ました。「あ、はいはい!お風呂ですよね!ちゃんと入りますから!」 6

2016-06-26 23:09:08
えみゅう提督 @emyuteitoku

アカシは寝ぼけているのかふらつく足取りで、扉へ向かってくる。彼女が来ている白衣は所々に白さが残っているだけで、大半が赤黒く染まっている。ゆらゆらとした足取りと合わさり異様な姿だが、五月雨はため息を一つつくだけだった。実験とは無縁の彼女でもいい加減見慣れた姿だ。 7

2016-06-26 23:10:32
えみゅう提督 @emyuteitoku

ぼさぼさの髪でやってきたアカシに対して五月雨は頬を膨らませる。「またそんなに汚して、お洗濯する人の事も考えてください」「ちょっと熱が入っちゃって…すぐお風呂行くから」「その前に、アレの説明してください!勝手に変な物設置して提督に怒られますよ」五月雨は埠頭の先に立つ人形を指す。 8

2016-06-26 23:11:40
えみゅう提督 @emyuteitoku

遠く小指の先程度の大きさに見える人形は相変わらず全く姿勢を変えず、周囲の球体もその足元を転がり続けている。アカシは目を細めその姿を見た。「…あれ泊地棲姫ですか?」「私に聞かれても困ります」五月雨はアカシの口から出た言葉の重大さを理解できないまま口をへの字に曲げる。 9

2016-06-26 23:13:01
えみゅう提督 @emyuteitoku

しかし、アカシがにわかに落ち着きをなくす様子を見て、五月雨は何か不味い事が起きていることを察した。「あれは…何なんです?はくちせいきって?」「そっか、五月雨ちゃんは救助された艦でしたね。試験を受けていないなら知らなくても仕方ないか。歩きながら説明するから執務室に行こう」 10

2016-06-26 23:14:11
えみゅう提督 @emyuteitoku

深海棲艦には鬼級、姫級と呼称される特殊な艦が存在する。現在では、単なる高性能の代名詞と化しているが、本来鬼や姫は一隻の艦艇では不可能な多彩な戦略をとる者を指す言葉だった。最初に畏怖を込めて【姫】と呼ばれた、艦という言葉に当てはまらない化け物が泊地棲姫である。 11

2016-06-26 23:16:04
えみゅう提督 @emyuteitoku

まだ深海棲艦への対策はおろか、艦娘に何ができるのかさえ分からなかった時代に人類を迎え撃った最初の姫。【捨て艦】という戦法すら立案できない指揮者達を地獄に叩き落した恐怖の体現。撤退という判断すらできない無謀な突撃の繰り返しの果てに、屍の山に埋もれた哀れな深海棲艦。 12

2016-06-26 23:17:13
えみゅう提督 @emyuteitoku

「それが、泊地棲姫です。お分かりいただけましたか?」アカシが話しかけていたのは執務机に肘をつく江見悠だ。艦娘の歴史をよく知らない五月雨への説明を終えたアカシを待っていたのは、陸軍出身で海軍のことをよく知らない江見悠、アカシは同じ解説を二度こなしていた。 13

2016-06-26 23:18:18
えみゅう提督 @emyuteitoku

アカシの話を聞いても、江見はさっぱりといったふうに首をかしげる。泊地棲姫の存在自体は軍ではよく知られている。だが、生きて帰ることができたわずかな艦娘達は皆口を閉ざしたまま軍を去り、司令部も多大な犠牲を出した海軍の汚点として作戦概要を倉庫の奥深くへしまい込んだ。 14

2016-06-26 23:20:05
えみゅう提督 @emyuteitoku

今となっては司令部がプロパガンダのために作りだした架空の深海棲艦であるという認識が一般的だ。「で、なんでアカシがそれを詳しく知っているんだい?」「いやぁ、艤装を細かくバラすために古い資料庫に忍び込んだ時に一度読み流したことがありまして」アカシは照れて頬を染める。 15

2016-06-26 23:21:09
えみゅう提督 @emyuteitoku

まったく褒められたことではないのだが、江見はそんな事を気にする性格ではない。彼は机を叩き立ち上がる。「とりあえず、神話級の深海棲艦がこの入江に現れたというのはわかった。さっそく会いに行こう!」「ちょ!」ずかずかと執務室から出ようとする江見をアカシが遮った。 16

2016-06-26 23:22:16
えみゅう提督 @emyuteitoku

「待った待った!会ってどうするんですか!」アカシの問いに江見は再び首をかしげる。「え?だって、本人がいるんだから何でここに現れたのか直接訊ねるのが一番だろう」「いや、その理屈は…江見さんらしいですけども」「相手がその気ならとっくの昔に私達は殺されているさ」 17

2016-06-26 23:23:10
えみゅう提督 @emyuteitoku

腕を組み悩むアカシの横で五月雨が手を上げた。「あの…私も話をしてみるのがいいと思います」五月雨からの思わぬ意見にアカシは目を丸くする。「五月雨ちゃん、そんな積極的な子だったっけ?」「私さっき…あの、多分なんですけど。挨拶できたので、敵意はないと思います」 18

2016-06-26 23:24:21
えみゅう提督 @emyuteitoku

「ほう!いやはや、勇気ある行動だね。よくやってくれた」江見は五月雨の頭をなで、その様子をアカシは物欲しそうに眺める。「江見提督~、色々教えた私には?」差し出されたアカシの頭からは鉄錆と魚の内臓を混ぜたような臭いがする。「アカシは先にお風呂入ってきなさい」 19

2016-06-26 23:25:40
えみゅう提督 @emyuteitoku

アカシを風呂場へ連行した後、江見と五月雨は埠頭へ足を運んだ。泊地棲姫は同じ場所に、同じ姿勢で立っていた。変わっているのは周囲の状況で、周囲を転がっていた球体の上に玉乗りのようにコグランがバランスを取りながら立っている。「何やっているんですか?!」五月雨が大声を上げた。 21

2016-06-26 23:27:19
えみゅう提督 @emyuteitoku

五月雨の声に驚いたのかコグランは足首から生える艤装を広げてバランスを取りなおす。「おっと、急に大声出すからびっくりしたじゃない。どしたの五月雨?」「どうしたもこうしたも…敵意がないからって軽率です!」「え?これアカシさんが置いた物じゃないの?」考える事は皆同じのようだ。 22

2016-06-26 23:28:24
えみゅう提督 @emyuteitoku

コグランが球体から降りると、泊地棲姫の陰からモナガンが顔を出す。「五月雨も調べにきたのか?つまんでもつついても反応がないが、意外と柔らかいぞコレ」「触ったんですか?!」「あまりに動かないからちょっと気になって…」モナガンは罰が悪そうに泊地棲姫から離れた。 23

2016-06-26 23:29:41
えみゅう提督 @emyuteitoku

球体から降りたコグランは江見の前に駆け寄り姿勢を正す。「調査内容を報告します。対象本体は周囲の刺激に鈍感、球体は私が乗っても自動でバランスを取り、先ほどの五月雨の大声で一瞬動きを止めるなど生物的な動きを持っています。また、アカギさんからもいくつか報告があります」 24

2016-06-26 23:30:53