冒険者の酒場には#1 うまい話があるという◆1
_酒場には今日も冒険者たちが集まる。ガチャガチャとした食器の触れ合う音。誰かが何かを話す声。それらは曖昧な音の塊となって心地よく耳に届く。 料理の食欲をそそる匂い。あちこちでビールのグラスを傾ける光景。食事は冒険者の楽しみの一つでもあり、酒場の利用料でもある。 1
2016-07-04 19:50:45_冒険者たちはみな厳つい鎧や怪しい魔法服を着ている。これは冒険者の制服と言っていい。平時から彼らはこの格好だ。 巨大な鈍器を壁に立てかけるもの。水晶球を覗き込むもの。分厚い魔法書に魔法を書き込むもの……その中に彼らはいた。 2
2016-07-04 19:56:35_手入れが行き届いていないようにも見える赤錆た全身鎧。彼の持つ新品同然の、しかし使い込まれた武器類とは不釣り合いである。それを身に纏うのは冒険者のミェルヒ。 魔法服であろう、ネズミ色・絵の具汚れ・ワンピース。それを着る彼女が持つのは紙の束とペン。名はエンジェ。 3
2016-07-04 20:02:03「そもそもいつ出発か決まってたっけ」 紙にペンでドローイングしながらエンジェは話す。ミェルヒは陶器のグラスのビールを呷った。 「なーんにも情報を渡してこない。金だけ渡されて、酒場で待機しろ。それだけ」 「ま、もう飲んでもいいよね」 彼らの受けた依頼は不可解だった。 4
2016-07-04 20:09:28_当初はダンジョン探索護衛、しかも簡単ということであり、魔法の在庫が少なく危険を冒したくないミェルヒの提案で受けた依頼だった。今のところ仲介人に金だけ渡されている状況。怪しすぎるが、危険も今のところ感じない。 「もう3日目だよ……料理はおいしいけど」 5
2016-07-04 20:16:14_待機場所に指定されたのは開店したばかりの酒場であった。流石に繁盛しているようだ。昼間だというのに、8割の席が埋まっている。昼飯時には立ちテーブル席もいっぱいになる。客の半分は長居して求人や噂話に花を咲かせていた。エンジェとミェルヒも同じだ。 6
2016-07-04 20:21:32「いい料理人だね……味付けが繊細だよ」 素材自体はありふれたものだろう。瓶詰茹で野菜。肉は保存用に干したもの。チーズも三級品かもしれない。けれども、それらの長所短所を的確に把握し、パズルのピースを組み立てるように完璧に調和させている。隙間は全て調味料が埋めていた。 7
2016-07-04 20:28:14_酒場には音声拡散の呪文があるので感想は聞こえないが、周りの客たちのほとんどは満足顔だ。 「きっと繁盛するよ」 そう言ってエンジェはパリパリに焼かれたソーセージを食べた……そのときである。ガタン、と何かがぶつかる音。 8
2016-07-04 20:33:04_見ると、一人の酔っ払いが二人のテーブルに向かってぐいぐい進んでくる。途中、テーブルや椅子に身体をぶつけ、そのたびに悪態をつく革鎧の軽戦士。 「わ、面倒ごとだ」 酔った軽戦士はこちらを見て笑顔で手を振った。 9
2016-07-04 20:38:36「よう、来てるなら言ってくれよ。待ちくたびれたよ……さぁ、仕事を始めようぜ!」 まるで知り合いのような口ぶり。エンジェとミェルヒは顔を見合わせる。その軽戦士は、どう見ても初対面だったからだ。 10
2016-07-04 20:47:40【用語解説】 【グラス】 ガラスのものはほとんどなく、大抵は陶器……セラミック製のものばかりである。樽のようなジョッキもよく使われる。ガラスを製造するには大量の燃料が必要であり、セラミック技術が発達した灰土地域では陶器の方が量産するコストが低いためである
2016-07-04 20:55:31