日本人が「政治の議論」や「政治的な意志表示」を避ける理由について 《山崎雅弘》

表題に関連するツイートをまとめてみました。一般的な日本人が今まで「政治」だと思ってきたものは、実は別の何かではないのか? 西欧の民主主義国では、人々が日常生活の中で当たり前のように「政治の議論」や「政治的な意志表示」をしているのに、同じ「民主主義国」であるはずの日本では、なぜそんな光景があまり見られないのか? 諸々の問題を考える材料にしていただければ幸いです。
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山崎 雅弘 @mas__yamazaki

日本ではなぜ、市民が他の民主主義国のように自由に政治的意見を表明せず、考えを隠したり議論から距離を置いたりするのだろう、とずっと考えているが、政治=政局という固定観念が思考に強く植え付けられているのも一因では、という気がしてきた。政局とは、政党や派閥、陣営間の政治的な争いのこと。

2016-07-04 16:52:54
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

ふだんの大手メディアの政治報道を見ると、政治部記者の書く記事はどれも「政局目線」で、どの党や派閥、陣営が優勢だとか、彼らの思惑は、という政局話が多い。問題そのものを多面的に解説する記事が皆無とは言わないが、物事の是非ではなく、政治的な勢力争いの文脈で有利不利を扱う記事の方が多い。

2016-07-04 16:54:20
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

政治家のスキャンダルが発覚すると、大手メディアはそれなりに追及するが、対象が大臣などの役職を辞任して陣営間で「手打ち」がなされると、大手メディアもそこでスキャンダルの追及をパッタリとやめてしまう。本当は、問題自体の解明まで追及しないといけないはずだが、政局の論理にメディアも従う。

2016-07-04 16:55:36
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

大手メディアの政治報道が政局中心になると、受け手の心理にも「政治とは政局のこと」という固定観念が生まれ、政治的な意見を表明する人がいると「あなた共産党?」みたいな意味不明の反応が出る。安倍政権の政策を批判している人間がいても、批判内容でなく「どの陣営に属しているか」で判断される。

2016-07-04 16:56:52
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

こうなると、人は自分が「どこかの政党/派閥/陣営」に属すると見られることを恐れて、政治的な意見を表明しなくなる。政治が「政局」なら、どの政党や陣営にも属さない自分が、選挙に行くべき理由も特にない。政党や陣営が勝手にやっていればいい。自分は政局のプレーヤーではないから家で寝ている。

2016-07-04 16:58:17
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

首相の政策を批判すると、なぜか「左翼」と呼ばれる。自国民の人権や安全よりも外国軍の都合を当たり前のように優先する政策を批判する人間を「左翼」と呼ぶのは、論理的には意味不明だが、物事を政局目線でしか見ない人にとっては、首相に敵対する陣営は全部「左翼」で、意見や主張の中身は関係ない。

2016-07-04 17:00:24
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

政治を政局目線でしか捉えられなくなると、予期せぬ事態に際しての首相の不手際や能力不足も政局目線でしか議論できなくなる。非常事態にこそ最高指導者の能力が露呈し、その資質が問われるが、なぜか「首相批判に事件を利用するな」という政局の論理で、最高指導者への批判を封じようとする人がいる。

2016-07-04 17:01:50
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

政治とは本来、人々の生活の土台であり、日々の生活に関わる不都合や制約の現状なのだから、もっと自由に「今の政治はここがおかしいと思う」「こう変えるのがいいと思う」と意志表示していいはずだが、それを言うと「お前は何々党か?」と威圧的・恫喝的に「所属政党/派閥/陣営」を問い詰められる。

2016-07-04 17:03:14
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

西欧の民主主義国のデモは、所属政党/派閥/陣営等の政局色が薄く、普通の市民が、日々の生活に関わる不都合や制約の現状について気軽に意志表示する場として行われている。日本だと、首相の政策に反対するデモも野党党首等と絡めた「政局目線」で報じられ、個人の意志表示という側面が見落とされる。

2016-07-04 17:06:12
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

大手メディアは、総選挙のたびに他人事のように「低投票率」や「政治への無関心」を嘆いて見せるが、自分たちの日々の政治報道がその原因の一つかも、という自覚も必要ではないかと思う。無自覚に政局目線の記事ばかり書いて、受け手の政治的視野を狭めていないか。政局は政治の中の一側面でしかない。

2016-07-04 17:07:44
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

国民の側も、自分の政治問題に関する思考が「政局目線」に誘導されていないか、政党/派閥/陣営の戦いと切り離した形での、根源的な疑問や理想に立ち返って考えているかを自問すべきだろう。選挙に行くことは、生活に直接関わる問題への自由な意志表示であって「政局ゲームに参加すること」とは違う。

2016-07-04 17:09:02
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

諸々の事実から考えて、現首相の経済政策が富裕層以外の日本人にとって望ましいとは思えないが、百歩譲ってそれが望ましいと仮定しても、それ引き換えに市民の自由や権利を制限する方向性の「価値観の変化」を受け入れるのか、後者より前者を優先するのかという選択も、今回の総選挙では問われている。

2016-07-04 17:10:12
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

先日書いた「政治=政局」の続きだが、自民党がメディアに要求する「中立」も、実体は「政治的中立」ではなく「政局的中立」でしかない。与党が憲法を逸脱したり国会議事録に架空の会話を書き込んだりした時、ニュース番組の出演者全員が厳しく批判するのは当然で、「中立」を犯したことにはならない。

2016-07-06 13:52:11
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

あらかじめ定められたルール、破ってはならないルールを政権与党が破ったら、メディアは徹底的に批判しなくてはならない。政権与党が何党であっても同じ論理で批判するのが「政治的中立」。そこで「賛成と反対、批判と擁護を半々にせよ」というのは「政局的中立」でしかない。この二つは根本的に違う。

2016-07-06 13:53:33
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

ところが、普段から政治を政局目線でしか捉えていない大手メディアは、この本質的な違いがわからないのか、後者の「政局的中立」を「政治的中立」と錯覚して、言われるがままに、与党批判を手控えてしまう。その結果、総理大臣が嘘をつき放題、約束を破り放題でも、批判は五割以下に留められてしまう。

2016-07-06 13:55:08
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

これも「政治的中立」と「政局的中立」の取り違えの例だろう。生徒の大半が「憲法学者が違憲だと言う法案を数の力で通す政権はおかしい」「選挙時の約束を破る政権はおかしい」と当たり前の疑問を抱いても、教師がそれを集約すると「偏向」とされる。 twitter.com/wanpakutennshi…

2016-07-07 13:42:26
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

学校が「政治的中立」の名目で「政局的中立」の態度をとるのは、実質的には「政治については自分の頭で考えるな」「個人としての考えを持つな」「意見を聞かれても無難なことしか言うな」「所属する集団に従え」「決まったことには文句を言わずに黙って従え」という、諦めの感情の植え付けでしかない。

2016-07-07 13:44:29