ネットユーザーってなんでレッテルを貼ってくるの?
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エリコちゃん
スマートフォンが普及してからネットを始めた初心者。
ミカ先輩
青春時代を匿名掲示板で過ごしたOL。
兜
鉄と鎖を編み込んだ皮で強化した兜。頭部を防護する。
兜をかぶったエリコちゃん
普通のエリコちゃんより防御力が高い。
ツォイ!!!!!ツォ!!!!!!!!
ツォ!!!!!!!
あっ先輩! 見てくださいよこれ~!
最近こういうの多すぎないですか!?
ネットを観ていて、不快な思いをしない日がない。
もう…なんでネットの人って、すぐにこういうレッテルを貼りたがるんだろう。グゥ~…。
その言い方はダメ~!
痛ぇ~!
何するんですか先輩!
私がエリコちゃんにチョップした理由…。
それは次の章で明らかになるわ!
レッテル返し
レッテルという激ムズの問題を扱う場合には、こういった物言いには気をつけたほうがいいわ!
それは、この文章そのものに「ネットの人はレッテルを貼りたがる生き物」というレッテルが含まれてるからよ!
これが「レッテル」という問題を扱うことの難しさ…。
自分でもいつ無意識に貼るかわからないのがレッテルなのよ。
なぜこの世からレッテル貼りはなくならないのか…まとめサイトの女叩きもエリコちゃんのレッテル返しも、本質的な理由は同じ…。
つまるところ集団におけるレッテルとは、ごく僅かな、あるいは実在が疑わしい一部を根拠に全体を類推するという判断の怠慢ね。
ネットでよく見る例でいえば、男を見る目がなさすぎてクソみたいな男としか付き合ったことがないだけで「男は全員クソ」と管巻いてる女の人は前者…。
そもそも女性と関わったことがないのに、酸っぱい葡萄理論で「女はろくなものではない」と自分を納得させるために「女はクソ」と言ってる男の人が後者ね。
レッテルを貼らないにはどうしたら?
でも私、気づかない間にレッテルを貼ってたみたいだし、今後も人にレッテルを貼らない自信がないかも…。
本当に1回もレッテルを貼らないなんてとても難しいことよ。むしろ、そういうふうに「いつ自分が貼る側になるかわからない」と考えているのはとても大事なの。
逆に、「自分は絶対大丈夫だ」なんて思ってる人のほうが危ういのよ、こういう問題は。
世の中には思わずレッテルを貼ってしまう罠が満載なの…。たとえば、次のような場面には気をつけないといけないわ。
喫煙マナーのレッテル
エリコちゃんは、こういうふうに路肩にドサーってタバコの吸殻が捨てられているのを見たとき、「タバコを吸う人ってマナー悪いな」って思っちゃわない?
だけど、それだけでタバコを吸う人みんなマナーが悪いとなるかしら? 実際は、「マナーの悪い人がたまたまタバコを吸ってただけ」かもしれない。
それはそうだけど、やっぱりイメージ悪いといえば悪いですよね。
ここで問題なのは、「喫煙者・非喫煙者」という目線で見たときに「マナーの悪い非喫煙者」は決して可視化されないといことなの。
タバコが捨てられていたら、それは喫煙者のやったことだと分かるけど、非喫煙者がタバコ以外のものを捨てても「これは非喫煙者が捨てたものだ」とわからないでしょう?
つまり、マナーの悪い人が喫煙者で、タバコに関してトラブルを起こしたときにだけ「喫煙者・非喫煙者」というくくりが発生するわけ。
一応言っておくけど、これは私が喫煙者で自己正当化のために言ってるわけじゃないからね。私はタバコは吸わないわよ。
あとさ、ミカ! あんた、灰皿の中身窓から捨てるのやめなさいよね!
あれ私が掃除してるんだから!
とかげのしっぽ切りのレッテル
たとえば「同じ人間の仕業と思いたくない」凄惨な事件が起きたとき…その犯人が「どこか別の集団に属する人間だ」と原因をこじつけることで精神的な安定を図るの。
これは個人レベルでも毎日のように行われていることだし、さらに言えば大きなメディアだってやってしまうことがあるレッテルなのよ。
例として、「犯罪者がオタクゲームや暴力的なゲームを遊んでいた」という報道をことさらにするとどうなるか…。
実際のところの順序は「暴力ゲーマーがついに事件を起こした」んじゃなくて「犯罪者が暴力ゲームもやってた」なのかもしれない。
でも、その部分を関連付けて報道すれば「オタクやゲーマーは犯罪予備軍」という先入観を助長してしまうの。
でも、そんなこと言ったらゲームがない国でも毎日事件は起きてるし、日本は世界有数のゲーム国のわりに治安はいい方よね。
だから、そうカンタンに因果関係を見出すのは難しいのよ。
言っとくけど、わたしはゲーマーじゃないからね。
あ、いたいた! ミカ。このゲーム「スーパーバイオレンスグロテスクシューティング2」返すわね。
論破のためのレッテル
「○○の奴は××だ」というのと反対に「お前は○○だろう」というふうに貼るのが論破のためのレッテルよ。
たとえば、匿名掲示板で「犬派」と「猫派」が日夜熾烈な議論を繰り広げてるとするでしょ?
その中でこのように、猫派のうちの一人が犬派に対して行き過ぎた悪口を言ったとして、それを穏健な猫派がたしなめたとするじゃない。
そうすると十中八九、「犬派乙」というような返答が帰ってくるの。これは匿名掲示板における勝利宣言のひとつで、語尾に乙がついた時点でその人の中では「勝ち」なの。
この場合、「猫派のふりをしてたしなめてるけど実際お前は犬派だな。犬派の自己弁護は論ずるに値しない。よって議論するまでもなく自分の勝ち」という意味ね。
本来、所属と発言の正誤は無関係だけど、一部の人の中では「集団への批判に対するその内部の人間の反論は無効」というルールができあがっているの。
- ・敵対集団に所属している時点で発言に価値がない
- ・自分と違う意見の人間は敵対集団に所属している
この2つの自分が作った前提を使うことによって、自分とは違う意見の人間を完全に封殺できるの。これが「論破のためのレッテル貼り」ね。
これは、匿名環境で誰が発言したかわからない状況を逆手に取った方法で、いわば「その発言は所属に関係なくダメじゃない?」という指摘を無視できるの。
そうね。だけどこの手段の何が強いって、これを言われた時点で相手が「ああ、もうこの人話通じないわ」となって黙ってしまうところね。
ネット上の議論はどちらの意見が正しいかではなくて、相手を黙らせるために行われる戦いだから、相手に呆れて黙ってしまった時点で負けなのよ。
目には目をのレッテル
そして最後にエリコちゃんが冒頭でやった、レッテルを貼ってきた人の所属する集団をレッテル貼り呼ばわりしたこと…。
これは著しくモラルを欠いているというわけではない。だいたい、最初に暴言を吐いてきたのは相手だしね。
まず、男3人のうち一人が暴言。残り二人は敵意なし。
エリコちゃんは「男はレイシスト!」と言ってしまう。
ここで個人に対する反撃を全体にしてしまったばかりに、関係ないほかの一人の怒りを買う!
そしていわれのない批判を受けてムッとしたもう一人が、また雑な反撃で全体を挑発。
結果、たったひとりの危険分子が全体を危険分子に変えてしまう。こういう繰り返しで集団と集団の関係は険悪になってしまうことがあるの。
インターネットを見ていると、この世は自分が所属しない集団を叩くことによって得られるわずかな優越感のためにレッテルを貼る外道ばかりに思えるかもしれない。
でも、家の外に出ればそんなこと嘘みたいに人々は優しく、木漏れ日は風にゆらめき、小鳥たちはさえずっているの。
だからもう、やめましょう。今すぐ、インターネットなんてやめてしまうべきなのよ。全員。
レッテルは害悪?
長くなったけど、ようはレッテル貼る奴が悪いんでしょう?
じゃあ「レッテル貼り糞野郎」みたいな言葉を作れば?
がい~ん
「兜」じゃ。
レッテルを貼る人自体に名前をつける…それ自体は2ちゃんねるで「認定厨」という言葉ができたりの動きはあったわ。
だけど結局「認定厨と認定すること自体がレッテル貼りなのでは?」という自己矛盾に陥って抑止効果には至らなかった…。
それに、「レッテルは悪逆非道の行い、死すべし」という断罪の風潮が高まると人々は「自分はレッテルを貼らないように気をつけよう」となるかしら?
否。そうなると人は「自分がそんなことをしてるわけがない」と盲目的に思い込むようになってしまうの。それはむしろ無自覚なレッテルを手助けしてしまう。
それよりは、各自が「思わずやってしまうことだからこそ気をつけなければならない」という当事者意識を持つことがこの問題に関しては重要なの。
そもそも、ここまでほとんど「レッテル」を悪い意味で使ってきたけど、もともとこの言葉は「悪い意味の決めつけ」みたいな限定的な意味ではないの。
たとえば、日本人に対するレッテルの典型として「出っ歯でメガネでカメラをぶら下げていつも謝ってる」みたいなのがあるわね。古いけど。
でも逆に「勤勉で礼儀正しい」みたいないいイメージもあって、そう言われるのは悪い気はしない。
もし世の中がそんないいレッテルで溢れてたら、レッテルという言葉のイメージもよくなるかもしれない。
もしかしたら、レッテルの最大の被害者は「レッテル」という言葉そのものなのかもしれないわね…。
ないの!!!?????????
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「○○そうな人」というお題でフォロワーの中から人を選んでキャッキャしよう! ネットの人ってこういうの好きなんでしょ?
ゴリゴリのネットの人なんだから、自分で判断すればいいでしょ。
(おわり)
執筆:小野ほりでい/編集:加藤亮(株式会社バーグハンバーグバーグ)/企画:有限会社ノオト