【昭和歌謡】「別れても好きな人」の主人公が行った渋谷ー高輪ー赤坂を巡る約16kmの旅を追体験してみた
「別れても好きな人」という昭和のヒットソングをご存知だろうか。
1979(昭和54年)にリリースされた曲で、
過去に付き合っていた恋人と渋谷で偶然会い、思い出を語るため赤坂や東京タワーを巡り、最後には未練を残しつつも乃木坂でお別れ
といったストーリーが歌詞の中で表現されている。ヒットした要素はいろいろありそうだが、特徴的なメロディーにのせて、実際の地名が登場するので印象に残りやすい、ということが理由のひとつだったかもしれない。
ところが先日、Twitterユーザーの弓長九天(@yumilimi9)さんによるこんなツイートがバズった。
『別れても好きな人』の歌詞に従って渋谷から歩いてみようとして、雨の夜中に傘をささずにだいたい16km程度、途中で二回くらいグラス傾けたりすると四時間半以上歩きっぱなしツアーだと判明して断念しました。 https://t.co/glcNMFAwRp
— 弓長九天 (@yumilimi9) 2022年6月20日
歌詞の内容通りに渋谷から原宿、赤坂へと歩くと合計16km、およそ4時間半の徒歩の旅になるというのだ。しかも雨が振っているのに「傘もささずに」である。
弓長さんの指摘からは、かつての恋人と再会するという切ないストーリーの背景に、想像を越えた距離を歩く2人の姿が浮かび上がってきたのだ。
投稿を見たTwitterユーザーの皆さんも「それだけ未練タラタラだったのでは」「別れた人に偶然会って歩く距離ではない」といろいろな意見を交わしている。
そう考えると「別れた人と雨の都内およそ16kmをウォーキング」するというのは一体どういう心理なのだろう。
Twitterユーザーの皆さんの中には検証を試みている人もいるようだ。筆者もそのつもりで雨が降る日を待っていたが、最近(2022年7月)の東京は雨が少ない。雨の夜をいつになっても検証できない気がしてきたので、リアリティーには欠けるがルートを辿って主人公の行動を追体験してみることにした。
主人公の複雑な心理を想像しつつスタート地点へ
まずは距離感を把握しておこう。山手線の路線図を使って説明すると、主人公たちが歩いたのはこのようなルートだ。
電車で移動した場合、渋谷から原宿へは山手線で移動し、原宿で東京メトロ千代田線(明治神宮前駅)に乗り替え。乃木坂あるいは赤坂に下車したあと、ワープのごとく高輪に移動し、また赤坂に戻るという。こうしてみると、徒歩はもちろん電車移動であっても不自然な動きだ。
「高輪」は東京都港区の地名であり、歌が発表された昭和54年は「高輪」という駅はない。だが、歌詞から推察するに東京タワーを見たかったのだろう。突然すぎるが。
そんな主人公の複雑な心情を想像しつつ、まずは渋谷に向かった。
騒がしいのよ渋谷は
今回の追体験にあたって、残念な条件が2つある。雨の夜ではないことに加え「別れた人」を用意できなかったことだ。
個人的に別れた人の消息を確認したところ、元気そうではあるが相手も既婚者ということもあり、さすがに連絡が取りづらく断念した。
というわけで、スタート地点の渋谷に行ってみた。ここからはぜひ「別れても好きな人」を再生したり歌詞を追ったりしながら記事を眺めて欲しい。
2人が再会した渋谷は、ここだ。
人多…っ…
人が多く騒がしい渋谷で「別れた人」と遭遇する確率、すさまじくないか。奇跡にも近い再会だったと言えそうだ。
1979年(昭和54年)当時の渋谷も恐らく、人が多くそこそこ騒がしいだろう。比較的静かな赤坂方面に移動しようという気持ちになるのは自然だと思った。
ここから原宿に移動する。渋谷から原宿までの徒歩ルートは、Google Mapによるとおよそ18分だ。
渋谷駅から明治通りぞいに歩き、原宿に向かうというルートを案内された。イメージは以下の通りである。
渋谷駅前交番のあたりからMIYASHITA PARK(宮下公園)の方面へ行き「ファイヤー通り」と呼ばれる道を越えると左手に代々木体育館が見えてくる。
ちなみに「ファイヤー通り」という名称は「渋谷消防署」があるからだ。→渋谷区Webサイト「通りの名前」
代々木体育館の近くは真っ暗で、人通りもほとんどない。暗くて周囲が見えなさすぎだったので、一人で歩くのがちょっと怖かった。やっぱり別れた人でいいから連れてくればよかったと思った瞬間である。
そうして、原宿駅に到着。
ここから先をさらに歩く気は完全に失せた。電車乗りてぇ…。
7月の蒸し暑い夜、ここからさらに赤坂まで歩く気力は失われたので、残りの移動は電車に乗ることにした。根性なしですみません。
表参道を通過して赤坂へ
2人が原宿から電車を利用したと仮定しよう。東京メトロ・千代田線の明治神宮前駅から赤坂に移動したと思われる。
当時原宿には「竹の子族」と呼ばれる集団が歩行者天国で踊るという社会現象があったので「若い人向けの街」というイメージは強かっただろう。そんな場所も夜になれば静かなはずだが、そもそも渋谷からすぐさま去っているので、若者が集まる場所にとどまるのは、気が進まなかったのかもしれない。
そうこうしているうちに赤坂に到着。
ここから歩いてみると、グラスを傾けられそうな店はあるものの…人通りが少ない。昭和54年の赤坂、人通りはどの程度だったのだろうか。
赤坂3丁目付近まで来ると店の数も増えてきた。そろそろ落ち着いたところで話そうという気にもなってくるのは理解できる。
灯りが揺れてないタワー
歌詞の内容に戻ろう。赤坂のバーでグラスを傾けている間、主人公は「やっぱり忘れられない」とやや理性が飛びそうな雰囲気だったが、このタイミングで高輪へ移動している。
「高輪」は東京都港区の地名であり、JR品川駅や高輪ゲートウェイ駅などがある。しかし品川駅付近で東京タワーを見るにはやや無理がある気もした。
そこで、赤坂から比較的近く、東京タワーを拝める赤羽橋駅まで行ってみることにした。
ところが。
ライトあんまり点いてなくない…?
そこに見えるのは、灯りが揺れていない東京タワーだった。
「電力需給ひっ迫注意報」により、この日の東京タワーのライトアップは20時までとなっていた模様。筆者が赤羽橋駅に着いた時間はすでに21時を過ぎていた。
→東京タワー公式サイト「電力需給ひっ迫注意報」によるライトアップ点灯内容の変更について【7/6更新】
一晩中、真っ赤な明かりが灯った東京タワーはそれこそ当時の東京の象徴であっただろう。令和の今、節電のためにライトアップは限られた時間のみとなっていた。令和辛すぎぃ…。
ほんとにさみしい乃木坂
この後、2人は乃木坂へ移動したと思われる。
乃木坂は、人通りがほとんど見えなかった。
乃木坂駅を出て赤坂に向かって歩いてみた。その間には昭和レトロ感がある落ち着いたビジネスホテルや雑居ビルが続く。
繰り返すが、このあたりも本当に人がいない。みんな店に入ってゆっくりしているからかもしれないが…。この静けさなら、ちょっと入り組んだ話をしながらでも歩けそうだと思った。
ここでさよなら、一ツ木通り
一ツ木通りとは、赤坂周辺にある通りの名称。現在は赤坂Bizタワーがあり、飲食店も多い。「いつもの一ツ木通り」と言っているので、交際中の2人はこの近辺でよく会っていたのだろう。
2人はここで「さよなら」する。普段から使っていた通りを別れの場所に選んだのだった。
とにかく長時間2人でいたかったのかも
こうして渋谷から赤坂を巡る旅は終わった。途中、千代田線に乗ったものの、所要時間はおよそ3時間。
歌詞に登場する2人が、比較的落ち着いた場所で話をしたい気持ちになり、移動を繰り返していたのだろうということはなんとなくわかった。そして主人公は、忘れられなかったかつての恋人と少しでも長く一緒にいたかったのかもしれない。
電車やタクシーを使って移動したとしても、最後の一ツ木通りで別れた時は恐らく深夜をまわっただろう。やはり、タクシーや電車を使ったことを歌詞の行間から読み取ってもいいのではないだろうか。
それにしても都内の夜は、行く先々で人通りは少ないし、東京タワーの灯りは小さいし…という、ちょっぴりさみしい有様だった。昭和54年頃の街の雰囲気はどうだったのか。当時を知っている人がいたら教えて欲しい。